作品手帳について感じていた違和感の正体
作品手帳について感じていた違和感の正体がわかった。
私の中で積読には、2つのパターンが存在します。
1つは、今は時期でないと積んでおくパターン。衝動的に購入に至ったものの、今すぐ読まねばという緊急性がない。買っておきながらなんとなく食指が動かない。電子書籍とは違い、紙の本には突如、読むべき時機が訪れる。そのときを待って積んでいるようなパターンです。
もう一つは、期待から積んでおくパターン。好きな作家さんのものに多く、「今読むのはもったいない。じっくり読める時間が来る時のために」と積んでおく形です。
どちらにも共通するのは、実に贅沢な積み方だということです。
今回、入院という強制的に精神と時の部屋で過ごす機会をいただき、積んでいた本を数冊持ち込みました。どちらのパターンの本も混じっています。
パターン2にあたる一冊、森見登美彦さんの『太陽と乙女』にすとんと腑に落ちる答えがありました。
少し引用させて頂きたいと思います。第6章「森見登美彦日記」を読むより。 …は略を示します。
たしかに世間には色々な日記が出版物として流通している。樋口一葉の日記とか、岸田劉生の日記、永井荷風の…
…それらの日記が読むに堪える理由はおおざっぱに言って二つある。一つは彼らが他人に読ませるために日記を書いていたということ。もう一つは、それらが出版される際に編集されているということである。ああいうものを日記だと思ってはいけません。ああいうのは日記ではなくて作品なのである。そして「読める作品」というものを志した瞬間、日記の一番大切な本質は失われてしまう。読むに堪えられないものであってこそ日記なのだから!
最後の一文がなんとも森見さんらしい。小説家を志した中学生当時から、文章修行のために日記を書くようになり、その量は原稿用紙1万6千枚に及ぶとのこと。そして、日記を書くアドバイスについても記述がありましたので引用します。
私ほどの日記魔にとっては、記録すべき事柄の多い「充実した日」の方がむしろ退屈だといえる。日記を書くことがまるで仕事のように思われてくるからだ。…
「日記を書いてみよう」と思う人は次のことに気をつけるといいと思う。
1.毎日書くこと
2.イベントがあった日は手を抜いていい。簡単な箇条書きでもいい。
3.何もなかった日こそ、しっかり書くこと。
…
事実、このあとに掲載されている大学院生当時の日記では、何気ない日常の様子の方がいきいきと書かれており、その中で唐突に
八月二日(土)
鎌倉行 友人宅泊
といったような、日記が点在している。
わたしが手帳に関して魅力を感じるのは、ページに現れる個性からです。なのでたとえそれが仕事のそっけない走り書きであったとしても、どんな業界なのかなとか、これで済ませなきゃなんないほど切迫してたのかな、とか、こういう業界の人はこんなペン(インク)つかってるんだとか、生の情報がたくさん詰め込まれています。
システム手帳は特に顕著で、バインダーはいうに及ばず、リフィル構成、挿しているペンやギア、ジッパーポケットから魅力が垂れ流しになっています。
こういった個性の生情報は、作品になったとたん、全て覆い被されてしまうのです。(時間をたっぷりとり、普段つかわない文具を駆使して、字を丁寧に書き、イラストを書き込むとか)
読むに堪えないオリジナリティという、強烈無比な魅力を削いでしまっているんです。
それが、私が感じていた違和感の正体でした。
でも、それは私の手帳の鑑賞の仕方によるところが大きいのでご注意ください。
他人に読ませることを目的として世界が作り上げられた樋口一葉や永井荷風の作品に価値やうつくしさがないのかというと、決してそうではありません。
結局のところ、それは手帳のどこに魅力を感じるか?というフェチズムの違いでしかないということです。お互いわかり合うことも否定することもできず、文化として発展していける大きな可能背のある形態ではないかと思い、稿を閉じたいと思います。
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