『僕が綴った16年』
僕が綴った16年,大泉洋,角川文庫
豊富なボキャブラリーで、情緒豊かな罵倒の手法に定評のある大泉洋氏のエッセイ集。北海道のローカル番組『水曜どうでしょう?』でブレイクし、天然パーマにパーマをかけるという前代未聞の、無慈悲に突き抜けた髪型をトレードマークに、俳優として活躍しているのは周知のとおり。
文庫版の描き下ろし、あとがきが加えられ、大泉ファンには満足できる一冊となっている。
エッセイ集を手にとるきっかけは、主に著者に興味(性的興味も含む)があるときだろう。特にその人物に興味(性的興味も含む)がないのにエッセイを読もうとするのは、筆力や独特の視点に定評があるか、そうでなければ無節操に人の頭をのぞきたいという破廉恥漢かのどちらかであると思われる。
本書は各雑誌に「旅」、「移動」をテーマとして書かれたエッセイ集だが、本作自体が大泉洋というローカルタレントの人生における旅を綴ってあるという天に注目したい。各章の扉には掲載時の時間軸が記してあるが、大学生時代から書き下ろされた42歳の時点まで、ひとりの愛すべき天然パーマの生き様が読み取れるのである。
そこには学生時代の思い出あり、祖父母や家族との思い出あり、水曜どうでしょう?、劇団スタッフとの思い出あり、ひょうひょうとしながらも人生を謳歌している旅人の姿がある。
私自身は、仕事や稽古事の関係から、ほとんど旅行の経験がない。それゆえに、大泉洋氏の綴る沖縄の宿でだされた苦い料理や店員が驚く食べたという韓国のビビンバ、大阪・京都旅行などのエピソード一つ一つが、どれもが輝しくみえるのだ。
また、ひとつひとつのエッセイに付された、現在から氏自身が振り返ったコメントもいい味を出している。「これは彼女にフラれたときに書いたもので感傷的だった」というように、掲載当時は視えなかったであろう、エッセイの裏話がいかんなく露出しているのである。そこには家族への愛情なども垣間見え、タレントではない人間としての氏の姿がチラ見できるのである。
一言でいうなれば「大泉さんの口調で脳内再生、余裕」といった感じで、親しみやすさがあるエッセイの文章は、氏独特の型破りな性格が滲む出たものだろうと感じた。
「締切が間に合わない」というフレーズが幾度も登場し、読み手である私たちに、痛切なスケジュールを訴える。
しかし、氏本人は他人に無理矢理行かされたものは旅行なのか、と疑問を呈す。おいしいものを食べようが、宮崎県の某宿で恋に落ちようが、揺らぐ仕事とプライベートの境界線に悩んだのであろう。また、俳優なのか芸人なのか、薄らいでくるローカル感などにも悩んだことを明かしている。
だが、私にはその言葉のひとつひとつのどれもが。一つの天職を表しているように思えてならない。彼にこそふさわしいのではないだろうか。
「職業 大泉洋」という天職が。