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『旅行者の朝食』

旅行者の朝食』 米原万里/文春文庫

 

 

 

 読書に関して雑食性の私だが、未だ料理関連の本とフランス書院には手を出していなかった。ある意味で、私が後生大事に抱えていた守る必要のない純潔を奪っていった本書。手にとるきっかけとなったのは、その魅力的なタイトルだった。

 

 

  旅行者の朝食、と聞くと私が思い浮かべるのはホテルのモーニングビュッフェだろうか。適量なサイズのパンにバターを塗り、新鮮な野菜やスクランブルエッグと一緒に食べ、フレッシュオレンジジュースを飲む。

 私はまだ若輩者なので、自分の部屋に仲居さんが用意してくれるような旅館よりも、ビジネスホテルに泊まることの方が断然多い。

 

 ここまで書いておいて申し訳ないが、これは私の想像であり、実際に本書の内容は朝食に限らない「食」についてのエッセイ集である。

 かつて一緒に仕事をしていたカメラマンに聞いたことがある。あらゆる写真の中で、食事の写真を撮るということはそうとう難しいらしい。色が鮮やかに出過ぎると食欲を減退させる、時間の経過につれ繊細な色で浮いている脂を写さない、冷めているような雰囲気を出さない、総じて「おいしく見せるため」に労力を割かなければならないとのことだった。

 

 文章に関しても同じことが言える。料理を、文章で料理するという果てしない筆力を求められるのだ。例えば私は鯉(コイ)を食べたことがない。池でぬめっとした体を揺らし、口をぱくぱくしている姿をしたカラフルなイメージがあるからだ。そんな鯉はやはり泥臭いらしい。しかし、どのような描写がされているか本文から引用してみよう。

 

『(チェコでは)イヴに肉を食べてはいけないからだ。まずそうな顔をしながら鯉のフライを食べる。』

 海のないチェコでは、クリスマス・イヴに肉を食べることができないため、川魚である鯉をフライにして食べる。そしてまずそうな顔をしながら、それでもフライを食べるのだ。食事の中に垣間見える人間らしさに、大きく関心を寄せられる。まずいという鯉のフライでさえ食べてみたくなるような、不思議な魅力をこの文章は持っている。

 

 作家でいうならば村上春樹、コナンドイルも見逃せない。『アフターダーク』の中でファミレスのチキンサラダを雰囲気だけでおいしそうに思わせる文章は、さすがプロ文学ノーベル賞候補といったところか。名探偵シャーロック・ホームズと助手である医師ワトスンが出かける前に食べるトースト、卵料理の朝食、サンドウィッチと紅茶の軽食、昼食、夕食も未知の料理があるわけでもないのにとてもおいしそうに感じる。

 

 料理の本は、おいしそうに感じる語を選び、おいしそうに感じる描写をして私たちを惑わす。なんでもない料理が文章になるだけで、急に食欲を刺激するのである。

 

 未知の料理であっても、その料理を構成する材料は私たちは知っている。そのため、トルコ密飴、牛肉の包み煮(スペインの小鳥)、などと聞くと、なんだそれは!食べてみたい!となる。

 

 また一方で、ちびくろサンボはホットケーキを食べれたのか?、ヘンゼルとグレーテルのお菓子の家、アルプスの少女ハイジに頻繁に出てくるヤギのお乳、などノスタルジックな部分をも料理を通してプスプス刺して刺激されるのだ。ヤギのお乳に関しては、そのチーズのあまりにも奇天烈な味に卒倒しかけたことがあるが、原液を飲み干す米原さんの様子には悲壮感すら漂っているようだった。

 

 ライトノベルス『狼と香辛料』での描写を思い出す。旅の行商人ロレンスと連れ人であり賢狼の化身ホロは、突然の雨に打たれ教会で雨宿りをする。教会ではお金の寄付と引き換えに中のものを手にできるが、ここでロレンスはいくつかのじゃがいもを手に入れて蒸かす。そして奮発だ!と、このじゃがいもにヤギのチーズをのせて、部屋へ持って帰る。そこでおいしそうにホロがじゃがいもにかぶりつくのだ。

 

 料理の文章は謎に満ち溢れている。このエッセイの中で触れられている『パンと塩』という本にもただならぬ興味をそそられるし、『パスタでたどるイタリア史』も、まったくイタリアに興味がないが読みたくなってしまう。

 

 料理に関するエッセイ集である本書は、「食」に対して日本だけではなく、さまざまな国の文化のフィルターをかけて料理を紹介しつつも、私たちの欲やノスタルジックな食の思い出を縦横無尽に殴打して刺激して回る、豪快な一冊だった。