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『私の本棚』

『私の本棚』 新潮社編/新潮文庫

 

 

 

 世界征服はできないが、自分だけの世界を造れるならば造ってみたい。そう思う人は多いはずで、私もその例に漏れない一人だった。

 カードバトルやらモンスターストライク、パズドラといった中高生&大きなお友達専用集金ゲームが熾烈な争いを繰り広げている。けれど、その黎明期には、そんなバトルとは無縁な、のほほんとしたゲームもあった。

 

 それが自分専用の店や農場、街を造っていくようなゲームだ。世の中の人がダンジョンの草原やら塔やらを昇り詰めていく。課金によって向かうところ敵なしな一騎当千の猛者どもがダンジョンをクリアしていくのだが、彼らがどこへ何の目的で向かっているのか本人すらも分かってはいない。

 そんな世界をよそに、私たちはなめこをズバッと収穫したり、畑を耕したり、お店で商売にいそしんでいたのだった。しかし、それが楽しい。客を集めてお金を稼ぎ、お店を拡張してインテリアをそろえていく。

 

 リアルタイムのゲームであったが、ドバイみたいな勢いで私は稼ぎ、店を大きくしていった。それと反比例する形で現実の私はひきこもりとなっていったのだった。

 

 本書は、様々な作家陣が「本棚」について綴ったエッセイ集である。本棚は、それ自身が持ち主の知識の世界なのだ。そして、その人の知識の世界であると同時に、決して治ることのない病の患部でもある。

 

 私は自分の蔵書を数えたことがない。古本を手に取ることに快感を覚えるようになったのがごく最近だから、9割ほどを新刊で購入したことになる。つまり蔵書を数えると、いくらのお金を使ってきたのかがあらわになってしまうので見たくないのだ。

 そのような本を、生活空間に侵入させないように本棚という世界に綴じこめるのだけれど、これがまぁ飛び出す飛び出す。

 

 例えば夜中にお腹が痛くて、神に祈るような起きざまのとき、本をもってトイレに断固立てこもる。そんなときに、「死に至る病」とか、「世界の刑罰・拷問史」といった本をもって読んでいたならば腸を引きずりだされるようなキモチになるだろう。

 とはいえ、そこで「君の届け」とかの爽やかな少女マンガや、「バカヴァッドギーター」のような聖典を持ち込んでも腹痛は増すだけである。となると、気軽な雑誌や、感情の変動なく読むことのできる空手のテクニック特集の雑誌などになる。

 

 このように、気分やシチュエーションは、読むために手に取る本を大きく左右する。結果、少ないなわばりしかもたない本棚から、本や雑誌がプリンセス天功な感じでイリュージョンしていくのだ。ついでに買うときには福沢諭吉もこのイリュージョンを財布や預金口座で披露してくれる。ぜんぜんありがたくない。

 

 確かに「スマホのアプリを見れば、その人がどういう人なのか分かる」時代になった。しかしかつては「本棚を見ればその人のことが分かる」だったのだ。本棚は持ち主の思考の世界であり、それを並びや分類でマッピングしたものであり、その人自身を映し出す鏡である。

 

 多数の作家陣がそれぞれの本棚について語る。すなわちいまの自分の内面を形作ってきた歴史を語るのだから、面白くないはずがない。分類に悩む、作り付けの本棚にこだわる、本で床が抜ける、理想の書斎をつくってスタジオにしてしまう。新井素子さんは、屋上にプールがある家のつくりを参考にして、大量の本棚を設置した家を建てたそうだ。そんなお金は、私にはない。

 

 買って、読み通した本を棚に並べていく。読んだ順に並べていくのか、自分だけの関連付けで分類していくのか、レーベル別に分けるのか。どの並べ方にも一長一短があり、なにかをとれば何かを失う。それが本棚だ。

 

 たとえば一つのボックスを使って、ハーレムをつくるとしよう。そこにはライトノベルとして人気を博した『涼宮ハルヒの憂鬱』(谷川流)シリーズが入り、私が愛してやまないY子さんの『腐女子彼女。』(ぺんたぶ)の洋書版コミックス、サディスティックなレベルのツンデレに興奮する『春琴抄』(谷崎潤一郎)、レトロなエロが生々しい『今昔物語』、熟女好きには外せない『朗読者』(シュリンク)などがつぎつぎに並ぶ。おっと、ふつうの主婦が不倫しながら家族の前でそれを隠しながら生活するというシチュエーションに興奮する「空中庭園」(角田光代)も外せない。他にも結構な本が入ってくる。

 けれど、それは時代もジャンルもばらばらで、出版社も装丁も異なる、非常に不揃いな見た目のボックスになってしまうのだ。ただし、ハーレムである。もうこれを両立させたいならば厳選したフランス書院の本で埋め尽くせば、もっとどぎついハーレムになるんじゃなかろうか。

 

 文章を書いて本を出す作家さんたちは、それの何倍以上も本を読んでいる。そして、性癖のごとく、本に対する向き合い方、考え方、早い話が萌えポイントも全く異なる。そんな溢れる本たちをなんとか本棚に押し込んでしまおうとする。その戦いの記録の集大成が本書なのだ。

 

 中には諦め、あえて整理しない整理法を駆使して本を読んでいく、という決意をされている作家さんもいた。また、ところどころ作家自身が撮った本棚の写真が付されているのも嬉しい。エッセイを読み進めながら、「この本棚のことか…」と表現の巧みさに気付かされ唸る。

 特に、本棚一列が『ピノキオ』で埋まっている本棚がでてくるのだが、『ピノッキオ』、『ピノチオ』などなどいろんなピノキオで埋まっている。なぜこんな本棚ができるようになったのか、なぜそのような本棚を造ろうと思ったのか。それを紐解いて追っていくととても面白い。

 

 本棚について語ったエッセイを集めただけで、こんな強烈な個性が出るんだということを思い知った一冊だった。