Happiness
そんなシチュエーションはなかなかないけれど、
「趣味は何ですか?」
と聞かれると、はたと困ってしまい、答えを持たない自分に気付く。
例えば手帳やノート、文房具は趣味じゃない。使うならば、自分の気に入ったものを、できるだけ便利に使い込もうという「こだわり」なのであって、暇があれば弄んで楽しさを感じているわけではない。
読書も同じようなもので、なるだけ楽に生きたい、面倒な人とは関わり合いたくない、何のために生きてるのか分からなくなった。そんな悩みは先人たちも飽きるほどしていて、同じ悩みを持つような人たちに言葉をもって智慧を授けてくれる。
また、自分が文章で何かを表現したいとするならば、それは本から学ぶしかない。ある意味で、生きて行く上では必須だから貪り読んでいるわけで、趣味というのとは違う気がする。これもこだわりの一つなんだろう。
では、自分には何の趣味があるんだろうか?考えて辿りついたのは夢の国のことだった。
最初は全く興味もなかった。ディズニーアニメも苦手で、幼い僕からすれば、なぜ途中でみんなが歌いだすのか意味が分からなかった。
崖に追いつめられて歌いだす。歌ってる場合じゃないだろ、と突っ込まずにはいられないし、突き落とそうとしてる方までノってくる。両方とも落ちてしまえと思う。
魔法のカーペットに乗って縦横無尽に飛び回り、感極まって歌いだす。相手までノッてくる。これが現代で、地下鉄なんかで恋人が歌い始めたらどうするだろう。想像してみるに他人のフリ一択しかない。
斜に構えてものをみることのなかった幼い時代、叔母と祖母に連れられて行ったことはあり、楽しかった思い出がある。いつしか大人になり、日々の生活に心の余裕がなくなったことで、東京ディズニーリゾートへの興味も全く湧かなかったのだった。
上京して仕事に就いた僕は、都会に疲れていた。あまりにドライな人間関係。そんな中での会話は交わす度に、砂みたいなひからびた林檎を口に詰められるような息苦しささえあった。分からなければ聞きに行く。行くたびに罵倒される。故郷を離れた子供を心配して電話してくる両親。その優しさまでもが、申し訳なさで心苦しくなっていた。環境すべてが僕を追いつめていた、世界が全て灰色に映ってあたとき。
当時の、ディズニーが大好きだった彼女が連れていってくれた。ランドとシー、両方に連日行った。最初は億劫でしかなかったが、甲斐甲斐しく彼女がパークの中を案内してくれる。スプラッシュマウンテンの物語も、声が聞こえるマンホールも、落ちて壊れたエレベーターも。一つもオブジェなんてなかった。ひとつひとつにストーリーが込められ、精巧に世界が造られ、そして現実から断絶されていた。
ディズニーランドもディズニーシーも、インパークすると中からは外の世界が見えなくなる。そこはとても狭い世界なのだけど、中は夢で満ち、争いは見えず、絶えず笑顔にあふれている。そして、それらが「現実」という絶望を覆い隠す。
名物だというミッキーのホットケーキ、餃子ドッグ、浮き輪まんなどを食べ歩き、カフェテリア方式のレストランで昼食をとり、ブュッフェで夕食をとった。タネもしかけもわからない清掃人:カストーディアルさんのパフォーマンスを見て、三大コースターや、ミッキーのフィルハーマジック、アラジンの劇場など、詳しい彼女に連れられパークを思い切り満喫した。現実に疲れていた僕が、魔法の虜になるのにそう時間はかからなかった。
やがて、仕事でパークを訪れるようになった。月に2回シーとランドを訪れ、季節の限定イベントに参加して写真を撮る。その他にもいろんなスポットや穴場を探して、カメラをぶら下げて歩いた。
僕のお気に入りは、ケープコッドにあるコッド・フィッシュ・バーガーだ。揚げたてさくさくのタラのフライが、バンズに油とソースを染みこませてとてもおいしい。
このディズニーリゾートでの仕事のときは、取り回ししやすいトラベラーズノートのパスポートサイズを使っていた。当時の写真が残っている。これは後に、公式サイトに掲載されてステッカーをもらったっけ。
▲(SSコロンビア号を臨む某所にて)
やがて彼女に負けないくらい、ディズニーリゾートについて詳しくなった。あくまでパークについてのみだけれど。一心不乱にパークへ行って歩き回ったから当たり前といえば当たり前か。
あのころは、仕事にかこつけて、彼女との思い出を上書きするかのように必死に行きつづけた。そこで見つける新たな発見は、どこかちょっと色あせていて、最初の魔法とは少し違った印象を受けていた。
あれから時が流れてもう8年程度。息子はモンスターズ・インクを観て、言葉は分かっていないけどキャッキャと笑顔になっている。ディズニーに行きたいと言い出すのにあと何年くらいだろうか?
今は遠く離れたところにいて、ディズニーの良さを教えてくれた彼女はもうそばにいない。今頃、愛する人と幸せになっているだろうか。仕事では見つけることができなったけれど、近い将来、必ず行こうと思う。
最初に感じた鮮やかな魔法を、家族と一緒に見つけるために。