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いろは。

手帳・文具中心の雑記系ウェブログ。

武士道 Ver.2.0

雑記

 いささか季節外れとはいえ、桜をおいて日本人の精神について語るのは無粋な行為であると言えよう。桜花は、私たちの国、日本の象徴である。国家公安にかかる象徴も桜をモチーフにしたものが多い。最近、話題になった陸上自衛隊のエンブレムにも桜が描かれている。

 なぜに日本人はこうも桜花を愛でるのか?

 思うにそれは、日本人の精神と桜が似ているからだろうと思う。

 

 「綺麗なバラにはトゲがある」というように、美しいものには「裏に何かがある」と戒める。人の足を引っ張ったり、陥れたりを潔しとしない日本人には、このトゲは忌むべきものである。桜には、そんな裏表がない。ただ慎ましい姿で、毒もトゲもなくそこに咲いている。

  「桜散るは魅せるため」。咲き誇った桜が最後には風に舞う。散り際こそ美しく、という独特の精神は日本の土壌に培われたわび・さびの精神の一部である。散ることをしっている花だからこそ、美しい。

 

 新渡戸稲造が、我が国固有の精神の象徴として桜花に例えたのは、武士道の概念と桜の花に通じる点が多かったからではないだろうか。武士道が書かれた当時でさえ、「それを生みかつ育てた社会状態は既に失われて久しい」とされている。いまではごくごく一部にすぎない武士道であるが、それは姿・形が見えなくとも、いまなお私たちを強い支配下に置いていることは新渡戸が指摘したまさにその通りなのである。

 

 よく、興味のある人に武道、武士道についての話をすると「奥が深い」と嘆息される。しかし、それは正確ではない。深くなどないことをまず理解しなければならない。深くはないが、ひたすらに「長い」。それが「道」の概念である。

 道の途中にはさまざまな障害があるだろう。山あれば谷あり。そんな険しい道中をひたすらに歩き続けることで何を得ようとしたのか。どのような境地に至ろうとしたのか。

 

 武士道は、今やいろんな出版社から書籍が出ているが、本当の意味で武士道を歩むのならば、武道の修行に通じることになる。これなくしての理解は、「論語読みの論語知らず」の領域であることを免れない。

 このような我が国固有の文化を正しく理解し、ひいては継承していくために義務教育である中学校の体育教育課程において「武道」が必修化された。しかし、それを指導するのは師事して修行したことがない、わずか数日の講習だけで黒帯を授与された先生たちなのだ。果たしてこれが、必修化の目的を実現できる手段であると言えるのだろうか。

 

 私が修行している空手道は「武道教育」を理念に置いている。しかし、これは突き方・蹴り方を教えるというものではない。具体的には、極真空手の修行を通じて、人格完成を目指す、ということだ。

 

 極真空手はフルコンタクトで、全力で突く。全力で蹴る。もちろん打たれれば痛いし、苦しい。でも試合で勝つには、そんなことに動じていては望むべくもない。また、実際に全力で突く、蹴ると意外なことが分かる。打った方も相当に痛いのである。

 これに体を適応させるには、ひたすらひとの身体を突いて蹴るしかないし、突かれて蹴られるしかない。そこには強くなりたい自分のために、相手の身体を借りる必要がある。そのためには礼節を尽くさなければならない。

 人に優しくなるための条件は、苦しさを知っていることだ。本当の痛み、苦しみを知るからこそ、人にそれを与えないよう配慮する。それが積み重なり、やがて優しさへ変わっていく。

 とてもここには書ききれないほど、先人たちが武道に込めてきた思いがあり、それらの「ふるきをかんがえること」が稽古たるゆえんだ。また、「武の(道)を歩む(場)」ということから道場といい、練習場などとは言わない。

 私自身、空手着の道衣に袖を通して19年の歳月が経った。人間で言えば、ようやく自分でものごとを考え始めるようになった頃か。まだまだ若輩者である。

 

 拙いなりに、武道教育のもつ意義を啓発していきたいと、現在、福島県で自身の空手修行の傍ら活動している。極真空手から武道の精神を取り除き、勝敗のみに終始していては、それは武道ではなく格闘技である。ところが、最近は稽古している本人たちよりも保護者たちが率先して格闘技と勘違いし、自身は全く経験のないことを差し置いて子供に厳しいアドバイス、叱咤激励をする。これでは我が国の教育も危なくなるわけだ。

 

 私たちは、春がくれば花見をする。しかし、花見は何も春だけに限定する必要はないし、夏にひまわりを眺めたってよい。にもかかわらず、桜の花を求めるのは、精神が失った一部を無意識に求め、原点への回帰をしたがっているように私には映るのである。

 

 武士道について書こうと思いましたが、これはガチで本一冊とかになってしまいかねない文量でした。さわりのさわりだけですが、ひとまずこれにて。