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いろは。

手帳・文具中心の雑記系ウェブログ。

ほぼ日のお言葉について

手帳 雑記

 

 トイレではまるでイスラム教徒のように祈るときがある。だいたい深夜に目を覚まさせるような腹痛は、「天におられますわが父」のような大将軍様とかに祈りを捧げないととても生きては出られないような威力を秘めている。

 

 ここまで書いて、自分が何についてのブログを書こうとしていたのかその意図を失してしまい、途方に暮れた。トイレに立て籠もることを皮切りに私は何を語ろうとしたのか。私が理解できないほど、器の底の見えない自分が末恐ろしい。

 無慈悲な腹痛のとき、私はいつも迷う。ゴミ袋を抱えて入室すべきか、ぜったいに吐くまいと決意して、我が身一つでパンツを下ろして便器に鎮座するか、二つに一つだ。

 

 しかし、そんな上から下からの見事な怒涛のコンビネーションの山を越えると、少し楽になってくる。この安堵感が厄介で、人間はどんな行動をしでかすかわからない。

 私は何の意味もなく、トイレットペーパーの引き出し口を、まるでホテルのように三角形に折りたたんだことがある。それをみて浮気を疑われたことすらある。しかし、私はいいたい。人は苦難を乗り越えたとき、その安堵感から、論理では説明できない行動にでることがままあるのである。

 

 ところで、趣味手帳の先駆けとなった『ほぼ日』をご存じだろうか。おそらく、このブログを読んでくださっている諸賢からすれば、1日1ページスタイルを定着させたパイオニア手帳として認知されていることと思う。

 この1日1ページのスペースには、『ほぼ日刊イトイ新聞』のコンテンツの中から厳選された「お言葉」がひとつ掲載されている。このお言葉を巡って、ほぼ日ユーザーの間でもその是非が、まるでリオのカーニバルみたいな熱気で問われている。

 

 私は1年程度使っただけなので、その是非を問うほど入れ込んでいない。そもそもお言葉が「邪魔だ!」という人々に対しては「システム手帳使えば解決するよ」という伝家の宝刀で切り捨てて回りたいくらいだ。しかし、そこはぐっとこらえて、ほぼ日のお言葉に目を向けてみよう。いまだユーザーの声を拾って進化し続けている手帳である。ここに私の提案をまとめておくことで、もしかすると採用されるかもしれない。それを切に願って以下に記す。

 

 

ゆるいお言葉

 これがなければほぼ日じゃない!というほどまでに特色の一部になっている「お言葉」。これがとにかくゆるいのである。たまにはゆるみたい日もあるだろう。しかし、日に日にゆるい言葉が続けばどうだろう。

 人間に置き換えてみればすぐにわかる。ゆるいのが続けばそれはすなわち下痢である。私個人としては、軟硬織り交ぜた形にして、もうちょっとパンチをきかせてみてはどうだろうか。ゆるいおことばは休日とか祝日だけでいい。

 

パンチのきいたお言葉

○今日は一週間のはじまり。ムカつく上司に先制パンチを食らわせて幸先のいい一週間を。今日で、決まる。

○ばれた瞬間、それはセクハラになる。けれど、ばれずに認知されなければ、それは存在せず、セクハラは発生しないんだよ。

○たいがいの幸せって、お金があれば実現できるんだ。

 

 ちょっと毒を含んだようなのもあってもいいと思うんですよね。刺激になるようなら、お言葉がページをめくる楽しみになる。修造カレンダーばりの勢いがほしいところ。

 

会議で使えるフレーズ集

○今、おっしゃったこと。要点だけを簡潔に、もう一度お願いできませんか。

 聞いていなかったとき、不意に話を振られたら毅然とした態度でこう返そう。何も言わずに、相手へ投げ返す。これが会議の極意だ。

 

○仰りたいことはよくわかります。しかし、もう少し多角的な視点から検討した方がいいのではないでしょうか。

 相手を傷つけることなく、かつ自分が上の空だったことをカモフラージュしながら煙に巻く。いかに自信たっぷりに発言できるか。それがカギ。

 

○良くも悪くも、特に何もありません。

 良くも、悪くも。このフレーズだけで発言内容が締まる。たとえ、何も考えていなくても。

 

 こういうのあると、嬉しいですよね。

 ってこういうこと書いておいていうのもなんですが、自分はシステム手帳ユーザーなので書いてもしょうがないじゃないか。そもそも関係なかった。

 

 私は必要だというタイプですかね。何も書くことが無い日は、お言葉に対して突っ込みを書いていると思います。

   例えば厳選されているにしろ、全体として手帳のイメージを壊さない、または沿うように選ばれているわけですから、どうしても中だるみが出てしまいます。けれど私たちの生活もその通りで、仕事に邁進する日もあれば、一日中、女体について思いを馳せている日だってあるわけです。

 

  お言葉は重要なファクターでありながら、あくまでほぼ日を演出する一要素です。意外な発見とか、目から鱗がすっとんでくような飛んだお言葉があったらそれはそれで面白いと個人的には思うのです。

 

   中学生のとき、私の友人がこともあろうに、街中でキャッチに配られたポケットティッシュをうら若き英語教師に献上し、翻訳を試みたことがありました。

   それはセクシャルな漫画で、セリフがすべて英語で書かれていたのです。学業評価は、関心、意欲、態度をもってする。そう謳われていたのに。並々ならぬ関心と意欲をもって翻訳を試みたところ、たちまち学活が開かれ、さながら魔女狩り裁判のようになったことがありました。これだってちょっとした「いいまつがい」です。

 

   人は安堵の中にも刺激を求める生き物だ。それこそが人生のクオリティに影響することも少なくない。

平穏の中のイレギュラーは、トイレットペーパーの三角折りのようにすごい波乱を呼んでくる。

 

 

  なんでもない日を面白くすることができたなら、なんでもない人生だって面白くできる。そんな可能性を秘めた手帳だからこそ、攻めの姿勢でいてほしいなと思うのでした。