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いろは。

手帳・文具中心の雑記系ウェブログ。

手帳セミナーで幸せになろう!

 夢を叶えるためにも、目標を達成するにも、行動力がなくては何もできない。私は法治国家たる我が国の司法制度をより深く理解したいと思っていた。

 司法の判断を下す裁判所の存在が、遠いのである。九州と東京で遠距離恋愛を繰り広げているにも関わらず、さらに「距離を置きたい」とか無慈悲に言い放ったかつての恋人なぞよりももっと遠い。それ以上距離をとるならば、私が北上せねばならぬ道理である。

  日本の文化である「禅」では、真の理解とは体験であることを説く。すなわち本当に司法を理解したいのならば、私も司法を体験するほかの道はない。

 そこで実弟を相手に民事訴訟を起こすことにした。お互いの了解のもとに、代理人*1を立てずに、お互いが攻め合い、司法の場で決着をつけるのである。

 

 しかし、特に何かをされたわけでもないのに訴えを起こしても、裁判所は私の体験のために裁判してくれるほど暇ではない。何かしらの訴える理由が必要である。

 

刑法二百三十一条 事実を摘示しなくても、公然と人を侮辱した者は、拘留又は科料に処する。

 

  弟の顔は、公然と私を侮辱するものであるので、構成要件を満たすだろう。満たさなくとも、どう司法が判断するのかを体験できればいい。 形式上損害賠償は請求するけれども、払わなくていい。

 これで詳細は煮詰まったので、弟にメールをしてみた。

 「ちょっと裁判のこと詳しく知りたいから、試しに訴えてみてもいい?損害賠償とかは命令でてもいらないから、裁判費用だけワリカンしてくれればいいよ」

 と、簡潔に伝えたところ、「頭沸いてんじゃねーの?」という、とてもシンプルな一文が返ってきた。洗練されて美しい日本語は、必ず無駄がなく短い。むしろ句読点すらない。

 

 私の場合は、行動力はあったけれども環境がそれを許さなかった。目標を叶えることができなかったのである。

 

背景

 いま、社会は閉塞感に包まれている。特に若者世代は、バブリーな時代に比べると所得もそこはかとなくしかない。税金は引き上げられるわ、返ってくるアテのない年金を老人世代に無償献上させられるわ、Majiで切れる5秒前なのである。その一方でうだつのあがらないアデランスを装備したおっさんが政務活動費などとのたまい、湯水のようにお金を使っているのを見ると、俗世から離れて山にでも籠りたくなる。

 私がそれをしないのは、まだなんとかなるという希望を持っていることと、それを実行する度胸がないというただ2点において留まっているに過ぎない。

 

 こんな世の中では、閉塞感が常に漂い、私を筆頭に人々は夢を見る。それは希望ともいえるかもしれない。ある日突然、夢が叶う。ある日突然、大金持ちになる。ある日突然、幸せになる。

 「ある日突然」というのが重要だ。いまこの先の見えない息苦しさ、携帯を前に正座させられて浮気を問い詰められているかのような空気に耐えていることこそが修行で、ある日突然にそれはやってきてほしい。

 誰も思いつかないような斬新なアイデアを、具体的なビジョンにまで落とし込んで計画を可視化し、管理しながら実行していくとかそんな類ではなく、降ってきてほしいのだ。宝くじの一等にあたる、大金を拾って持ち主が現れない、なぜか毎日、口座に数十万円が根気よく振込まれ続けるとか、そういう希望・夢だ。

 このような先行きの見えない経済状態に社会が陥ると、詐欺やそれに近いものが横行するようになることは知られている。この中に、最近は手帳も無関係ではいられなくなってきたのだ。

 

夢の売り方

 そもそも夢それ自体を売ることはできない。人それぞれ全く異なるものをどうして売れようか。男性全員にサガミ特製避妊具を一律特大サイズでの配布を強要するような暴挙である。

 よって、夢を売るよりも、「夢の叶え方」、「幸せの呼び寄せ方」などでその価値を売り出すようになる。

 

説得力はあるか?

 どんな売り方をしていようが、その売り手に説得力があるかどうかが大事な判断基準の一つとなる。

 説得力は大事だ。例を挙げてみよう。「茶髪やピアス、服装なんかの外見で人を判断するな」と人は言う。

 

慶應大学の「ミス慶應」を運営する慶應義塾広告学研究会は4日、今年開催予定だった「ミス慶應コンテスト2016」を中止すると発表。同大は清家篤学長名の告示で同研究会の解散を命じたと発表した。9月2日に活動の一環で滞在していた宿泊先で懇親会を行い、複数の未成年が飲酒したほか、指名して強要する行為などが認められたという。

yahoo news

 

 大学では程度の差こそあれ、ある程度の未成年飲酒や強要はあるが、暗黙の了解となっている。救急車で運ばれて死人が出たり、警察沙汰にでもならないように慎ましくお酒を学んでいく場でもある。未成年の飲酒を肯定する意図はないが、ここでは現状を事実として書いておくにとどめる。

 

 しかし、このニュースだけで学長名による解散命令とはいささかいきすぎではないか。学長がブチ切れるほどの案件だったのであろうか。

 

 どうやら一人の女性生徒を集団強姦してプチパラダイスをつくった疑惑が噴出している。パーティピーポーとはかくも恐ろしいものなのか。事実かどうかも分からないことで彼らの所業を叩くのはいかがなものか。という声もあるだろう。大半が真面目な学生であり、広告のありかたについてその手法やデザイン、広告ルートなどを研究している。ごく一部の素行の悪い学生による行為で、彼ら自身も被害者なのではないか。そもそもそんな酒池肉林な事件の真偽すらまだ分からないではないか。

 そこで次の写真である。

 

 見た瞬間に全てを察することができるほどの説得力。

 

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 広告学研究会の彼らは、彼ら自身がさまざまな媒体に掲載されるという前代未聞の広告効果を残して星になった。まさに有終の美を飾ったのである。これほど説得力を実感できる例が、未だかつてあっただろうか。

 

 かれら自身が広告のフリー素材になりかねない勢いで、電脳世界においてウルトラマンみたいに「シェアッ!」とかされている状態である。これほどの説得力をもったセミナー講師の写真を、私は目にしたことがない。

 

 

手帳セミナー

 手帳セミナーも、たとえば「はじめての手帳使い方講座」だとか、「バーチカルを使ってみよう」だとか、そういうレベルのものであれば理解できる。他にも「手帳マニアの世界」だとか、「趣味としての手帳講座」だとか、事実を事実として伝えられる範疇のものだ。

 これにお花畑が咲き乱れると「人生を成功させる手帳」だとか、「幸せになるための手帳」、「夢を叶える手帳」などもはやなんでもありである。

 

 もちろん人生を成功させた人、幸せになった人、夢を叶えた人が開くべきセミナーであるはずのだが、たいがいにおいて講師のみなさまは「人生に挫折して、俺はもう手帳セミナーで稼ぐ」という決意にも似た悲壮感が漂ってらっしゃる。

 

 説得力を得るには実績が必要だ。さきほどの慶応大学の一騎当千なみなさんは、もうその実績が髪の色、服装、姿勢、眼つき、などいたるところに刻み込まれているのをご覧になっただろう。これほどまでに空気で語る例は少ないが、職歴や学歴などで説得力はより強固なものになる。

 しかし、目標がブチ上げられてて途方もない。「幸せになる」とか大乗仏教が目指してそうな目標を掲げてる一方で、セミナーの方が貧相なのである。仏陀やキリストどころか、社会人としての面影すら危うい。

 

 他の人をモーセみたいに導く前に、まず社会を知って!

 とエールを送りたくなったりすることも珍しくなく、見ている方としては複雑な気持ちなのである。

 

 もし、手帳に興味をもっている方がいたら、その使い方を求めてセミナーを受けるときには「事実を事実として伝えるだけのセミナー」に限定した方がいいことを覚えておいてほしい。そして、そのようなセミナーであれば、わざわざお金を出さなくても良質な記事の雑誌やブログが、たくさん読めることも。

 ゆめゆめ落とし穴にはまらぬよう。幸せになろうとしているのは、成功しようとしているのは。他ならぬ、それを開いている講師自身が、閉塞感から逃げだそうとセミナーにすがってくる人々を利用しようとしているに過ぎないのだから。

*1:弁護士の民事裁判における立場