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いろは。

手帳・文具中心の雑記系ウェブログ。

『東大教授が教える 独学勉強法』

書評

 

 

 

 「学ぶ」ということは、学校を卒業しようが学位を得ようが、生きている限り続くことだと思う。それゆえに、わけのわからない文章を桃色な表現で振りまいている僕だって勉強しているし、これからも続いていく。

 文具クラスタとしては、表紙の味があるLAMY Safariのイラストに心を奪われがちけど、独学勉強法について。

  この本は、ノートの使い方やテキストの選び方、過去問・模試の活用方法などの軟弱な情報を与えるような貧弱な本ではない。そのような小手先のテクニックを学びたいものは即刻立ち去れぃ!本書は、勉強の魂を伝える本である。

 

 人間はなぜ学ぶことが必要なのか、勉強の姿勢とは何か、なぜ私は卑猥な分野においてのみ博覧強記なのか。いろんな疑問があったが、ほとんど本書がその疑問に応えてくれた。ほとんどと書いたのは、最後の私の得意分野についてのみはかすりもしなかったためである。

 

 勉強は、そもそも「強(し)いられて勉(つと)めるもの」であることは明白だ。では、何に強いられるのだろうか。それは他ならない。おっぱいであると私は断言できる。

 

 なぜならば、男は阿呆だから女性とねんごろの仲になりたい。まだ幼く、冬の真っただ中に「標準服」と称した半ズボンでドッヂボールするようなわけのわからない季節感の子供の時代。クラスでは足が早ければリレーの代表選手とかになってモテていた。いや、僕ではなく足の早いその子が。僕は足が飛びぬけて早い方でもなく、どっちかといえば腰のワイルドガンの方が圧倒的に早い。

 

 けれど、中学、高校に進むにつれて大きく女子の価値観は変わるようだ。いくら足がはやくても「箱が空っぽだ」という読みのテストに対して「そらっぽだ」とかとんちんかん極まるような男子に魅力は感じないらしい。因数分解もできないような男子は、高校の中で魅力を失う。

 社会に出たところで、足が早いことなど何の足しにもならない。世界記録保持者とか、頭5つくらい飛び抜けているような有名人ならまだしもである。けれど、そんな記録を持っている人たちは往々にして社会に出ず、ひたすら己を高めているのである。

 

 一方、小学校のテストの点数はやがて偏差値になり年収へ、と男を測るモノサシは変化していく。経済力さえあれば、とりあえず誰かしらと結婚はできる。いい年した大人たちが、投票券や握手券を求めて札束でシバキ合いをしているが、価値観とは本当に多様なものである。しかし、経済力がなければ門前払いかそれを上回るクリーチャーしか受け皿がない。

 

 同級生に、青い翼の航空会社でCAをしている友人がいる。入社から数年経ったころ話を聞いてみた。百戦錬磨で、あらゆる合コンを繰り広げてきた一騎当千な彼女たちも恐れる相手がいるという。それは「メジャーデビューを目指してるバンドマン」という名のフリーターだそうだ。勉強とは、自分自身を充実させると共に、男からすれば経済力や社会的地位を築く、有効な手段である。

 

 正直、僕は具体的な、冒頭で言う所の軟弱な情報を求めて本書を購入した。ノートやペン、テキストの使いかたなんてとても心躍る。しかし、「学問を修むるということは」とか板垣退助みたいなひげで講釈するような内容であった。僕が落胆したことは言うまでもない。

 

 もちろん勉強の目的やあるべき姿、気概のもちようなど学ぶところは多い。目的がはっきりして、正しい姿勢で勉強に臨めばその目的も達成できるだろう。文章を駆使してあらゆる女性を籠絡する、怒っている女性の気分を直す、顔面がビビデバビデブーな同僚の女性をみずみずしい感性で罵倒する。その目的のためには、世の中のことについて謙虚な眼をもってして広く見つめなければならない。

 

 いま目の前にあるおっぱいは真か偽か。

 そんなデカルト先生みたいな疑いをもって、理性の明証性によって導かれなれば、私たちは目の前のおっぱいにとびついていいものかどうかすら判断できない、悲しい生き物なのである。

 そして世の中はそんなシンプルな問いだけでできているのではない。疑問に疑問が絡み、もはやくんずほぐれつ。疑問なんかと絡まなくていいが、妙齢の女性とはくんずほぐれつを望むところである。むしろ切望している。誰か!!いや、それよりも。

 目の前のおっぱいか真か偽かの判断を下しても、さらにその次には、美人局か否か、というこれまた難解な問いが待ち受けているのである。

 

 心は開いてくれなくてもいいが足は開いてもらいたい僕であっても、本能のままに飛びかかるというのは人間としてどうかと思う。お前に言われてはおしまいだという声も最もだが、そのようなときこそ人間は冷静に思考できるからこそ、人間なのだ。考えるという行為は、私たちのアイデンティティでもあり、誇りでもある。だからこそ、その正しい姿勢は学んでおいて然るべきだろう。

 

 独学とは、独りで学ぶ、孤独に学ぶということだ。そこには自分という存在が、何かを吸収しようと知的格闘を挑むことではじまる世界がある。何を学びたいのか、どう学びたいのか。いまいちど僕はそれを見直して、自分の世界に挑んでいこうと思う。どうせもう引き返せないのだし。