手帳の未来予想図
今の自分の惨状を顧みると、未来のことを考えずにはいられません。人は成長していく生き物です。今現在において破廉恥の権化みたいな記事を、絶えずインターネットの世界へ垂れ流しつつ付けています。
これが数年後、成長してもっと卑猥なものを並々と注ぐようにインターネット界へ供給すれば、そもそも需要がどこにあるかもわからないまま提供し続けているので、ピンク経済モデルは破たんを免れません。
スマホはアナログ手帳を駆逐するか?
同じようにスマートフォンも進化を続けています。かつて僕が小学生だったころは、卑猥なものと言えば文章でした。殺意を覚えるようなイラストの横に官能的な文章が綴られています。
僕の想像力が豊かだとするならば、間違いなくこのような卑猥文書と知的格闘を繰り広げるうちに育ったものだと思います。
今時の子供たちは、コンビニで買えばDVDがついているし、スマホやパソコンのボタンを押せば、モザイクの向こうまでイッテQみたいなノリで見ることができます。これは幸せの代償として、「想像する」という知的格闘を経験しないで終わってしまいます。そんな貧弱なもやしっ子あおびょうたんに、僕らの文書自家発電ジェネレーションが敗北を喫するはずがない。
とはいえ、スマホのそのような進化はさておき。別の面では確実に便利になりました。例えば、Googleカレンダーは複数のデバイスで同期できるので、どこでスケジュールを打ち込もうがスマホで手軽に確認できます。
また、デジタルの特性を生かして、ToDo管理もできるし、リマインダーを設定すれば向こうの方から私たちに予定をお知らせしてくれます。これはかなりの進化です。
ゆくゆくはスマホはアナログ手帳を駆逐し、もはや手帳は物好きだけが使う、古い道具になってしまうのでしょうか?
情報価値の崩壊
インターネットが普及し、さまざまな知識が集積され、それにスマホを介して簡単にアクセスすることができるようになりました。便利になった反面、「情報」の価値は大きく崩壊しました。
ためしに「女性器」と検索窓に入力して画像検索してみました。するとどうでしょう。医学的解剖図みたいなものから助産師の実習に使いそうな模型、なぜか牡蠣(かき)の写真とかが出てくるではないですか。
普段はモザイクががっちりガードしているものを、インターネットはたやすく破ります。そして、解剖図や模型によって立体的に理解できるし、もはや「エロ博士」などを超越した「女性器研究専門家」になれます。性病の根絶とかに取り組むようになるかもしれない。Master of 女性器 Administrationになれる。
これは一見、卑猥なことだけを書いているかのように見えますが、要するに「情報そのものの価値」はほとんどなくなったことを示しています。昔は女性器を家族以外の者を間近に見たものは、剛の者としてロトの紋章とか賜りかねない英雄として扱われました。しかし、いまはインターネット一つでこれです。
つまり、
これからは、情報そのものよりも、その使いこなし方に価値が見出される
ということです。
よく叫ばれる「情報リテラシー」も、その使いこなす上での原則のひとつとして位置づけされます。情報の価値が大きく変わったことは、念頭に置くべきでしょう。
手帳をどう位置付けるか
どれだけの情報か、という点で言えばインターネットに手帳は勝てません。情報量では圧倒的に負けますし、そもそも勝つ必要がないのです。そこで視点を「どのような情報か」という点へシフトしてみましょう。
例えば、一世一代の大勝負をかけたデートのお誘いで、なんとか女性から食事OKの返事をもらいました。さてどんな店を予約するか。
このとき、女性の趣向が大きく関係します。フレンチが好きかもしれない、料理はそこそこでお酒のおいしい店がいいかもしれない。
では、例えば「おいしくておしゃれなフレンチ」と絞ったとしましょう。Googleで見ると、0.51秒で約1,560,000件の情報を引っ張ってきました。この中から予約する店を選ぶのは、無意味なピストン運動に等しいです。
やや極端な例ですが、実際のこのよなシチュエーションになったら、たとえば千葉県、とか○○市とかいう情報を加えて検索しますよね。つまり、情報を活用するにはパーソナライズという過程が必要になります。
自分の家の近くなのか、職場からのアクセスがいいところなのか。インターネットには膨大な情報が蓄積されており、その中からいくつかの独自のフィルターをかけて私たちは情報をくみ取ります。
けれど、実は逆からくみ取る方が効率が良い場合もあります。例えば、食通の職場の先輩がおすすめしてくれたお店。最初からかなりフィルターがかけられているので、いきなり活用することも可能です。
レストランでなくとも、「同じ趣味の仲間から勧めれられたマンガ」とか、「地元の人がおすすめしている地酒」などなど目を向けてみると、すでにパーソナライズ加工された情報がごろごろしています。
このような既にフィルター加工された情報を拾って手帳に収めていけば、自分専用のデータベースの基(もと)ができます。そこから取捨選択を初めていけば、さらに充実していくでしょう。これはアナログだからこその強みでもあります。
クリティカルな情報の管理
いろんな情報が僕たちを取り巻いていますが、それらすべてが公開して構わないものではありません。むしろ知られたらだめなことの方が圧倒的に多いです。
例えば意外なところで、自宅の郵便番号。転勤族だと覚える苦労のわりにメリットが少ないけれど、年に何回は必ず困るといったもの。手帳の連絡先シートに自分の住所など書いていますが、インターネット上に置くのが心ひけるのもまた事実。
友人、仕事関係の重要な人たちの携帯番号、住所などもアドレス帳で管理していますが、Gppgleコンタクトに置いておくのも不安です。
その点、アナログは紛失や盗撮さえ気を付けておけば大丈夫です。セキュリティ的にはアナログの利点は見直されるべきでしょう。
また、震災を経験して仕事では翼を授かりそうなくらいの修羅場を経験しましたが。いざというとき、確実に頼りになるのはアナログです。電源が落ちてしまえば高性能パソコンもポンコツ以下で、うんともすんとも言いません。
その点、アナログは過去の情報の開示も、ペンやえんぴつさえあれば情報の追加も容易にできます。この点は手帳の大きな魅力にもつながります。
僕は普段、1冊の本を持ち歩いています。電車の待ち時間が1時間弱とかもザラにあるのですが、本さえあれば何ら待ち時間が苦痛でもないのです。むしろ落ち着いて読める時間の確保なのでありがたい。
こんなとき、ゲームをしようとスマホを取り出したら、バッテリー残がわずかだった、なんてことは誰しも経験があるのではないでしょうか?アナログには、その問題がありません。
自分の究極の1冊を、創る
ここに書いてきたことは、デジタルVSアナログという不毛な争いではありません。例えるなら二つは軸でつながった両輪です。
豊富なインターネットの情報から、独自のフィルターにかけて慎重に選択した情報をくみ取っていく。その中で特に大事なものを手帳に保存していく。やがてそれは積み重なり、自分だけの1冊になっていきます。
情報源はインターネットだけではありません。新聞、チラシ、雑談の中、いたるところに潜んでいます。自分で悩み、考えて出てきた思考も情報源の一部です。その中から自分が大事だと思ったものを、全て手帳に放り込んでいく。まるで情報のおもちゃ箱なのですが、それにわくわくします。
思えば、生きるか死ぬか、みたいな深刻なスケジュールは忘れようがないでしょうし、スマホで事足りるというならば、それはあなたの中でスケジュールという情報の優先度もそれなりだと言うことです。
たいして重要でないものなら思い切って手帳から省いて、スマホに任せる。そんな情報分割の境界線だって自由にひけてしまいます。
スケジュールをGoogleに預ける分、アイデアのリフィルを追加して使おう、バインダー自体をコンパクトにしてみるか、など個人のライフスタイルに合わせて変化することができます。
僕が思うに、アナログがデジタルにとってかわられることはないと思う。でも、これから先、アナログの魅力も強みも分からない世代が増えてきたとき、どのように転ぶかは予想できない。
なんにせよ、趣味で使うにしろ仕事で使うにしろ、共通の課題として、後世へアナログの重要性、利点、強み、魅力をつたえていかなきゃならなと思いました。
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