Personal Organizer Lab.

システム手帳・文具中心の雑記系ウェブログ。

手帳を使うための原則について

 考具の場合、それがビジネス的な使い方であれ趣味的な使い方であれ、一つの心がけていることがある。それは、自分への投資を止めないことだ。

  いわば手帳も万年筆も、己の中に湧いた発想やアイデアを、紙の上に具現化するための媒体でしかない。もちろんそれらの質によって、具現化されたものの質も多少左右されるだろう。けれど、本質は別にある。

 

 創作、例えば絵ならば。美術館を巡ればいろんな構図に出会い、色の重ね方に刺激され、ものを切り取る眼の精度があがるだろう。

 仕事ならば、効率的な情報の整理、業界の最新の知識、ビジネススキルなどの情報を蓄えれば、自分に湧くアイデアや、閃く発想の質もおのずと異なってくる。

 

 くみ取るものがなにもなければ、干上がった湖のほとりでポリタンクをもって構えたまま、時が無為に過ぎるだけだ。手帳という知識のタンクをせっかく手にとったなら、綺麗な泉がコンコンと湧くような場所でくみ取りたい。そのためには、自分への投資を止めないことだ。

 

 いくらポリタンクやひしゃくにこだわり、ものすごい性能を誇っていたとしても、肝心の水が湧いてこないでは、これらは無用の長物に成り下がる。

 

 手帳の使い方にルールはない。完全に自由である。だが、だからといって原則がないわけでもない。自分への投資を続けることと、手帳をどんな形であれ使い続けることは大事だ。

 

 いわゆるライフログだって、ライフの質とログの質は相関関係にある。一日中、引きこもってなにいもしなかった一日のライフログと、積極的に外へ出て自分のしたかったことを消化しきった一日のライフログでは、間に大きな壁があることだろう。

 

 僕の場合、ビジネス寄りの使い方をしてそうなイメージがあるが、それはこの際はっきりと否定しておかなければならない。単に、スケジュールのほとんどが仕事か空手かだけになっているため、そのようなイメージになっているだけだ。

 

 自分での使い方は昔も今も変わっていない。「考具」として。考えるための道具として手帳もペンもノートも使っている。自分の予定について、したいことについて、叶えたいことについて。それぞれの目標を達成するには、何を目印にどこまで分解できるかを考えて、一つでも何かを実現する。

 

 それはお金のこともあるかもしれないし、ついいくつか前の記事でベールを脱ぎ捨てたAV女優リストなどでもあるし、これからまた何か思いつくかもしれない。仕事のToDoなんて線引きはもったいない。すべては僕の人生のToDoだ。

 

 ルールはないけれど、手帳との付き合い方はもっておいた方がいい。それが強制されるような付き合い方であれ、ゆるい付き合い方であれ。これが僕の原則だ。それは徹底した主従関係の契約でもあるからだ。いつからか主従が入れ替わり、手帳に自分が振り回されないよう、そのために。

 下半身は振り回されているが、私自身はぶれていない。