Personal Organizer Lab.

システム手帳・文具中心の雑記系ウェブログ。

空の飛び方について

 ただいま、ショートカットでさばさばしたボーイッシュな恋人と、ネットカフェにて聖夜前の前哨戦を繰り広げている。あろうことか、マンガに読みふけっている彼女を横目に、ここで惜しげもなく披露した前戯的な詳細を事細かにブログに綴ろうと試みたが、やめた。なぜならそんな恋人はいないからだ。

  今、僕はネカフェにいる。男らしいというかむしろ男の要素しかない個室の中で、このテキストを書いている。あまりの男らしさで現代を生き抜き、傷つき果てた自分を抱きしめてやりたい衝動に駆られるが、三十路ちょっとの男だ。誰が抱きしめたいものか。

 

 このエントリーを読んだ人が、クリスマス・イヴに読んだらあまりの悔しさに白目むいて痙攣しながら倒れそうないちゃつきぶりを書いてやろうとした。その力作が五千字をカウントしたあたりで、テキストを打っている僕自身が悔しさのあまりに卒倒しかけてしまった。カクヨムのノンフィクションとかで大賞をとれそうな力作だったが、いかんせんフランス書院なみのフィクションであるからそれも自制に至る。

 

 ネカフェのパーティション。目の前には鎮座したでかいディスプレイ。その視界の7割を占めているところに、自分の精神を痛めつけるようなテキストを打ち込んで、自ら逃げ場のないセルフ拷問を開始してしまったことに気付いたときにはすでに遅かった。

 

 もはや空でも飛んで逃げるしかない。そう思ったけれども、冷静な思考で考えるとそれも難しい。

 

 僕は、ポッタリアンで原作のUS版や映画も観ているが、一つの仮説を持っている。ここで初めて明かす仮説だが、彼ら魔法使いはきっとホウキを持ってなくても空を飛べるに違いない。ではなぜに、律儀にホウキにまたがるのか。

 

 いま、 僕は愛と勇気だけが友達な状態で、お空を飛んで逃げなければ、自ら掘った深い穴に、進んで自ら身を投げ続けるような悪循環に陥ってしまう。あまりにアクロバットすぎて一人コルテオみたいな状態なのだ。

 

 だから空を飛んで逃げようとするのだけど、空を飛ぶポーズが分からない。

 

 もし、このエントリーをここまで読んだ暇な人がいれば考えてもらいたい。あなたが自由自在に空を飛べるなら、どんなポーズで空を飛ぶのか。

 

 オーソドックスに考えるなら、体は地面と平行に傾いて宙に浮かぶだろう。たったまま浮遊して飛んでいくには空気抵抗が大きすぎるし、あぐらや正座で飛んでいくならもはや尊師だ。だから体は地面と平行に浮くとしよう。

 

 まず手をどうするか。気を付けの姿勢で飛んでいくのは、なんだかシルエットが電動こけしみたいで卑猥だ。なによりも僕は知っている。かつて大型バイクでかっこつけて、フルフェイスではなく半ヘルで乗っていた。時速60km/hを超えたあたりから向かい風が容赦なく肉眼を襲い、涙がぽろぽろ流れてくる。昆虫があたったときなど、往復びんたなど比ではない痛みが襲う。当時はやんちゃの盛りだったので、ハードボイルドに咥えたばこで運転した。燃えた灰と火の粉が、慣性の法則を無視して僕の顔を襲った。危険である。

 

 顔を全面に押し出しての高速移動は非常に危険なのである。その日から僕は不良やハードボイルドをあきらめた。

 

 では手を前にだして飛ぶとして、それは片手なのか両手なのか。武人としては、レバー、脾臓などの急所をさらけ出して飛ぶなど愚の骨頂である。バイキンマンは卑怯ものとして描かれるが、急所むき出しのアンパンに対して、そこを突くようなことはしない。しかし、万が一、未確認的な飛行物体と遭遇すれば、容赦なく人体の急所を狙うに違いない。ただでさえ前方に気を取られており、背後からの股間への打撃は懸念されるべき事態なのだ。その上で両脇の急所などさらしてはいられない。

 

 このように飛べたとしても、羞恥心などに疎外されて僕は羽ばたくことができない。しかし、魔法つかいはこれをほうきにまたがることで解決したのだ。

 

 大学生のとき、お酒の勢いが手伝って、友人たちとクィディッチをしたことがある。これはホウキにまたがって、三種類のボールを駆使してゴールした得点を競うという、魔法使いならではのスポーツだ。

 

 僕たちはそれぞれホウキにまたがって、試合の開始の瞬間を待ちわびたが、一向にそれは訪れない。なぜなら僕たちはホウキにまたがっていたずらに股間を圧迫しただけで空を飛ぶなんてことできないからだ。

 

 突如、友人の一人が静寂を破って「うぉぉおおお!」とホウキにまたがって突進していった。突然の暴挙に対して、狙われた友人はひらりと身をひるがえし、頭をはたいた。そこからは魔法使いなのに肉弾戦という、泥沼の様相を呈していたが、いっこうに勝敗が決まる様子はなかった。みんな片手でまたがっているホウキを支えており、打撃に力が入らないのだ。

 

 もはやホウキを投げ捨てて殴ったほうが圧倒的に効率がよいのは明白だったが、そこは名探偵コナンがキック力増強シューズで犯人のチ○コを蹴り上げるような無粋なことをしないのといっしょで、粋と様式美の織り成す情けだったのだ。

 

 かくして僕は翼をもっているのだけれども、その使い方がわからずに羽ばたけないでいる。文章修業として、日々思いついたブログ用のネタ帳をみても、書くべきことはたくさんあるのに、なぜこんなことを聖夜前に書いているのか、自分でもわからない。

 

 修業に明けれくれるほどに自分を見失っていく。そんな不毛のネカフェに、僕はいる。