システム手帳は、カスタムで鈴木杏樹になれるか
今朝、新幹線を駆けおりて駅構内を出ようとしたところに女性がいた。普段、実生活の中で女性にみとれるなんて経験はなかったけれど、今日は二度見せずにはいられなかった。彼女は駅の改札の前で、時間表示版を見つめていた。
それが西野カナにグレムリンを掛け合わせて、平野ノラで因数分解したのち数十発殴打したような顔だったので、見とれてしまうのは無理からぬことだろう。もっとこう、素材を生かした「すしざんまい的」な顔にすればいいのに。無理に化粧や染毛によって、日本人離れしていく必要はないと思うんだ。
いつのまにか日本人どころか、離れすぎて人外的なものになっている人も少なくない。歩くフィクションで「一切、実在の人物・団体とは関係ありません」と主張するような顔面の人だって、多くいると思う。思うというのは完全な偏見による独断で、実際はどうなのかわからない。ただひとつ確かなのは、鈴木杏樹さんの美しさは異常であるという、燦然とした事実だけだった。
ここで意外なシステム手帳との共通点を見出す。静かなたたずまい、何でも受け入れてくれる包容力・母性愛、持ち主だけに従順であるという清廉な姿勢、いつでも側に居てくれる安心、いつまでも変わらない美しさ。システム手帳は擬人化するならば、清楚な黒髪乙女に違いな。断じて、筋骨隆々のむさい男ではない。
本来、美しさというものは儚い。短命・有限であるからこそ、その綺麗さに価値が生まれて美しさとなる。クレオパトラ・楊貴妃・大塚愛といった勢いで、愛くるしかった大塚愛さん。EXILEの右から三番目あたりでヒゲ生やしてそうな音楽家の人と結婚してから、しばらくぶりにテレビで見たときはパンチパーマな頭で出てきましたからね。はっきり言って、時間の流れは残酷だと思わざるを得なかった。
かつて公開した私のシステム手帳に収められている「AV女優セレクションリスト」は、お気に入りの女優のみを年代別に分けて一覧にしたものだった。性癖というのはなかなか厄介なもので、ベルリンの壁もかくやというものだ。
熟女好きやロリコンが、世間から白目で見られ、迫害されるのに対し、「女子高生が好き!」というのは爽やかな印象さえ受ける。私においては、実家の自室にて両親への熟女大好き趣向のカモフラージュのために、女子高生ものの卑猥図書をばらまいたことがある。
木を隠すなら森の中、というのは兵法の基本だが、熟女を隠すのは女子高生の中、というのはもはや酒池肉林以外の何物でもなく、頭がおかしいとしか言いようがない。
本来、卑猥図書そのものを隠すべきで世の中の中高生は四苦八苦している。にもかかわらず、世の中のお母さんたちは息子の部屋を徹底的にあらため、見つけ出した後に、机の上に安置する。何か机がゴールなラグビー的なスポーツと勘違いしているのではなかろうかと思ってしまうくらいだ。
徹底的に迫害されたポルトガルの宣教師がロリコンにあたるなら、熟女好きはその次にあたる隠れキリシタン的ポジションあたりが妥当か。しかし、私は問いたい。
鈴木杏樹さんは、御年47歳なのである。紛れもなく熟女なのだ。しかし、あのシステム手帳的な美しさはなんであろう。金曜の朝はZIPで癒されている。もうZIPは鈴木杏樹さんをレギュラーパーソナリティにした方がいい。仕事をしたくない男たちに、少しでも癒しを与えてほしい。アベノミクスの四本目の矢にしてくれ。
彼女に言い寄られて、一切興奮しないという聖人君子がどれだけ日本にいるだろうか。一時期は加藤あいさんと見分けがつかないと苦悩していた時期があった私だが、改めて鈴木杏樹さんのもつ美しさに気付かされた朝だった。
だから何だと言われれば、私自身も分からない。特に何もないと思う。綺麗だな、こんな人がそばにいればな…、仕事したくない、仕事せずに大富豪になりたい。そんな思いの中の一つだったように思う。
生活の中でいくつものことを考える。それはシャボン玉のように浮かんでは消えてを繰り返し、同じものは二度と戻ってこない。だからメモなどに書きつけて、それを記録しておく。
そんな私の日々にある一期一会を、たくさん知っているシステム手帳が愛おしくてたまらない。頼むから鈴木杏樹さんの姿で恩返しとかに現れてほしい。そう願っている 。
さて、ここまで書いていおいて本題だが、『今週のお題「2017年にやりたいこと」』ということで、それをまとめてみたい。
1.よく寝る
手帳に夢見がちな自分をブン殴って目を覚ましたい。寝言は寝て言え!と主に親族からよく言われるけれど、本当に眠りながらのたまっている寝言ならば文句は言えまい!と、開き直って好き勝手に吹聴してきた。その結果、我が親族の中では、「私の弟は男色家であるが、打ち明けられずに苦しんでいるので本人が言いだすまで触れてはいけない」という鉄の掟ができている。
寝言を言うために、眠りながら生活する術を今年は身に付けたい。
2.寝言とリアルの区別をつける
鈴木杏樹さんはとてもきれいで、可憐で本当に大好きで、手帳と共通するような美しさがある。けれど、手帳が鈴木杏樹さんに見えた、とか言うようになったら、いよいよ可及的速やかに脳外科と精神科の判断を仰ぐべきだろう。手帳には手帳の限界があり、鈴木杏樹さんになることはできないのである。
そんな当たり前のことをちゃんと自覚して、31歳児としてちゃんと生きて行く一年にしたい。
3.ネガティブからの脱却
次にこんなネガティブな自分をなんとかしたい。なぜシステム手帳が鈴木杏樹さんになることはできないなどと断言できるのだろう。それに挑戦もしていないのに、最初からできないなどと諦めている弱い自分を何とかしたい。挑戦を避けない人間へ成長したい。
問題なのは挑戦しようとしても、何をどう試せば手帳が鈴木杏樹さんになれるのか皆目見当もつかないことだ。しかし、早々にくじけて諦めてしまっては、鈴木杏樹さんになるものもならない。やるしかないのである。幸い、私には書物、それらに詰められた英知という強大な武器がある。
やって叶わないはずがない。
2017年は順調に華々しいスタートを切った。きっと2018年には、私のそばに鈴木杏樹さんがいるに違いない。