Personal Organizer Lab.

システム手帳・文具中心の雑記系ウェブログ。

『まずは、書いてみる』

 その類まれなる私の圧倒的な筆力は、高校生のころから片鱗を見せていた。授業で夏目漱石の『こころ』を読まされ、感想文を書かされたときのことだ。

  本来、感想文なんて作品を読んだり観たりした後に、自然と自分の中に巻き起こる感情が主な柱になるものだ。「さぁ、書け!」と言われても、文学よりも卑猥図書の方が圧倒的に優先順位の高いセンチュリーな僕ら。「吾輩は、無理である」とかせいぜいそんなノリで返すしかない、パープリンばかりだった。

 筋骨隆々の国語教師ならばそれでのだけれど、その教師がグラマラス美人だったからまたタチが悪い。みんなが、感想文の執筆に呻吟するなか、燦然と私の感性は輝いていた。

 

 叔父さんと先生の関係、先生とK、先生とお嬢さん。錯綜する人間関係の中で、人間は急に悪人にもなるというモチーフが示される。そして、それを嫌悪していたはずの先生自身もまた、その渦に落ちていてあろうことか大事な親友を追いつめてしまう。嫉妬、猜疑心、愛着心、憎悪。そのときそのときで全く違う顔を見せる「こころ」こそが、人の中に棲み喰う魔物なのだ。

 

 というような感想は一切思い浮かばず、原作ではKとお嬢さんの情事や、先生とお嬢さんの情事も描写されているに違いない。教科書に掲載するにあたって配慮して割愛してあるんだ。文学として教えるならばそのような情事の描写も含めて一つの作品である。そのまま性的な部分を担当する教諭が教えよ。その覚悟が無ければ、国語の教師としては失格だ。

 みたいなスリリングな批判文を書き連ねて、担当教師から呆れられた。結果、順当に筆力はその後も向上し、孤高の変態へと上り詰めた。当然の帰結であると言えよう。

 

 今回、Twitterで交流させていただいている藍玉さんの著書『まずは、書いてみる』が角川さんより出版されました。

 

     

 

twitter.com

 

 だいたい本は、読み終えたら読書メーターに記録しており、本作もそうしていたのですが、藍玉さん自身より

 

という声を頂きました。正気の沙汰なのかどうか一瞬迷いましたが、他ならぬお世話になっている藍玉さんからのリクエスト。応えないわけにはいかない。せっかくならばブログでも紹介しようと感想文を書いてみたのです。

 

『まずは、書いてみる』

 そもそも、何をどう言い張っても紙とペンでしかないものに私たちは熱中しています。しかし、これは裏を返すと「紙は使い方によっていろんな価値を生み出せる」ということです。紙は、使い方によってスケジューラーにもメモにもノートにもなる。これってすごいことですよね。

 さらに思考を発展させれば、紙は、ティッシュにもなって、思春期の男性の性欲を一身に受け止めるし、卑猥雑誌の媒体として活躍して性犯罪抑止にも貢献できる。発展どころか人として退化の一途をたどっている気がしますが、紙は使い方によって千変万化した役割りを果たします。ちょうど冒頭で触れた、人間の「こころ」のような化け物でもあるのです。

 

 紙を手帳として使う、ノートとして使う、メモとして使う。いずれの使い方にせよ、その根幹をなすのは「書く」という行為です。アナログへの原点回帰が注目される中、本書はそのアナログの中でも本体を成すための「書く」という行為へのアプローチを試みます。

 「書く力」という基礎体力があれば、単なる紙をスケジュール管理から自己実現まで幅広く活用することができるのですが、どうすればその基礎体力を得られるか。その問いに本書は、一貫して「何かを少しずつでも書き続けること」を暗に示しているように思います。

 そのためには、難しく考えず、シンプルに書き込み続けること。使い方、書く内容に正解はないということを示すために、いろんなユーザーの実例をフルカラーで紹介してあるところも本書の特徴の一つと言えるでしょう。

 

 手帳を使い始めた人にとって悩みどころなのは、「できてしまうスぺ―ス」。特に1日1ページの大容量を誇るほぼ日手帳においてはこれに悩む人も多いのでは。しかし、その余白も「あとから手帳の情報をアップデートするための余白」として肯定的に説いているのも初心者に優しい内容と言えます。

 

 このように、本書はどちらかと言えば、手帳やノートを手にして間もない初心者向けの入門書として最適ではないかと思うのです。メーカーで言えば認知度的に、その企画内容的に「手帳界のSODクリエイト」。

 

 男性が必ず通ると言われる人生の疑問のひとつに「女性も自慰行為をするというのは事実かフィクション(虚構)か」というものがあります。私も義務教育や高等教育で教授されてきた数学的アプローチ(多数決、アンケート)や保健科学的アプローチ(教科書には明言されていない)によって真相を究明すべく試行錯誤したものの結局、分かりませんでした。

 マーケティングにしろ何にしろ、全ては現場を見なければ分かりません。そして答えは必ず現場にあるのです。よって私も自らの理論を駆使して解明するよりも、直接聞いた方が早いし確実という、至極当然でありながらかつ頭がおかしい結論にたどり着いたのです。

 

 「想像に任せる」。私がアリストテレスみたいな雰囲気で問いかけた女性の友人はそう答えました。しかし、想像とは常に羽ばたくもの。特に私のようなアレは、尋常じゃない羽ばたき方をするものです。かてて加えて、彼女は想像に任せる、と私に一任したのであって、その責任は重いものと言わざるを得ませんでした。

 彼女の期待に添うべく私の想像は力強く羽ばたき、バターと犬のペットを使って動物虐待にきわどいラインでことにおよんでスリルを楽しんでおり、虐待どころかむしろwin_winな関係というところまで想像した段階で、本人からギブアップと無慈悲な想像禁止が宣告されたのでした。

 

 人の想像力とは常に自由で、それでいながら浮かんでは消えていきます。それを捕まえる術は、紙に書きとめておくしかない。2日前の夢の内容を教えて、と言われても私たちは思い出すことができない、悲しい生き物なのです。

 常に降っては消えていく。それを一つでも多く拾うためには、常に紙とペンを持ち歩いていること。そして「書く力」が必要になります。

 

 時に現代ではいろんな情報が溢れ、私たちは情報を求める時代から、正しいかどうか判断する時代になりました。いまとなっては新人研修合宿の場にて、同僚のS君が「妊婦ものが好きなんだって」という根も葉もないことを周りに吹聴して激怒されたことも懐かしく感じます。

 

 日々流れていく情報は、まず正しいかどうかを見極める。取りこぼさない。適切に管理する。大きくわけてこのような取扱いに分かれていくのですが、それが手帳であれメモであれ、まずは基礎となる「書く力」すなわち書くという習慣が大事なのは言うまでもありません。書く内容ではなく、その行為そのものが習慣付けされているかが重要なのです。

 その他、巻末にはQ&A方式で、手帳の使い方について解説が付してあったり、とても分かりやすい内容でした。紙面に出てくる実例のノートや手帳の楽しさは読む人を自然に惹きつけ、その効用だけではなく楽しさも教えてくれる一冊でした。

 

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     情報が溢れ、それに翻弄される人も少なくない時代。人はそのモラルとリテラシーによって、情報を正しく捉え、判断し、読める「はず」であっただろう。しかし、現実ははたしてそうなのか。

 まずは、書いてみる。

 それは手帳、ノート、メモ、ログなど紙を徹底活用するための、究極のスキルだった。