いろは。

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「プロ市民の流儀」 私の場合

 『プロ市民』 その名のとおり、報酬を得ながら市民としての権利をぶいぶい言わせる人々のことです。ワシントン・タイムズ紙がトランプ大統領への抗議活動に参加した人たちの一部へ多額の報酬(約30万円)が支払われているという情報をすっぱ抜いていました。

 就任前からファニーな雇用を創出し、前人未到の領域でマスコミと対立する新米大統領トランプ氏。大統領就任のその裏で、一部北斗の拳な民たちが蜂起して窓ガラスなどを木っ端微塵にしている様子をニュースで目にしました。

 日本史で習った「一揆」っていうのは、こういう雰囲気だったんだろうなぁ…と思わずにはいられません。あのバイオレンスな主張が、報酬を得てのものだったとするならば。なんというリスキーな肉体労働でしょうか。

 

 しかし、プロ市民というのは何も政治的な運動だけに限りません。何を隠そう、私もそんなプロ市民の一人なのです。

 東京都民であった私は、地方に来て強制的に「プロ帰宅困難者」になりました。なにせ地下鉄やJRが、いろんなものがほとばしりそうなほどピストン運動している都内とは違います。車がなければ移動もままならない。

 

 みんながマイカーで、好きな音楽やDVDを鳴らしながら快適に通勤するなか。ひとり絶対(強制)公共交通機関主義を抱える私は、天候の乱れや時おり起きる人身事故トラブルに翻弄されながら出勤しています。

 飲み会に積極的に参加するも、みんなブオーンと代行に乗り込んで三々五々解散します。そんな中、孤高のプロ帰宅困難者である私は、誰かに乗せて帰ってもらったりしないと帰れない。自分で自分のおうちに帰れないとか、初めてのお使いに出演している子ども以下です。

 

 離れた道場へ公共交通機関で向かう。稽古する。帰れない。

 職場の行事に参加する。乗せていってもらう。帰れない。

 例を挙げればきりがありませんが、ありとあらゆる場面でそのプロの力量をまざまざと見せつけてしまうのです。もはや「歩く陸の孤島」と言っても過言ではなく、圧倒的な交通手段弱者。最後は己の足という肉体に頼るしか選択肢がない。

 能ある鷹は爪を隠すはずなのに。だけどぜんぜん隠れてない。むしろむき出しで迷惑ばかりかけてしまいます。ここまでくると能といっていいのか、隠すべきものなのかさえ迷ってきてしまいます。

 

 いつのことだったか。まだ移住してきていなくて、下見に来たとき。帰りの新幹線に乗るために駅に向かおうとしたのですが、1時間に2本程度。乗る予定だった新幹線に間に合わないことがありました。

 新幹線の停車駅までは、間に1つ挟んで2つさき。それくらいならタクシーで行ってしまった方が早いと決断するのに時間はかかりませんでした。しかし、行先を告げると運転手さんが「電車で行った方がいいんじゃないですか?」と聞いてきました。そんなのは百も承知です。けれど時間がない。一本逃せば、帰着時間が大幅に変わります。そこ2000円くらい、時間を買うと思えば安いものです。都内ならば。

 

 いやはや全く油断していまして、駅と駅の間が嫌がらせみたいに長い。2駅さきまで行く程度のはずなのに、なんか「母をたずねて三千里」みたいな雰囲気になっちゃいまして、料金メーターは前代未聞の指数関数的増え方をしていくではありませんか。

 正直なところ、ウルトラムーニーとか装着してたら盛大に漏らしているところですが、「いい、時間を買うと思えば!」と言い切って乗った手前、いまさら怖くて降りることなどできません。そもそも下ろされたところで、プロ帰宅困難者の片鱗をまざまざと見せつけるだけのことだったでしょう。

 なぜに工業技術の先進国である我が国で、伊能忠敬な帰宅に挑まねばならないのか。さすがにプロとなると選別眼も厳しく、「帰宅不可能」と判断した際にはすばやくプランβへ移行します。

 

 プランαは帰宅重視のプラン群、プランβは帰宅を諦め、雨風をしのいで命をつなぐプラン群です。まぁ、群といったところで私の場合はインターネットカフェに籠城することなのですが。『快活CLUB』という、誤解されかねない名前の会員証を持ち歩いて、いざというときにはこちらに立てこもっています。

 快活は快活になれるんですが、知らない人からみると下半身だけが快活になってきた人みたいに思われかねない懸念以外は順調です。

 

 デスクから見える景色は、一面しろ。雪が降り積もると、バスが混雑し、ダイヤが乱れます。出勤して稼ぎにきたはずなのに、帰れない。報酬を得るためにきて、あっけなく帰宅困難になる。まさにプロ帰宅困難者ですが、そろそろ情熱大陸とかに出演するかもしれません。

 

 「今日の帰宅も困難かもしれねぇぜ…。難民になるかもな…。」

 そんな予感をびしばし感じながら外を眺めている午後でした。