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いろは。

手帳・文具中心の雑記系ウェブログ。

雪の上を歩く

 バスから降りたとき、足元には薄くて白い世界が広がっていた。

  降り積もった雪は、さらさらに柔らかく、まるで白い星砂のようだった。足で踏むたびにぎゅっぎゅっと音が鳴る。

 バス停から目的地までは、約徒歩5分。積もった新雪が、その行く手を阻んでいたのでもう少しかかりそうだった。

 

 雪の上には、私よりさきに歩いたであろう人の足跡が、積雪を踏み抜いていた。雪っていうのは隙間という隙間から入りこみ、体温で溶けて水となる。そういう時間差イヤガラセが非常にうまいのは見習わなければ。なんて思っている間もなく、時間に追われて足を早めた。

 早めたつもりだったけれども、あくまでつもり。私の主観でしかない。ふかふかの雪に足をつっこむとその度に足を取られて時間がかかる。おまけに形容しがたい筋肉の疲労までついてくる。いつもの倍はかかりそうな算段。

 

 人間は苦境に直面して、はじめてその知恵を絞りながら進化してきた生き物だと思う。私も人間の端くれだから、まずは点々と前にあった先人の足跡をたどることにした。そうすれば、あらかじめ踏み固められているから、歩く速さも倍増しようというもの。ところがだ。

 

 信じられないことに、足の一歩の幅が広い。とても。たぶん、この足跡のヌシは身長300センチとかの人だと思うんだけれども、私の歩幅よりもだいぶ広い。くわえて雪は降り続けていてカサは増す。結果、踏み固められているところに足を突っ込むと、トリッキーな部位に雪の濡らされる。知恵を絞っていながら、しなくてもよい徒労ばかりを得ていた自分に腹がたった。

 

 しかし、失敗は成功の母である。失敗が母で、子が成功ならば父はなんであろうか?まさか聖母マリアのように処女懐胎というわけではあるまい。失敗に父的なにかが積極的にかかわらなければ、子が生まれるはずがない。それは自然の摂理でもある。失敗とよろしくしてことに及ぶ父的なものはなにか?

 はっきりいってそんなものを考えるよりは、一歩でも歩いたほうがよほど建設的だった。コロンブスの卵、コペルニクス的発想の転換によって私はひとつの仮説を立てた。

 「凍っている道路を滑って行った方が早いのではないか?」

 

 そもそも私は滑ることに関しては一流だ。中学受験~大学受験、就職試験、私生活、恋人間にいたるまで要所で私は滑り倒してきた。人生で滑っているのに氷の上で滑れない道理がない。

 そう思い立って道路の端にたった。足は滑り出した。はやい。ふかふかな雪の上を歩くよりもダントツに早い。はたからみれば、おっさんがカバンを担いで道路をすべってる。なんて神々しい、やんごとなきサラリーマンだろうか。けれど、すべるのが楽しくなってきたところで目的地に着いてしまった。

 

 宝くじがあたったりしない。池から女神が出てきて「あなたが落としたのは正気ですか、それとも美女ですか?」と聞いてきたりもしない。そんな平凡な毎日を繰り返す中で、少しでも「楽しい」と思うことができる。それはそれで幸せなことかもしれない。

 

 今日は仕事が終わったら、その足で静岡に向かう。なにかまた小さな発見でもあればいいなと思う。今日、ホームを滑ってるおっさんがいたら、それは私です。