Personal Organizer Lab.

システム手帳・文具中心の雑記系ウェブログ。

『あえて、書いてみる』- 手帳を使うためのたった1つのルール

 冬が読んだ冷たい空気の残滓。肌を撫でるような寒さが心地よい季節になってきました。春はもうそこ。やがて新しい年度の1年が始まります。

  進級、進学、人事異動など、社会生活の1年は、だいたい4月1日からはじまります。そして、その日の準備のために手帳界隈も賑わっているところです。

 手帳の中で僕はシステム手帳を推してきました。TENGAの女性版プロダクトみたいな名前を冠したこのブログやTwitterで、いろいろと情報を発信してきました。情報を発信すると共に、自身の使い方も日々変化しています。そこで改めて考えたのですが、手帳を使うには、絶対的な2つのルールがあります。

 

 他の人がどうであれ、自分の価値観や感覚に照らし合わせての最適解こそが、自分にとっての仮の「手帳の使い方の正解」であるということ。

 

 世の中にはいろんな人がいます。ほぼ日手帳じゃなきゃだめだという人。ジブン手帳が神だという人。システム手帳の自由さにまさるものはないという人。そして、先日みつけて「あべみかこ」さん。

 

 何を隠そう。Janne Da Arcのミュージックビデオに出ていたころからの多部未華子さんファンでして、デカわんこのときには「不細工」という風評被害を耐え忍び、君に届けでは三浦春馬さんが羨ましすぎて滅びそうになっていました。特にデカわんこのときには、あまりにも周りが不細工だとか味のある顔面などという奥ゆかしい言い方で僕は完成を疑われてた。

 そもそも自分は、「ボラギノール武士のような雰囲気のアレ勃ちぬ」とか和歌で歌われそうな顔の女性と付き合っているのにもかかわらず、なぜ多部ちゃんを不細工などと非難するのか。自分の恋人だって歩く生殖器のくせに!などと思ったものですが、人間や動物などありとあらゆるものが歩く生殖器でした。

 

 「好きなように言うがよい!なんと言われようが、凡人極まりない君たちなど彼女の眼中にもない!」そう毅然と言い放った言葉は、民進党の国会での発言のごとく返ってきて、自分の心にも突き刺さる。「ちくしょう!俺も眼中にない!」

 まぁ、そんな話は一切関係なく、「あべみかこ」さんというのは多部ちゃんにそっくりなAV女優さんで、見つけたときは我が目を疑いました。いろんな人がいるということです。

 

 システム手帳愛好家同士でも、薄くて平たく開けるバインダーが好きな人と、なんでもオールインワンに放り込める容量重視の人がいます。お互いがお互いを理解に苦しむとしながらも、「それは間違いだ!こちらが正しい!」などと声高に叫ぶ人はほとんんどいないのです。むしろお互いの魅力に気づいて、結局は「薄いも厚いも両方持ち歩いてる」みたいなシステム手帳廃人なもののふも少なくありません。

 ほかにも、リフィルはノートを多く綴じる派、スケジューラー重視派など、価値観の違いは如実に手帳に反映されています。だからこそ面白い。同じブランド、同じシリーズ、同じ色のバインダーでも、中を開くと個性が強く現れ、持ち主によって見せる顔が全く違うのです。そんな自由さが、システム手帳の大きな能力であると同時に魅力なのです。

 

 自分がとっても快適に使えるようカスタマイズしたときは、他の人からはほとんどの場合、扱い辛いシステム手帳になっています。それはあたりまえのことで、人によってライフスタイル、手帳使用の頻度、仕事の有無などいろんな要素があって、それらすべてが合致することなど、一つの例外を除いてあり得ません。

 

誤解されやすい手帳術

 手帳術というと一つの体系だったメソッドのようなイメージを持たれがちですが、その実、小さい小技の集合体です。その中から自分がとっつきやすいもの、できそうなもの、便利そうなもの、必要だと思うものなどをセレクトして使っているに過ぎません。一つ一つの小技については、年末付近になるとビジネス系の雑誌が「手帳」の特集を組みますので、非常に分かりやすい記事で読むことができます。ものの数百円で得られるメソッドです。

 

 しかし、中には自分の頭でものごとを考えることが嫌な人たちもいます。はじめから教師ではなく指導者を求め、型を欲し、正解を求める人たちです。そしてそのような人たちが手帳術のセミナーに、高額なお金を払って参加します。

 ニワトリと卵のはなしにもなりはしません。そのようなセミナーの開催に躍起な方々は、別に何かを成し得たわけではありません。その手帳術のセミナーによってこそ、成功というかお金をどばどば稼いでらっしゃるのです。

 

 もし「何かを成し遂げるために手帳を活用したい」、と思ってセミナーに熱心に参加し続けている方がいるとすれば、それは諦めなさいと言う。自分のあたまで物事を考えず、自分で下調べてしてセミナーへの参するか否かを決定することもできない人は、どれだけ与えられたスクーリングや課題をこなしたとしても、成功にはたどり着けないでしょう。

 手帳を使うということは、同時に手帳の限界も知ることです。手帳によって人生が成功した(悪徳系の臭いが絶えない場合も含めて)という人は、そもそも本人にそれだけの力量があったということです。そのよしあしは別にしても。手帳はそれまでのヌケ、漏れを防いだり、時間を有効活用できるようにマネジメントの役割りを果たしたに過ぎません。

 手帳が、持ち主の力量や素養をたかめて成功に導く。それは幻想に過ぎません。私たちは、自身の勉強や体験によってのみ成功に必要な素地を伸ばすことができます。手帳術とは、そのためにスケジュールを管理して時間を生み出し、忘れたりすることのないよう情報を補完する。素地を伸ばすためのサポートの役割りしか担わないのです。

 それ以外にも趣味として使う人、絵などを書いて自己表現をたのしむひとなど、実にさまざまな人がさまざまな目的で手帳を使い、自分だけの手帳術を進化させています。手帳は生活を豊かにしてくれます。しかしその豊かさとは、必ずしも成功やお金が儲かるといったものであるとは限りません。

 

 中にはセミナー形式もあることを否定はしません。けれど、やはりその講座の参加料が4万~5万というのはやはり異常です。そもそも使い方を全く考えられないから、という人はシステム手帳というよりも、手帳そのものが必要ないのでは?とすら思ってしまいます。

 

究極の手帳術

 を教えます、なんていったらセミナーで大儲けできるんでしょうか。でもこれがあるとするならば「使い続けること」っていうただ一つのシンプルなことでしょう。

 使い続けていれば必ず不便なところ、不満が出てきます。それをどうにかしようと自分や他の人の使い方を参考に改善する。こうして自分の手帳術は進化していきます。使い続けるということは、進化を止めないということですから、これ以上に究極の手帳術などないように思います。

 

 マンガでなるほどなぁと思ったことばですが、「″情報″というのはすべての人が理解できたら、その価値を失う」。分からないって人がいるからこそ、お金になる情報があるわけです。言ってみれば司法書士や税理士、会計士だってそれを突き詰めたようなお仕事。

 

 それに見合うお金ならば、ですが手帳の使い方でお金を稼ぐ人もいるでしょう。でも、ただ同然と知りながら突飛で高額な受講料を求める。それを世間では詐欺といいます。ってま、そんな冷静な判断がつかなくなってるのが信者という存在なのですが。

 いつかすっごく高額なお金なんて払わなくても、気軽に友人に聞けるように手帳が普及してくれるといいいな。そう願って止みません。