いろは。

手帳・文具中心の雑記系ウェブログ。

手帳を勧めるということ

 ブログを昨年の9月に始めてから、9か月が経過し、エントリ数も100を超えた。主にシステム手帳について熱く、時に卑猥に、そして常時話のスジを脱線し続けてきたわけだが、それに呼応するかのようにPVも熱いものとなっている。

  もっとも顕著なのが、「いろは。」にリンクしているAamazonアソシエイトだ。Amazonが提供するアフィリエイトプログラムで、何かの商品を紹介する際にとても便利なので利用している。

 

 けれど、私は自分が「いい」と思ったものを推すから紹介するのであって、決して何かに媚びることはない。誇り高き男なのである。

 それゆえに「さすまた」をはじめとして、あまりに個性的過ぎるリンクを貼り付り続けてきたところ、紹介料を示すグラフは虫の息5秒前な状態に陥った。結果、117円という驚愕の数字を叩きだしている。

 5,000円以上になるまでは支払が保留されるのだが、そんな額へ達するには、板垣退助みたいなヒゲが生えそろえられるまでと同等の時間を要する見込みだ。収入という意味では、内職でもしていた方がよっぽど効率がいいことは言うまでもない。

 

 私が「プロのブロガーとして生計を立てる!」とか息巻いている、与沢翼とかを信奉してそうな若者だったと仮定するならば、既に死に体であることは誰の目にも明らかだ。

 幸いにも私の目的は、システム手帳をごり押しすることくらいなので、アフィリエイトの収入などは致命傷にならない。これからもfILOFAXやレイメイ藤井、イルビゾンテなどの情報を振りまいていく予定だ。

 

 ところで。システム手帳については、変態の領域まで上り詰めながら、Twitterやブログで書き綴っている。けれど、考えてもみると、今までの人生においてリアルな実生活の中で「手帳をすすめる人」に出会ったことがない。

 手帳は本来、個人の色に染まるツールで、いわば自分だけの世界だ。自分だけの世界をおしつけるような形、つまりミラクルおせっかい野郎と言われてもぐうの音もでない形になってしまう。

 「何の手帳を使おうが私の勝手でしょう」という暗黙の空気が、リアルには流れているのだ。

 「あ、その手帳、私も使ってるんです」みたいな会話は、かろうじてあるかもしれないが、「この手帳、すごくいいですから使ってみてください」みたいなセリフは、年末のあいさつ回りに営業マンが自社名入りの手帳を配るときくらいのものだろう。

 

 そんな厳しい土壌の上にある手帳文化だが、最近、ちょっとした奇跡が起きた。

 私は基本的に、手帳に万年筆のブルーブラックかブルーのボールペンで記入している。職場が発行している社名入り手帳は、黒を基調にした無難なデザインなのだけど、これに青で記入していくので、心なしか見た目が爽やかになる。一方、黒に黒で記入すると、若干重々しい感じになる。

 別に見た目などよりも、どれだけ自分の情報のとりまわしができるのか、がよっぽど重要だと思うし、たまたまインクの色がそうなってしまっただけで、特段意識はしていなかった。

 

 課でのミーティングの際、手帳は常に手元にある。私の同僚に、ボイラー室で機能してそうな顔の同期がいる。シェイクスピアと時を同じく生きていたら、いまごろマクベスやオセロ―と並んで悲劇になってそうな顔をしているのだが、彼女がいつの間にか黒ペンではなく、青ペンで手帳に記入するようになっていた。

 彼女は普段、いろんな書類の記入にも青で書き込む私に対して、数々のイヤミを放ってきた。人のことは言えないが、PDCAが必要な顔面のくせに、「フツーに黒つかってくださいよ、黒。なんで青なんですか?」とか言われて迫害されていたのだ。

 双方とも顔面と頭のPDCAのスパイラルアップによる改善が、強く望まれているので不毛極まりない。しかし、彼女は確かにクールなペンで、手帳に青い文字をびっしり書いていたのだ。

 

 だからなんだと言われれば私もよく分からないけど、以心伝心なニュアンスで、ほんの少し手帳の文化が広がった気がした。広がっていたとしても、芸のできないブルゾンちえみが輪に加わっただけなので、私はなんとも言えない気持ちに襲われた。

 

 ある意味で、手帳を公の場に見せるのは、露出狂と同じそれだと思う。ポロっと出すのがページの一部か股間の一部かの違いしかないのではないか。手帳を公開できるのも、お勧めするのも、ある意味、リアルではない空間だからこそ、楽しんでできるのかもしれない。