漢手帳
InstagramでもTwitterでも、タイムラインでは華やかな手帳の写真が狂い咲いている。私はつぶやいた。
「人に見せるために書く手帳など、何の役に立とう。ブログが紙になっただけだ。それは何も手帳である必要がないではないか」そして思った。
「そんな絢爛な手帳の使い方ができるなんて、羨ましくて悔しい!」
かくして私が提唱したのが「漢(おとこ)手帳」である。世の中、きゃっきゃうふふとマステを切り貼りし、りぼんとかに掲載されてそうなイラストを描けない男などごまんといるだろう。
そんな男であっても、手帳を少しでもおしゃれに使いたい。あわよくばSNSでちやほやされたい。けれど、絵も描けない、マステも持ち歩けない、職場で開けないなどさまざまな障害が立ちはだかる。それを粉砕する概念が「漢手帳」なのである。
「漢手帳」は軟弱な要素を一切排し、ひたすらに男らしさを追求して、どこで開いても恥ずかしくない手帳のことである。かわいい美少女よりも魅 男塾なテイストを良しとし、過剰な装飾は一切しない。
ただし、例外があって、男らしい装飾であればそれは歓迎すべきである。かわいらしいチャームなどはそぐわないが、くら寿司などで入手できる「握り寿司」のチャームだとか、「法螺貝」とかのチャームは、漢手帳の魅力を増す小物になる。
筆記用具に関しては、漢ならば「筆一択」である。しかし、現実的に墨と硯(すずり)を持ち歩くのも難儀であるし、胸ポケットに差そうものなら瞬時にシャツが墨の餌食になる。会議やうちあわせの際に、やおら水を差して墨をすろうものなら上司及び相手からの叱責は免れない。早々に漢手帳が原因で、社会とか世間からの退場を余儀なくされてしまう。
普段は万年筆やボールペンを使わざるを得ないことは認めよう。しかし、少なくとも、SNSにおいて写真を掲載するとき。そこには日記のような回りくどい文章、華を添えるイラストなどは不要だ。筆で己の魂の叫びを記せばいい。漢手帳の魅力は、字のうまい下手などでは決まらない。ただひとつ。そこに持ち主の魂があるかないか、それだけである。
リフィルに収める情報も、選ぶ基準は、男らしいか否か、役に立つか立たないかだけで判断する。推奨する情報は、「般若心経などの写経」、「いつか完膚泣きまでに叩く人間リスト」、「名酒 酒蔵マップ」、「風俗採点表」などの豊富なデータだ。
特に注目したいのが最後の情報だが、漢らしいとはいえ、男色家とは限らない。男でも女でも、そこは自分の好みに合わせるとして、堂々と手帳の中に煩悩の権化を鎮座させたうえで開き直る態度こそが、男らしいのだ。
女性大好きですけどなにか?みたいな。風俗店リストも筆でそれなりに書けば、なんか風流な古典のように見えてくるかもしれないので、外からの目の心配は一切不要である。
ほぼ日の「お言葉」が好きな人もいるだろう。しかし、男たるもの家を一歩出れば十人の敵がいると思え。そしてその敵は主に、職場にいたりする。そんな中でほのぼのした言葉など命取りになりかねない。「武士道とは死ぬことと見つけたり」、「明鏡止水」、「武士道はその表徴たる桜花と同じく、日本の土地に固有の花である」とか、硬派な文章を日々連ねて、他でもない、自分自身に警鐘を鳴らし続けるべきだろう。
今回、私は「人体急所見取り図」をリフィルに追加した。
これは、どこに海外雄飛するでもない私の手帳におさまった世界地図を眺めていて得た着想である。空手指導の際に役立つことはもちろんだが、私には活用するビジョンがあった。
人体急所リフィルと名付けた凄まじいフォーマット。名前と位置を覚えるのはもちろんとして、顔を殴られたときの痛さを1として、それぞれの急所の痛み度一覧でも書き込もうと思ったけど、金的がインフィニティ過ぎて断念しました。
— さるさ (@salsa0941) 2017年7月4日
何が言いたいのかと言えば、手帳を綺麗に書けないことを気に病む必要はない。没個性すら、持ち主を映し出す個性であるということ。そして、それでも羨ましいなら、いっそ逆側に振り切れようぜ!というお話である。
私は写経のため手本を購入しようとしたら、楷書、行書、草書3点手本セットとかいうパッケージ商品をみつけて、いささか宗教ビジネスに戸惑っているところである。
何気に問題となるのが、情報の分類だ。このような漢情報は何に類するのか、徹底的に分からない。魂の叫びをノートやメモとして扱うには、あまりにも軽い。かといって、急所見取り図を「project」タブになんて入れた日には、公安や警官から熱い視線が注がれることだろう。目下、無名のタブに集めているが、はてさてどうしていこうか。やっかいな悩みなのである。