Personal Organizer Lab.

システム手帳・文具中心の雑記系ウェブログ。

キャンパスノート

 1冊のノートを買った。このノートには日付と、その日に思いついたこと、考えたことなどを、その日の出来事とともに記入していくようにした。言わば日々のスケッチだ。何かにつけ書きつけていると、それがそのまま日記になっていく。ルールは、所定の日付のところに、時系列に書く。ただ、それだけだ。

  ものごとを習慣付けしようとするとき、大事なのはルールを極力シンプルにすることだ。いきなり亀甲縛りのごとくがんがらめにされてしまったのでは、羞恥心以前に鬱陶しくてしょうがない。そんな精神的負担を強いられながら習慣付ていくことは、中々の苦痛だろうと思う。

 そのようなわけで、自由気ままにノートに書きつけて一週間が経過したのだけど、最近おもしろいことに「鉛筆」での筆記が気持ちよくなってきた。太過ぎず、細すぎず。インク切れやフローが悪くて筆記が途切れることはない。紙の表面が、鉛筆の芯を削り取って、するすると書くことができる。しかも安価だ。

 

 私が文具を選ぶ際の基準の一つに「どこででも簡単に手に入る」という点がある。たとえば、万年筆のインクが切れたとき。急に(しかも、その場をしのぐための箇所だけ)色が変わるというのは気持ちが悪い。

 中にはインクの配合や色にこだわる人も多い。けれど、希少なインクを使用していたも、いつかはビンからプリンセス天功ばりに消えるときがやってくる。そんなとき、レア過ぎる珠玉のインクは手に入りにくい。旅先だろうが出先だろうが、どこでも購入できるものの方が継続しやすい。

 

 そんな理由もあり、ノートはコクヨのキャンパスノートを選んだ。200円以下で、どこのコンビニでも置いてある。その環境はとても大事だ。質も悪くない。

 基本的には、その日の出来事などは青のボールペンで記入し、アイデアなどのメモは鉛筆で走り書きしている。どちらの筆記もなめらかで、さすが長年売れ続けているノートの定番なだけはあると感心する。

 

 ノートは手帳と違って、自由気ままに使うことができる。なぜならば、どこでも手に入り、しかも安いからだ。手帳のリフィルとなると、ある意味で有限なので、どうしても納める情報の取捨選択が働いてしまう。その点、ノートは何も考えなくていい。

 その日の始まりに、日付と曜日を記入する。あとは何かを思いついたとき、読書していて「これは!」と思ったときにノートを引っ張り出して書きつける。決まったフォーマットはない。3行で終わっている日もあれば、1pまるまるを費やしている日もある。そんな浮き沈みや自分のメンタル・体調などによる緩急の差も、ライフログの一部なのだと思う。

 

 こんな色んな刺激を受ける毎日を、あるがままに記録していく。やがてその記録が積み重なったとき、何かのアイデアが生まれるかもしれない土壌になる。アイデアを生み出す土壌は、五感や感情を刺激することで更に肥沃になる。そして、そのような刺激的な生活をするには、自ら積極的でないといけない。

 積極的に異性のあられもない写真を凝視したり、街行くタイプの女性を「彼、目からビームでもでるんじゃないの?」ってくらい凝視したり、お酒を飲んで語らったり、遊んだり、読書によって追体験してみたりといろいろだ。経験という名のストックを増やすと、アイデアの生まれる確率は高くなる。

 

 つまり、手帳やノートを使うだけでアイデアがつぎつぎに生み出せたり、幸せになれるわけではない。紙とペンは、自分の思考に輪郭を与える媒介に過ぎない。自身が貧相だと、どんな文房具を使おうが、描ける輪郭も貧相にならざるを得ない。

 もっと手帳やノートを使いこなしたいのなら、自身の生活をまず充実したものにしなければならない。いくら手帳やノートだけに目を向けても、両輪たる自分の内面ないし、その発露した生活内容がAV鑑賞まみれという惨状にあっては、何ら向上は望めないのである。ほんとに嫌になる。

 

 嬉しかったこと、そうじゃなかったこと。腹がたったこと、お腹じゃない違うところがたったことなどいろんなことを書いて、蓄積していこうと思う。

 そういえば、キャンパスノートを使っている先輩として、五味弘文さんがいる。お化け屋敷プロデューサーとして著名な方だが、幽霊の日であった昨日のこともあり、いくつか幽霊に関する覚書を、後ほどアップしようと思う。