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『知的な老い方』

『知的な老い方』 外山滋比古/だいわ文庫

良書は良書の学び方があり、悪書は悪書で学ぶところがある。ゆえに、良書か悪書で迷う時間があるならば手に取り読んで、著者と対話すべきである。

などと考えていたわけではなく、成人誌コーナーの玉座に鎮座していた『密会五十路妻』の表紙に心と視線を奪われながら手に取ったらこの本だった。まだ三十路になったばかりの私には、少し時期尚早のようにも思われる。

 

 外山氏は、言わずと知れた「思考の整理学」の著者である。思考の方法を体系立てて書かれたこの本は、私の手帳やノートの運用に大きな影響を与えるとともに、育たなくていい卑猥な思考までも大きく飛躍させてくれた。思考が変わると、視野や価値観も伴って変質し、より広い世界が見えるようになった。

 具体的には、女子中学生から五十路人妻まで下半身的な射程圏内に抑えた。もはや大リーガー並みの守備範囲であるが、オリックスの谷選手ほどまでのものではないと自重しておく。

 

 老いからは誰も逃れることができない。橋の欄干に立ってぼーっとしていたことがある。自殺を考えていたわけではない。まだ自分に、大空に羽ばたける翼があるかどうかを確かめたかったのだ。だが、そもそもそんな翼を持ったこと経験は人生の中で一度もなかったことを思い出して、とぼとぼ帰路についた。翼ではなく、徒歩で。

 あのときに、イカロスよろしく飛び立つような例外を除いて、私たちはほぼジジババになる未来が確約されている。それが明るい未来なのかどうかは別として、避けられない老いを畏れるのではなく、いかに充実した老人ライフを送るか、という主旨である。

 

 どのような生活を送るにしても、先立つものがなければ立ち行かない。お金は大事である。そして、お金を最大限に生かして楽しむにしても、ボケてはならない。この前提条件の中でいかに充実した老人ライフを送るかということである。お金の面でも頭の面でも、滑り出しが順調な私としては、もう前提条件で滑っているので、このままいくとろまで行くしかあるまい。

 著者の主張から共通項を括ると、老後のキーワードは「生きがい」、「希望」と結べるように思う。勉強会を主宰するのも、人にごちそうするのも、人とのつながりを通して生きがいへ転化するためともとれる。生きがいがあれば、希望も生まれる。これこそが、労働から解き放たれた老人の原動力となるのではないだろうか。

 

 私はいま、マンションの購入を検討している。購入した場合、アウシュビッツと見まがうような労働と返済を強いられることになるだろうから、生活もかつかつだと推測される。たぶん両親の仏壇とかには、食パンを供えるようになる。米は貴重だからだ。働いて、長い長いローンをこつこつ返済していかなければならない。そのためには、仕事を続ける必要がある。こんな後ろ向きの原動力が、若者の実態である。

 こんな社会をいつまで是認するのか。今こそ革命を起こし、若者の未来を確立すべく、立ち上がるべきだ!!!という人々が出現するのをひたすら待っている。私は、自分で行動を起こして、公安な人々に付きまとわれるようなことはしたくないのである。長いものに巻かれるときは、自らも回転すべし。私は喜んでピエロになり、自ら回ろう。

 

 しかし、自ら深い穴に身を投げ続けるようなセルフSMをいつまでも演じているわけにはいかない。明るい老後を目指して、知的に老いていかなければならない。今のままでは、単なる空手ができるエロ老人になりかねない。どこからどうみても亀仙人ではないか。どこかで自己を改革する必要がある。そう、私はエロい人にはなりたくないのだ。あくまでエロをたしなむ、紳士になりたい。

 

 外山氏は、ご高齢になってもペンと原稿用紙で結構なお金を稼いでいるだろう。そのような老い方の人と、私のような生活保護待ったなしなおいぼれとは、そもそもスタート時点(50歳時点)で、かなりのハンデキャップがあると思われる。私もいまからペンと原稿用紙を用いて、偏りまくった博覧強記ぶりを発揮するしかあるまい。いろんな物語をペンで紡ぐ。そして漏れなくフランス書院行きである。

 

 こう書くと、官能小説を見下しているかのように捉えられるが、ここは強く注意を喚起しておかねばならない。官能小説の難易度は、非常に高い。私が大学時代、文学部の友人に言われた言葉である。

「官能小説の難しさをお前は知らない。単純に、自分のでも異性のでもいい。性器を30通りの言葉で表現してみろ。そんなことですら難しいんだから」

 自分の股間一帯に30ものあだ名をつける者を、人は変態と呼ぶ。そんな不毛な称号を、しかも30も自分の股間に献上する気にならなかった私は、異性のフィールドでチャレンジしてみた。医学用語、モロな名称、代名詞、固有名詞。4つで既に限界が見えた。30など程遠い。私の女性経験の世界は、この4つの言葉で世界が回ってた。「愛のプリン」、「小さな熱帯雨林」など絞り出して、もはやこれ以上は知の敗北どころか、人として大切なものまで失いかねない表現に迷い込んだところで、友人からタオルが投げられ、一命を取り留めたのである。

 

 「知的な老い方」ということだが、これから我が国は超高齢化社会を迎え、バリエーションに富んだ老人たちを目にすることができるだろう。中にはパンチの効いたご老人もいるだろうし、自分の理想モデルの老人もいるだろう。どんな老い方をしていくかは、正直なところ想像もできない。けれど、いつまでも童心を忘れずに人生をたのしみながら老いていきたいものだ。五十路妻と密会とかしながら。