いろは。

手帳・文具中心の雑記系ウェブログ。

さるさ式 ノート手帳化

 ノートに日記をつけていた。内容はといえば、動画配信サービスの隆盛が私の生活を脅かしているとかいう妄想のたぐいだった。これまで日記や手帳と、一方的な蜜月の関係を築いてきたが、ここにきてその運用を大きく変えた。覚え書きとして、その運用をこの記事にまとめておきたい。

 きっかけは裁判

 わりと裁判が身近な世界にいる。そんな法曹の界隈で、児童ポルノ的なテキストを垂れ流すという荒行を自らに課していることから、いつブタ箱行きになってもおかしくない。表現の自由のギリギリchopなところを果敢に攻めているものの、一向に陽の目を見る気配はなく、むしろ人としてどうなのかというムードが漂っている。

 裁判において、証拠となるものに日記がある。それは手書きで蓄積されることによって効力を発する。ついさきに、私の上司が訴訟されたが、日記によって相手の矛盾を突くことができた。私は私で、裁判に備えるでもなく、なんとなくのライフログで日記をつけはじめたのだった。

 昨日も喫茶店で一日の決算として日記をつけていた。もちろん、日記の中の自分は仕事をばりばりこなし、これでもかというくらいかっこいいし、異性からのお誘いは引く手あまたである。事実の日常とは悲劇的乖離をみせつけ、もはや土佐日記とか更級日記とかの文芸作品の域に踏み込もうとしていたとき、閃いた。

 

システム手帳のバランス

 そもそもシステム手帳は、自由に容量を拡張できる反面、その自由さ故にバランスをとることが難しい。一日1ページというほぼ日的使い方もリフィルさえあればできるが、当然、必要量は大きくなり他のリフィルを圧迫する。となると、必然的に常識の範囲内にスケジュールをおさめていかなければ、システム手帳として機能しなくなってしまうのである。EDという他ない。手帳にはバイアグラな回春薬はない。

 そうなると、システム手帳でどのような情報を扱うのかということが問題になる。スケジュール(日記)に特化するのか、ほどほどバランスをとるのか、などなど。そんなことを考えているうちに、たわわなおっぱいとか揉みしだきたくなった。そんなスーパーマリオカートロケットスタートみたいな妄想から始まってしまうと、欲望はだんだんエスカレートする。揉みしだきたくなった、と述懐しているが、そもそもそこまでには細かなプロセスが必要だ。

 よく行く喫茶店で、かわいらしい清楚な女性がいる。それこそもう、揉みしだいたり四十八手な関係なのだけれども、「あの人もいつもいるよな」くらいの認識から始まった。やがてお互いを暇人なのかと疑いだし、ある時、席が隣になったとき、持っていた文庫本のことで2~3言葉を交わした。それから、喫茶店でみかけたときには挨拶するようになり、話すようになっていった。

 共通の話題があったこともよかった。私たちはディズニーリゾートやUSJが大好きだったのである。色んなファンタジーについて語った。ところが秋の始まり頃。彼女が失恋した。彼女の笑顔があまりにも寂しそうだったから、さるさ氏は彼女をディズニーリゾートに誘った。オフィシャルホテルも予約し、与信をいかんなく使い切った。

 ディズニーリゾートでは、お互いの辛い現実を忘れるよう、とにかく遊んだ。食べた。花火もみた。ホテルについたときにはヘトヘトだった。けれど、窓の外には人のいないパークが広がっている。その風景を見るうち、2人は自然と身を寄せた。部屋のあかりがやわらぎ、2人は唇を重ねた。手は自然と、彼女の身体を包み込むように回された。

 そこまでの遠い日を思い描き、さるさ氏は呟いた。「面倒くさい!!」

 

 そもそも日記のはずが、ネバーエンディングストーリ―みたいになっている。さらにタチの悪いことに、決して終わらない物語のはずなのに、常に人としては終わってるというアイロニーの効いたシロモノになっているのだ。

 人の欲望は留まることを知らない。私はライフログも気ままにまとめたいし、その他の大切な情報も詰め込めるだけシステム手帳に入れたいのだ。あっちを立てればこっちが立たず。そんな現実に折り合いをつけようと苦戦するうちにこっちが勃ってた。そんな凄惨極まりない惨劇の様相を呈していた。なんとかならないものか。

 

ライフログとは?

 すべては日常の中にヒントが隠されている。女性の先輩に激しく叱責されたけど、凹むどころか興奮したこと。本を読んで,琴線にふれたこと。妄想、想像、体験などなど。この世の森羅万象すべてが、アイデアを生み出す原材料である。

 しかし、私たちは忘却曲線に見られるよう、儚い頭しかもたない生き物だ。三日前の夕食は?などと聞かれてもとっさにでてこない。それどころか、受信メールボックスに届く、「あなたの購入履歴からのおすすめ作品!」とかいう超絶迷惑なメールがブラウザに新着メールで表示されていたりする。職場では、タイトルだけで失脚しそうな作品名がずらりと並ぶ。しかも大元になっている、おすすめの根拠となるジャンルが特殊過ぎるが、購入した記憶がない。

 私たちは記録をしないと、どれだけ一日の中で得た知識や思考を無駄に忘れていくのだろうか。せっかくならば記録として、ライフログを残しておきたい。ライフログとは、諸説あろうがつまりは「自分が生きてきた記録」である。

 それは日記でもあるし、体重の増減でもあるし、本の感想、アイデア、メモなどすべてが生きていた証、記録となる。そして、この膨大なライフログから、ときどきとんでもないアイデアが生まれたりする。だから私は、好き勝手にライフログをとりたい。しかし、それにはシステム手帳は、あまりにも狭すぎたのである。そして、システム手帳に活用しようのない賞味期限の過ぎた情報が蓄積され、他を圧迫することに堪忍袋の緒が切れた。

 

特別な情報

 システム手帳には、これまでスケジュール・タスク関連。そして、大事で特別な情報を補完してきた。しかし、時間は待ってくれない。どんどん現在は過ぎて、未来を消費しながら過去が積み上げられていく。そんなもう動くことがほどんどない情報を、リフィルとして圧迫しながら持ち歩くことに疑問を感じた。見返すことも、追記も役立つこともほとんどない情報だ。しかも狭い。

 これはシステム手帳に限ったことでないが、何かクリエイティブな活動をするときは大きな紙がいい。その方が容量もあるし、ペンを走らせることで脳が刺激される。紙は役割りに応じて使い分けた方が、一元化よりも大きなメリットがある。

 持ち歩くなら、もっとアクティブな情報がいい。どこでどう使えるか分からない。けれどあると安心。そんな情報だからこそ、年度などの区切りを越えて、持ち運びしたくなる。しかし、そんな情報はごくごく少量である。忘れているものもあるかもしれない。

 日々発生する大量のライフログの中に、煌めく一粒の砂のような存在だ。ライフログからこの砂金のような「特別な情報」は抽出される。しかし、ライフログをとっていなければ忘却の彼方であることは言うまでもない。私たちは、システム手帳で管理しながら一生肌身離さないような「大事な情報」を少しでもかき集めるために、ライフログをとるべきなのだ。

 

救世主 キャンパスノート

 そこで私は書いていた日記の手をとめた。日記は一日のハイライトである。この日記に、話題を集めたニュースを書き添えた。自分の日常が、社会とリンクしたような気がする。読んだ本、気になったフレーズを日記の余白に書き込む。そうすると万年筆が止まらなくなり、どんどん日記はライフログへと姿を変えていった。そう。私は、キャンパスノートでライフログをまとめようと思ったのである。

 キャンパスノートは、長年、大学ノートの代名詞的存在として君臨している。値段は1冊200円もしないし、万年筆の裏抜けもせず、ノートそれ自身は非常に長持ちする。さらにはコンビニにはほぼ必ず置いてあり、JR駅のニューデイズなどでまで購入が可能だ。これはもう、ノートが切れることはないことと同義だろう。

 そんなに高価なものでもないからガシガシ書ける。切れてもすぐに安く買える。こんな強力なノートはない。スケジュール、タスク、日記、読書内容、メモなどのライフログは、この1冊のキャンパスノートで管理することに決めた。そして、その中の膨大なライフログから、時間による熟成を経て、それでもなお大事だと思われる情報を、システム手帳へアウトプットしていく。この段階では情報も洗練されているので、システム手帳のバイブルサイズリフィルで全く問題がなくなっている寸法だ。

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バレットジャーナル

 キャンパスノートで、スケジュールやタスクを含めたライフログを記録するにあたって、バレットジャーナルの経験が大いに役立った。下の写真をみてほしい。

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 左側ページに1~31までの数字を書き込む。左側の列にはスケジュールを書き込む。その右側にもう一列あるのは、タスク管理用の暦だ。締切などを記入していく。見開いて右側のページは、タスクリストや流動的な予定を確保するためのスペース。マンスリーはこの見開きで十分カバーできる。

 このマンスリーを月初めに書き、次のページからは、時系列に日記を書いていく。このときに制限はない。ただ、蛍光マーカーで一日ずつ書き終わったところで区切っている。日記の他に、読書のメモや気になったパンフレットを貼り付けたり、スケッチがあったりと自由につかっている。2行で終わる日もあれば、1p使ってしまいことも。このアンバランスすらもライフログの一つなのである。

 

 まだマンスリーを書いてない段階で、先々に予定が入ることがある。そんなときは、マンスリーの上の余白に、赤ペンで未定の、つまり次月へ引き継ぐべきタスク、スケジュールなどをまとめておく。

 必ずページの上には番号を振っておく。これは!といアイデアがあるページは、ノート一番最初のハイライトページのアイデアインデックスに、簡単なテーマとページ番号を記入してリスト化していく。このハイライトページとは、そのノート1冊の内容を俯瞰できるページとして私が勝手に名づけたものだ。マンスリーのページ一覧、どんなアイデアがでたのかをさっと見渡せるアイデアインデックス、その期間中にあった主なニュースベスト8、そのノートの使用期間などを記入するページだ。これがあると、最初の1pをみただけでノートの内容がおおよそ把握できる。これらの方法は、バレットジャーナルの運用が色濃く残っている。

 

 キャンパスノートは、バレットジャーナルでライフログをとるだけでなく、考え事をするにも十分な紙面を備えている。見開きで万年筆を走らせているとなにかしらが浮かんでくる。この用途だけは、さすがにバイブルサイズのシステム手帳では賄えない。

 しかし、アイデアを浮かばせることができれば、そこから先の保管・管理はシステム手帳の出番である。ここに保管されるということは、一つ目の過程を経て洗練された情報ということだ。

 AV女優リストなどはもはや下書きを飛び越えて着々とアナログデータベース化されている。これは洗練とかそういったものを飛び越えて、魂が「保管せよ!いつでも参照できるように!」と耳元で叫んだ情報だからである。

 

ノートが手帳になる日

 なので大体、キャンパスノート1冊とシステム手帳1冊で済むことになる。キャンパスノートは死屍累々と積みあがっていくことになるが、それでこそライフログのとりがいがあるというものだ。

 例えば持ち歩いているロディアのブロックメモに書きなぐってもいい。あとでぺりぺりと切り取って、ノートの日記のところに貼り付ければことはそれで足りる。個人情報や取引先、キーパーソンの名刺などは貼れないから、そういった特殊な情報はシステム手帳に預ける。キャンパスノートは「記録の取り捨て」が前提だ。その中から千に1個でもいいアイデアがあればなおいい。例えなくても、自分が生きてきた記録だ。無駄なことはあるまい。

 

 ここにきて手帳の運用が大きく変わった。よりシステム手帳の出番が減ったともいえるし、より重要度が増したとも言える。この運用の効果を確かめるため、さるさ氏はシステム手帳の中にあったスケジュールリフィルをすべてシュレッダーにかけた。予定管理と愚痴くらいの内容だったし、見返すほどの情報もなかったので躊躇はなかった。むしろ少しスリムになったリングに、あらたなリフィルすら追加していた。

 

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 主戦力はキャンパスノートでとる、大量のライフログ。そこから生み出される、わずかな価値ある情報をシステム手帳ですくいとる。このような方法で、日々を価値あるものにできたらと、切に願う。