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夢のつづきと矛盾

* 昨日、さるさ氏はテレビ番組『逃走中』を観ていた。大人気マンガ『ONE PIECE』とコラボした回だった。ある意味でさるさ氏も、閉鎖されるまでは『パイレーツ・オブ・カリビアン』として、成人動画の大海原を縦横無尽に駆けていたことを思い出して感慨にふけった。

  マンガ家は夢がある。週刊誌に連載され、コミックスが唸るように売れ、メディアミックスでもされればひと財産あてることができるんだろう。

 ONE PIECEもその例に漏れないけれど、これは極端過ぎるトップの1例であり、漫画家界ではその他では死屍累々と、財産を築けなかった人たちもいるに違いない。

 そもそも刻苦勉励して、デビューできるのがごくわずか。その中で、漫画だけで食べていけるようになるにはさらに一握りの人だけだと聞く。さるさ氏の漫画家および漫画界に関する知識は、9割以上が『バクマン。』による。これ以上はないソースだと言える。

 

 そもそも「夢」ってそんなに大事なものなんだろうか?

 

 大人は言う。「夢を持ちなさい」、「夢に向かって努力しなさい」、「夢のない人生なんてつまらない」。さるさ氏は思う。彼らは何かと夢を履き違えているのではないだろうか。

 かつてS氏は、エアラインのパイロットを夢見ていた。その夢に比べれば、マッキンゼーやゴールドマンサックスといった超一流企業も、メガバンクも安定した公務員も、全てが霞んで見えた。

 意気揚々と就職試験を受けた。試験は6次審査まである。Web上でのSPI、エントリーシート通過。英語試験通過。面接通過。と順調に選考は進んだ。そうそうに他の就職試験は辞退してしまった。これ一本にかけなければだめだ。そう思ったのである。

 

 いよいよGW、適正検査となった。これをクリアすれば身体検査、最終面接だった。夢は願えば叶う。そう思っていた。

 試験の地は、羽田空港内の施設にあった。当時、九州の大学生であった私には、東京までの選考遠征は費用的にも重荷だった。しかし、ここまで選考が進むと自社の航空券を手配して送ってくれる厚意ぶり。ありがたく頂戴し、試験の期日を待った。

 

 飛行機に乗る。これまで乗った飛行機とは、まったく違うように見えた。ポケモンジェットだったのもあるかもしれないが、「夢を掴めばここが職場になるんだ」と思うと、それはあたりまえのことだったのかもしれない。緊張しながら、会社パンフレットを取り出し、自分が提出したエントリーシートのコピーを取り出す。

 気づいたCAさんが声をかけてくれた。「全日空を受けられるんですか?頑張ってください!」と、その一言で緊張が和らいで、2~3言言葉を交わした。着陸態勢に入る直前、そのCAさんがジャンボジェットの写ったポストカードを持ってきてくれた。「頑張ってくださいね!」

ポストカードには、副操縦士、機長、CAさんからの応援メッセージが書かれていた。結びの言葉に奮い立ったのを今でも覚えている。

「一緒にこの青空で働ける日を楽しみにしています」

 

 ここからはもうそれこそ海から空へ舞台を移したパイレーツ・オブ・カリビアンドットコムな活躍が期待されたが、選考に落ちた。ドラマならばあり得ない展開だろうが、これが世間一般にありふれているストーリーである。

 選考に落ちたショックは大きかった。他のどんな仕事も魅力的には思えなかった。これから自分が何をすればいいいのかすら分からない。数学や英語の勉強に明け暮れ、そのBGM的に流していた木村拓哉主演の「Good Luck!」、名探偵コナンの「銀翼の奇術師」は、ささやかなトラウマの影響で今でも観ることができない。夢に賭けると、夢を失ったときに自分を見失う。かてて加えて、夢なんか破れることの方が多い。

 

「それはお前の努力が足りなかったせいだろう」という声もあり得るけれど。自分の努力でどうにかなる範囲のものは、夢ではなく「目標」じゃないんだろうか。誰かが言った。叶わないからこその夢である。ならば夢に賭けるべきでもないし、追うべきでもない。

 夢を持て!それに向かって突き進め!は、賭け事促進以外の何物でもないのではないか。なぜなら夢を掴めるのはほんの一握りの人間だけ。掴めなかった人にとっては夢物語で終わってしまう。

 目標を持って努力しろ、ならまだ分かる。自分の射程圏内に収まっているものなら多少の無理をしてでも努力できよう。達成と叶えるの間には、絶対的な壁がある。そしてその中には「運」という、自分の支配下に置けない要素も確かに含まれているのである。

 

 大人になったいま。さるさ氏は、こどもたちに「夢を持て!」といは口が裂けても言えない。そんなのはマゾヒスト希望者だけで十分である。

 己の努力によって達成できるものが「目標」、努力しなきゃ叶わないけど、しても大半が叶わないものが「夢」。努力してさらに奇跡が起きれば叶うかもしれないものが「夢物語」。努力しなくて達成を夢見るのが「寝言」である。

 フリーライター長嶺超輝氏の言葉で印象に残っているものがある。「夢を諦めないことなんか簡単で、諦めることの方がよほど難しい」。まさしくその通りなのである。

 本当に叶えたい、心の底から願う夢をみつけることができたならば。それはほとんどの人にとって、不幸の始まりである。だからこそ、夢を掴んだ人の話だけが「サクセス・ストーリー」として流布される。その裏で、つかみそこねたさるさ氏のような話は、一切出回らない。

 

 あの日以来、私の中身はほとんどない。夢を失うことは、人生を生きる意味の大半を失ったことと同義である。生きる陽気な屍といったところか。夢を持て!なんて言えるのは、夢を持ったことも追いかけたことも、そして失ったこともない大人だけが口にする戯言である。

 やや悲観的なようではあるが、この現実を前提とした上で、目標や夢を持ってもらいたい。やがてそれが破れたとしても。また、前を向いて歩けるように。