Personal Organizer Lab.

システム手帳・文具中心の雑記系ウェブログ。

東京ディズニーリゾート

 実は、東京ディズニーリゾートが大好きだ。それもかなり重度であることを初めて告白する。さるさ氏の類まれな妄想力は、この夢の国で培われたと言っても過言ではない。

  あれは社会に出て間もなくのこと。大学在学中、モラトリアムの満喫に粉骨砕身していた私は、社会的有為な人材となるために必要とされる数々の素養を獲得するための研鑚を怠っていたことは言うまでもない。早々に挫折を余儀なくされていた。まるで職場がパワハラのレジャーランド状態。心身共に疲れ果てていた。

 そんなときに、当時の恋人が東京ディズニーリゾートに連れ出してくれたのだった。それまでは女・子どものテーマパークと馬鹿にしていたのだけれど、徹底的なまでに現実と隔離された世界は、確かに現実に疲れていた私を夢の国まで誘ってくれた。

 

 またその恋人というのが、太宰治を崇拝し、ストイックに自殺とかしそうな感じの文学少女だった。そしてやたらとディズニーについて詳しかった。この世に別れを告げそうな顔で、アトラクションを待つ列の中でいろんな話をしてくれた。おかげでより一層、夢の国に迷い込み、それ以来、完全に抜け出ることができなくなっていた。

 

 そんな恋人もやがて容赦なくさるさ氏のもとを離れていき、彼にできることと言えば夢の国で迷える子羊同然でさまようことだけだった。なんとか彼女との思い出を上書きしたかった彼は友人、はたまた肉親などと共にディズニーリゾートを訪れ、楽しい思い出を増やしていった。中でも、弟と2人きりでディズニーシーを訪れた思い出などは今でも燦然と輝きを放っているが、その光こそが私の堪忍袋の緒を斬りそうになる。なぜ黒髪乙女でないのか!!

 

 そんな出家したかのようなスピリチュアルな精神的修行を積んでいくうち、一つの仕事が回ってきた。それが「マジックキングダムクラブ エディター」であった。

 福利厚生でマジックキングダムクラブに加入しており、一定の割引で入園チケットが購入できたのだが、その利用促進を目的として、職員向けに東京ディズニーリゾートの紹介記事を書くのがエディターの仕事だ。

 

 私は書いた。一心不乱に記事を書いた。それまではグループウェアの掲示板でちょこちょこと紹介するだけだったものから、ワードで写真やテキストを書き殴り、PDF化して閲覧できるようにした。

 しかしさすがはブランド構築のうまいディズニー。書くにもいろんな制限があった。名前は正式名称から省略してはならない、イメージを損なうような表現をしてはいけない、キャラクターの写真に吹き出しやセリフをつけてはならないなどなど。

 そんな制限にもめげず、私は筆というかキーボードを一心不乱に叩いた。するとどうだろう。「あのディズニー記事は頭がおかしい」と職場で話題になり、私の毎月発行される嫌がらせのようなディズニー紹介記事は人気を博し、やがて業務連絡記事の数倍のアクセスを叩きだすまでになった。

f:id:Salsa0812:20170823162056j:plain

 それが追い風となり、またどんどんインパークするようになり、私は唾棄すべきお花畑ディズニー野郎になっていったのである。一人で行くのも抵抗がない。カメラをぶら下げて歩き回る。

 どんどん記事のネタはたまり、またアクセスを稼ぐ紹介記事となる。古今東西探しても、毛沢東のライターという垂涎のコレクターズアイテムが登場するディズニー記事はみつかならないと思われる。

 ついには、今月のエディターとして選出され、マジックキングダムクラブから盾と記念品が贈られてきたりもした。そんな賞をいただくころには、一人で料理の写真を撮ること、その演出すらも平気になっていた。まるで語彙力のちょっと足りない海原雄山みたいなおももちで料理に舌鼓をうち、そしてまた一人でパークへとふらふら出て行った。

f:id:Salsa0812:20170824112436j:plain

 

 実は、例のトラベラーズノートの写真は、この時代にディズニーシーで撮ったものだ。

f:id:Salsa0812:20170823170147j:plain

 いまでこそ、マイナス極まりない意味でインスタ映えする顔なのだけど、この写真もなかなかトラベラーズノートのある風景としては映えそうだが、当時はまだ日本に上陸していなかった。

 

 ディズニーリゾートのすごさは、現実に見切りをつけることを余儀なくされるような状態でこそ知ることができる。リアルから逃げたくなってこそ、夢と魔法あふれる虚構の世界として存在感を出してくる。ある意味でさるさ氏も夢と魔法と汚物の産物みたいなものだが、現実を忘れ、ひたすらメルヘンの世界で一人酒池肉林を繰り広げた彼も、閉園時間によって、それなりの金額のクレジットカードレシートを握りしめながら我に返る。その虚脱感たるや、ウォーターフロントあたりか、最低でも舞浜駅あたりに広大な段ボールハウスをこしらえて居住することも辞さない威力であった。

 何よりもこれらの散策を、平日に挙行していたことが思い出深い。定時とともにカメラを掴んで職場を飛出し、都内から舞浜へ向かう。思えば若かった。いまは東北にて、私とディズニーリゾートの間に若干の距離ができてしまった。

 しかし、九州と都内という広大な距離をとっているにもかかわらず「少し距離をおきたい」と、私にこれ以上の北上を迫ったかの恋人と比べると大した距離ではないことが分かっていただけよう。もうそれ以来、万年筆のニブを見つめては「この割れ目が卑猥」とか、想像力がより一層たくましくなった事実を添えておく。

 

 そう遠くない未来に、自分のこどもをパークに連れて行けたら、また大事な思い出が増えるように思う。