Personal Organizer Lab.

システム手帳・文具中心の雑記系ウェブログ。

ミサイルクライシス

今朝、情報番組を見ながら朝食をとっていたら、突如スマホが音を立ててなりだし、それを追うようにテレビ画面が切り替わった。またもや北朝鮮の局地的エレクトリカルパレードが開催されたらしい。

官房長官は「被害は確認されていない」という。それは嘘だということを知っている。ミサイルは甚大な被害を発生させた。

私の正気を粉砕したのは他ならぬミサイルだ。私がイミフメイかつ無益というゴミな文章しか打てなくなっているのは、ミサイルの影響に違いない。恐ろしい速度で技術向上している北朝鮮のミサイルは、私の正気だけでなく預金残高も直撃している。スズメの涙ほどの数字しか通帳に記帳されないのも、疑う余地なくミサイルの威力の一つである。

 

 日本がこれから先、核保有を視野に入れた武装を検討するのかどうかはさておき。国民たる我々サラリーマンの出勤すら阻止できないような北朝鮮ミサイルに、果たして核の抑止力などあるのだろうか。せめて私の職場の機能くらいは麻痺させてしかるべきなのに、北朝鮮がいくら巨費を投じてミサイルを打ち上げても、職場はあたりまえのように出勤を命じる。むしろ速やかな出勤を。現時点では空前絶後の刈り上げ指導者よりも、私の職場の方がよほど無慈悲である。私たちはまるでドローンのようなノリで飛来しては追い越していくミサイルの下で生活しているのである。そしてこのいつくるともしれない不安は、これからも断続的に続くことだろう。では、私たちには怯えることしかできないのだろうか?

 

逆境は苦しむか、乗り越えるか。中には自らその中に、まるで夏の虫のごとく飛び込んでいくマゾヒストもいる。彼らは逆境にこそ快楽をみるのである。どうせ私たちがやきもきしたところでこれからもミサイルは元気に飛び回り、総書記は肥え続け、オールウェイズ三丁目の夕日にインテリアの一環として溶け込みそうなヘアスタイルは続くことだろう。そして、私一人が青スジ立てて怒髪天を衝いたところで一般庶民である。いくらかの国のポエム合戦に耐えうるようなカウンターポエム(無慈悲や焦土が季語として用いられる)を思いついても、国の代表者でもなんでもない私には北朝鮮に伝える機会すらないし、あったとしても双方にとって何ら得るものがない時間と化すこと請負だ。

 

「吊り橋効果」をご存じだろうか?吊り橋のような、不安や恐怖を強く感じる場所で出会った人に対し、同じような緊張を共有することで恋愛感情を抱きやすくなるというものだ。飛び出して体の境界線からハミ出んとする心臓の鼓動を、自分が恋愛していると錯覚するのだとかなんだとか。一緒にいる異性をドキドキさせることで、恋愛のきっかけとなりえるというのである。ちなみに私はドキドキを直ちに恋愛と錯覚してしまうような阿保ではない。下半身のドキドキにのみ忠実なろうとする敬虔な下半身保護者である。

 

しかし、たまのミサイルならドキドキもしようが、今年に入ってすでに2回めである。東京ディズニーリゾートへ行くとする。夕暮れが近づくとなんとなくメインストリート付近へ移動すると、エレクトリカルパレードの整列がはじまっている。座らなくとも、少し見晴しのいいところへ居座って、これから眼前を練り歩くであろうフロート(山車)やダンサーたちに思いを馳せる。そこにドキドキの占める要素はあまりない。パレードがあることを、事前に私が了解しているからだ。それよりも期待の方が大きい。

 

北朝鮮のミサイルという名のモニュメント発射は、もはや様式美の領域に踏み込みかけている。今のうちに頭を飛び交うミサイルを眺めながら一句詠んでおけば、死んだ後、百人一首とかに加えられるかもしれない。

むしろミサイルそのものよりも、交通機関が乱れたり、納期が間に合わなくなるなどの方がよっぽどどきどきする。恋愛は心の病などというが、もっとリアルな重い方の心の病になりかねない。

 

畢竟するに、黒髪でショートカットかつ清楚な女性を籠絡するのにもはや定期連絡船といっても過言ではない北朝鮮のミサイルは、吊り橋的見地からみて何ら役に立たないのである。なんら世界各国に対してメッセージが届くわけでもなく、むしろ曲解されがち。それでいて、私たちの通勤クエストの難易度があがる。乱れる交通機関の荒波をかき分け、制限時間内に会社に辿り着かなければならない。要するに何の得にもならないのである。そしてミサイルが飛んでった以上、国連安保理が召集される。しかしこれもまた決議の内容からみるに、各国首脳に近い人たちが集まってたんぽぽみたいなお茶会をしているに違いない。

 

それでも地球は回ってる。例え狂っていたとしても回り続ける。それが運命。そして、レトロな雰囲気の頭から出てくる発想は、これもまたレトロである。卑猥な頭からは卑猥なテキストしか出てこないように、自然の摂理でもある。何が言いたいのかは、すでに自分でも見失っている。ただただ、甚大かつ深刻な通勤の邪魔をされ、そして得るものがないまま国民保護のサイレンを朝っぱらから鑑賞させられた。これは慙愧の念に堪えなさすぎて、むしろ怒りが頂点に達するのに十分な理由だった。

 

私に権力と地位さえあれば、そろそろ北の刈り上げに厳しくお灸を据えるところだが、残念ながら権力も地位もお金も渡航費もない。しかるにとれる手段は「静観」の一択になるのだが、せめて近くに清楚な乙女さえいれば、度重なるミサイルのどきどきで結ばれないとも限らない。しかし残念ながら、現状ひとりで避難もままならず、体躯を持て余して誰に見せるでもないどきどきを胸に途方に暮れているのである。

 

何が頭上を通過しようと絶えず私の頭は物欲や卑猥な知識をインストールし続けている。それを満たすにはお金を稼ぐ、しかも地道に働くしかないのだけど、ときどき思い出したように飛んでくるミサイルに邪魔されてより一層、出勤クエストが激しくなる。そもそも誰が助けを懇願したわけでもないのに、自ら課すクエストを更新しつづけるさまは、潔くクリアを諦めてダンジョンの穴に飛び込むマリオを彷彿とさせる。

 

確かに単調な日々を打ち破る『非日常』との邂逅を、心のどこかで求めていた。しかし清楚な乙女がいてこそ成り立つ非日常である。間違っても肥満総書記系男子などによってもたらされる非日常など願いさげ極まりない。一刻も早く、平和な日々が訪れますように。

 

そう願いながら、私は今日もまた生きるのだ。