Personal Organizer Lab.

システム手帳・文具中心の雑記系ウェブログ。

システム手帳は間違いなく受けだと思う

人間は、そこに何かがあれば我慢できない生き物だ。箱があれば開けたくなり、山があれば上りたくなる。イザナギイザナミが、身体の余計な部分を体の足りない部分に突っ込んだことから我が国ははじまっているわけで、神様でさえ本能を抑えることが難しいことがうかがえる。

  システム手帳には充分なリフィルを蓄えている。けれど人間は欲深くかつ心配性なもので、がしがしとリフィルを走り書きやメモに使うことを躊躇する。いざというときのリフィルがなくなってしまいそうで不安だ。

 

 私の場合、この『いろは。』の記事は、メモの走り書きから生まれてくる。ネタ帳としているノートに日々書き付け、気が向いたときに記事にしているという流れだ。

 

 人間の子どもならば、男女の下半身が今の米朝関係のようにずっこんばっこん繰り広げることでできることがある。しかし、思いつきというのは非常に時と場所を選ばずしてやってくる。無節操極まりないのである。トイレの中やお風呂の中でもおかまいなし。私たちがフォーマルな格好であろうと、家の中で一糸まとわぬ姿でどこぞの部族みたいな踊りの真っ最中であろうと、頭の中に気付くと鎮座している。

 しかも鎮座→即身仏みたいな目にも留まらぬ速さで、脳内から雲散霧消していくからタチが悪い。そこで私たちは、絶えず帳面やペンを検討し、急に来訪してくるアイデアを逃さないようメモしていく。そうすると、メモの精度なんてさして高いものでもないからブログのネタから全然関係ないものまで蓄積されていくことになる。

 

 例えば、私はいま時計が欲しい。一縷の望みをかけてここにアフィッておくので、これを読んでいる諸賢の気が違ってクリックや購入が相次いでくれると私も購入できる算段だ。

 なに、10万程度。15回払いくらいにしとけばなんとかなるではないか。Amazonは原則一括決済だけれども、そこは気にせず一心不乱にクリックと購入を繰り返してほしい。

 

              

 

 ここ最近、Twitterを猥褻・副業系問わずふんだんにフォローされ続けているのだけれど、気概のある業者になかなか出会えない。

「頑張ればこんな時計、すぐにポンと買えるようになるよ!」と同級生だった知人は言ったけどそんなことどうでもいいんだよ。

「俺の目標はそんな小さな金持ちじゃない。ポンと他人に10万あげられるほどに余裕のあるお金持ちになりたい。そのビジネスでそこまでお金持ちになれるエビデンスが欲しいって言ってんの!!」

 という知的な、インテリジェンス溢れる乞食をしたものの、施してくれる副業家は誰ひとりとしていなかった。そんな切ない思い出も、走り書きのメモとなってスケッチブックの中にあった。

 

 スケッチブックは、手帳ゆる友主催者である藍玉さん(@aidama)の使い方をみて数年前から愛用している。スケッチブックはダイソーのものだったり、マルマンのクロッキー帳だったりする。手に入れやすさの点、容量の関係からダイソーのものに落ち着きつつある。スケッチブックは紙を気にせず、なんでも走り書きして捨てられるのが魅力だ。

 

 ある日の事、コーヒーとたばこで世の中の健康志向の流れをブン殴りながら、私の頭は想像の翼を羽ばたかせていた。正確には卑猥な妄想をしていた。そこではもう、物理法則とピストン運動が支配していて、出しては入っての繰り返しだった。あまりの反復に自分が出しているのか入れられているのかも判別がつかない、哲学的な境地に達そうとしていた。やがて入れる物と入れるところを間違えてしまった。

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間違えてつっこんでしまった後

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つっこんだもの

 これは…。これまでの常識では、システム手帳バイブルサイズにはKOKUYOの『測量野帳』こそが至高の挟み込みギアであるとされてきた。しかしどうだろう。測量野帳の方眼も魅力的だが、好き勝手に書き散らせる白紙もまた魅力的である。その両方を大容量でつっこめることを発見したのである。

 しかし冒頭で述懐したよう、人間の本能とは抑えることができないものである。そこにある限り、突っ込んでみなければわからない。そして突っ込むことを抑えきれないものなのである。しかるに、私が再度突っ込むのにそう時間はかからなかった。

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 もはやコナンのトリックとかで使われても違和感のない鈍器が、そこにはあった。しかし、これで大きな進化を遂げたことになる。もう容量やメモのことで悩む必要はない。

 

 先日、デザインフィルからプロッターが発表された。その形状はまさしくシステム手帳であった。多くの人が再度悟ったことだろう。「やはり、何かを創造するにはシステム手帳が最適なのだ」と。これでまた、システム手帳の魅力が広がるに違いない。これから広がる活動にわくわくを隠せない。

 

 今回、一つだけ疑問に思ったことがある。私はそこにつっこめると思ったからクロッキー帳を突っ込んだ。ふとしたとき、クロッキー帳とスケッチブックを比べてみた。ほぼ同じ大きさである。そのときはもう、躊躇なく突っ込んだ。しかしそれができたのは、システム手帳という唯一の受け皿があったからである。

 いくつかの受け皿があったとき、私たちはどこに突っ込むのかを考える。イザナギはたまたま正解だったのだろうか。いくつかある中から確信をもって突っ込んだのであろうか。そこに迷いや好奇心はなかったのであろうか。本当に恐ろしいのは、どちらの穴にも突っ込んだ、私たち人間の方なのかもしれない。