Personal Organizer Lab.

システム手帳・文具中心の雑記系ウェブログ。

黒と青の選択

 手帳にこだわるひとは、当然の帰結としてそれに書き込む筆記具にもこだわるだろう。ペンというツールに限ってみても、ペンシル派、ボールペン派、万年筆派とあり、別の切り分け方としてロマン派(機能などよりもブランド・デザイン重視)と効率派(安かろうが書きやすさ第一)といろんな領域に分けることができる。

 まるで風俗産業が性癖に合わせてキメ細やかなサービスを展開するかのごとく、ペンというツールも様々な属性集団が群雄割拠している。

書くルール

  ところで、てんでばらばらに見えるこの集団も、「色」という共通因子の上では同じ次元に存在している。どのようなツールを使っても、「色」という尺度・スケールは共通のものを使っているのだ。色に関して言えば、悩みを共有していると言える。そこで私たちが悩むのが、「色の選択」である。

 

 公的な書類に記入するときは、私たちは様式に従わなければならない。例えば配偶者との続柄を妻や夫と記載するが、無料セックスマシーンとかプライベートATMみたいなありのままの続柄を記入すると、速やかに訂正を求められることになる。できることなら戸籍謄本の住所も、ハッピーセットのおまけの中とかにしたいのだが、社会通念とお役所のルールが許してはくれない。

 他にも複写式の場合はある程度の筆圧がないと写らないため、万年筆などでは記入できない。また記入する色も「黒か青のボールペンで」などと表記されていることが多い。一度、役所の窓口で書類の記入を求められたとき。備え付けの適当なペンなどではなく、さっそうと取り出す大きな羽ペンで公務員を圧倒したいと夢見る文具クラスタは少なくないだろう。もうばっさばっささせて記入してやりたい。ボールペンに羽根がついているだけなので何の問題もなかろう。

 

黒か青か

 つまりは、黒や青での筆記はごく当然に行われて問題ないものだということだ。そこで私たちは、どちらの色をデフォルト使用すべきかで悩むことになる。

 いくら役所のお墨付きとはいえ、日本は古来より墨で字を書いてきた。ために文字は黒というのが一般的だ。普段の書類で青を使っていると、文句や批判はないものの「空気を読めない雰囲気をほのかに纏ってる人」みたいな烙印を押されることもある。

 

 青の利点はなんだろうか。まず一つは、コピーと原本を混同しなくなる。けれどそれが決め手になるようなメリットなのかと言われれば分からない。全員が提出する日報などで一人だけ青で記入し、上層部の目を引きつけておきながら甚大なミスを披露するという自己犠牲精神にあふれたパフォーマンスをきめる覚悟があるか。そんな度胸があるならコレルテオとかボリショイの入るわ。

 

 読んだ書籍の中には「青ペン書き殴り勉強法」というものがあった。しかし青であるべき科学的根拠はほとんどなかった。ようするに書き殴って、使ったペンでも山積みにして自信持てばいいよみたいな感じで、良くわからない持論を展開して終わっていた印象がある。はっきり言って、伝えたいことがタイトルに出過ぎていて、表紙さえ見ればそれで完結な内容だった。

 

 他には、「黒は没個性の色」とされることがある。黒は主張がない色なので、大事なところが分からないというものだ。青は目に優しく集中できるという。ならブルーライトもカットすべきではなく、集中するために肉眼全体にまんべんなく照射してはいかがだろうか。

 確かに黒は、私たち日本人になじみ過ぎており主張のない色と思われるかもしれない。しかし、没個性の色だからこそマーカーなどで映えるのである。ためしに青ペンで書いたものを、赤なり黄色なりの蛍光ペンを重ねてほしい。どこかアメリカで売ってそうな配色の、食欲減退レイアウトができあがる。勉強で紙に書き殴ったとき、圧迫感がないのは青である。目に優しいというよりも、適度な自己主張がさわやかで心地いいといった感じだ。

 なによりも黒が没個性の色などというのは笑止千万である。黒が没個性の色ならば、なぜに男性は女性の黒いランジェリーに熱狂するのであろうか。私は断固としてこの点を主張したい。

 

 しかし汎用性で考えるならば、どのようなシーンでも使える黒がいいのではないか。青ならば、時と場合によっては不快に思うかもしれない。黒ならば、時と場合を問わず問題になることはない。

 結果として最終的にどちらとも決めることができずに、黒専用ペンと青専用ペンを2本持つという、散財へ向かっての幸先いいスタートを切ることになる。

 

 興味のない人からみれば些末な問題かもしれない。先日、クルトガの掲示板で『折れにくいので勉強の効率が上がった」、「回転でスムーズに筆記できて勉強が捗る」といった声があがっていた。芯をノックするのもペン軸を回して調整するのも1秒に満たない世界のはずだった。彼らはコンマ0.?秒の世界でしのぎを削っているのだろうか。

 

 使う色で出す個性などたかが知れている。所詮はだれでもすぐにやれることだ。ならば色ではなく書きだす内容に個性をうつして伸ばしたい。色によって書き出した内容が良くなったり悪くするわけではない。自分の感受性や思考が、何を捉えどう表現したかが重要なはずである。手帳や文具の本質はそこにある。