いろは。

手帳・文具中心の雑記系ウェブログ。

はじめの雑記

 気付けば1月も22日となり、終わろうとしている。既に終わっている現在完了形の権化な私の頭と比べれば1月ものんびりしているに過ぎない。一年の計は元旦にあり。元旦に計画したことはすべてが叶う。

 広末涼子のJK制服姿を観て全身が怒髪天を衝いた私は、2018年の元旦、キャンドル・ジュンになることを決意した。もう一度言う。元旦に計したことは、すべてが叶う。

  外は既に暗く、雪がシンシンと降り注いでいることだろう。この季節になると、帰宅中におもむろにDSを取り出してモンスターハントを繰り広げるのもきつい季節になってくる。本日の寒波はやばい。帰れなくなるかもしれない。だから帰れなくなるやつは早く帰れ。

 

 そんな命令がくだることを予期し、私の手帳のアフターファイブはインスタ映えしそうなスケジュールになっていた。ところがどっこいである。昼を過ぎてもちっとも降ってくる気配がない。午後3時を回って、ようやくまるで天使が舞い降りる際の綿毛のように雪が降り始めた。私が望んだ雪は違う。もっとこう、荒々しく吹雪いて、主に仕事の予定だけを大きく狂わせ、徳政令みたいな効果を発揮する雪である。こんなにふわんふわん舞い降りているだけじゃ、バスのダイヤ一本乱せやしない。それでは北朝鮮のミサイルと何ら変わらないのである。綺麗なようで、単なる嫌がらせのような効果しかない雪の中を帰らなければならない。そんな状況の中、私は私の存在意義を見失う。

 

 年末年始のこと。本を読んでいたら不意にゲシュタルト崩壊を起こしてしまった。横書きの本では「江口」という登場人物の苗字を「エロ」と読んで一人興奮した。小学校の国語の授業において朗読させられているシーンであったなら、私は今頃自分の殻に閉じこもっているに違いない。

 同じように縦書きの文庫本では「竜真」(たつま)という名前が、「童貞」に見えて激昂した。私は断じて童貞などではない。誇りをもって慎ましく貞操を堅持し、徹底的に異性から孤高を求めて高い位置にいるだけである。孤高と孤立の境界線は薄まりつつある。

 普段目にしているはずのものが、ある時急に単なる記号のように見え、それの意味するものが何なのか分からなくなってしまうことがある。そういった流れで、私は広末涼子を「熟女」というカテゴリに分類することの是非を常に問い続けているのである。もはや哲学の領域に踏み込みつつある。

 

 「ゼロベース思考」の本を読み、さまざまなバイアスを払しょくし、さまざまな角度から制限なく思考することの自由さを知った。するとどうだろう。ゼロベースによって湧水のようにコンコンと、純度の高い卑猥な妄想が湧いてでてくるのである。すでに今年の滑り出しは絶好調であると言わざるを得ない。

 

 日々を生き、さまざま思い考え、いろいろに悩む。とかく生きにくいこの世の中だからこそ、私たちは自分の頭でものごとを考え、判断しなければならない。情報が錯そうする世の中、与えられる答えが必ずしも正しいとは限らない。ただ自分の判断を信じ、そうできるように思考と判断を磨いていくしかないのである。

 

 知的生産のための重要なツールとして手帳を位置付ける。隕石に衝突する方が容易と言われるような宝くじを買い続けるよりも、何を生み出すか分からない手帳につぎ込んだ方が有意義なように思う。絶対に裏切らない投資先は唯一にして、自分なのだから。