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『殺人犯はそこにいる』

『殺人犯はそこにいる』清水潔新潮文庫

 いつかある時にふと気づく。自分がすでに支配されていることを。それに気づいたとき、初めて恐怖の渦中に自分がいることを知る。

  もともとこの本は『文庫X』として書店に並んでいた。カバーで読むべき作品だと訴え、本の内容などは全く見えなかった。それが話題を呼び飛ぶように売れていった。最終的には「文庫X開き」として、その中身である本書が明かされた。

 

 私自身はどちらかというと、このような売り方をされると引いてしまうタイプだ。内容も分からず、謎に吸い寄せられて人が買っているに過ぎないのだから。少なくとも内容を全く知らずに本を購入することはこれまでなかった。今回、私が読んだのは、既に文庫X開きが行われたあとのことだった。

 

 本書はミステリのようなタイトルだが、栃木県と群馬県の県境で起こった北関東連続幼女誘拐殺人事件の真実を追っていくノンフィクションだ。記者である清水潔氏が「4件の誘拐殺人事件に加え、1991年に犯人とされる男が逮捕されたのちに起こった1996年の女児連れ去り事件は、連続事件なのではないか?」という観点から、徹底した取材の積み重ねにより、ついには逮捕されていた男性の無罪が確定する。

 つまり、本当の犯人はいまものうのうと生活を続けているのである。その犯人は、あなたの身近にいる人なのかもしれない。

 

 人は理性が無ければ獣である。誰とて本能や願望をそのまま行動に移せば、この世は犯罪者で溢れてしまうだろう。私の内面では熟女的欲求が渦巻いていることは何度も書いているだけど、それを上回る紳士たる理性でこれを見事に抑え込んでいたり、ちょっと文章を書くときにはみだしちゃったりする。これこそが人間なのである。人間は完全無欠の生き物ではない。

 今回の事件は女児を狙った犯罪であった。つまりはロリコンの欲求がはみでてしまって尊い命を多数奪った許せない犯罪である。おおよそ対極の位置にあると思われる性癖の私でも、怒りに打ち震えておとなのおもちゃと化す勢いであったことを付記しておく。

 

 本書は冤罪から男性を救うことが目的ではない。純粋な事実を突き止め、報道する。その徹底したジャーナリズムの姿勢が、ひいてはマスコミ業界や権力構造の闇にスポットをあてて白日のもとに晒す機会へと結びついているのである。真犯人は、自力で捜査の網を抜けたわけではない。警察や警察庁が自らの首を絞めて足かせになったことにも要因があったのだと思わずにはいられない。

 

 私たちにとって、青臭い言い方をすれば警察官は正義の味方だ。そこまで言わなくとも、法の執行による社会の秩序を維持してくれる公務員。そして裁判官は真実を導いて正しい判断をしてくれる「お上」である。本書ではそれらが盛大にひっくり返される。その恐怖を是非、味わってもらいたい。

 少なくとも、私はこのブログで妙齢の女性へのほとばしるパッションは記していても、大橋のぞみちゃんやその他、小児的な女性への破廉恥文章を書いた覚えがない。何か身近で事件が起きたとしよう。卑劣にも幼い女の子にいたずらし、その命を奪うという卑劣なものである。私の性癖はいまさら疑いようはなく、公然に準ずるようなものであるが、権力によればその事実すらも塗り替えられ、ロリコン犯人として法の裁きを受ける。馬鹿なことだと思うだろうが、それが現実に起きているのである。自分の事実を権力で塗り替えられる。そこには正義の味方など存在しないのだ。

 

 事実は一つしかないが、真実は各々のスタンスや利害で無数に存在し、またそれらはつくられる。そして情報の受け手である私たちは「公権力」を担保とした報道に、それが公然の事実かであるように受け入れてしまっている。その自覚すらないのが現状なのである。つまりは既に支配されている。本書を通して味わったのは、どんな作り話にもまねできない、私たちが生きる社会の事実に由来する恐怖である。

 

 死刑制度についてはその是非がよく議論になる。マスコミ報道に触れた私たちは「人権派弁護士」を悪のような厄介な存在として認識しがちた。この作品の中で印象に残ったのは参議院議員有田芳生氏であろう。彼は左翼議員としての印象が強かったが、本書の中で捜査当局の過誤を強く追及する姿が異様に写った。それは政権を批判し正そうとする左翼本来の姿であり、ただ単に情報がもたらす利害が一致したに過ぎないのかもしれない。それでも。その誤りを正そうとする姿は、売国奴などとはかけ離れた、私たちが求める国会議員そのものだったのである。

 人権派弁護士の流れから死刑制度にも触れなければならない。死刑とは、人の命を奪う極刑であり、不可逆の罰を与える。しかし法というのは欠陥のある人間が、正しくあろうと積み重ねてきた歴史そのものである。その精神は尊重されるべきだが、不完全である人が、同じ人を裁くということに必ず間違いがないと言い切れるだろうか。遺族の悲しみなど考慮すべきものは多々あれど、先に述べたよう不可逆の罰なのであるから、少なくとも徹底した事実の積み重ねに基づいて慎重に判断されるべきものである。そこに捜査当局の権力闘争やメンツの絡んだ、疑わしい証拠などを介入させるべきではない。

 

 ジャーナリズムのあるべき姿勢を示した本書は、これからのマスコミに期待しうる姿を実現するための最良のテキストであろうと思う。そしてその受け手である私たちもまた、知の研鑚を重ねて渦巻く情報をよく吟味できるようになるべきだ。その警鐘を鳴らす一冊でもあった。