Personal Organizer Lab.

システム手帳・文具中心の雑記系ウェブログ。

Thinking tools.

 AIの進化が著しい。囲碁では無敵を誇り、文学賞の予選を通過し、その活躍の分野は広がってきている。その一方で、戦争兵器への搭載や人間の知的労働を奪うといった危惧も出てきている。それが友好であれ敵対であれ、私たちはAIと向き合わなければならない時代に生きている。

  新しい技術というのは、えてして人間の根源の欲求へと活用される。一つは兵器や軍事である。強い武器をもつことは、自身の国家、国民を守ることにつながる。生きるため、生存欲求を満たすためにまず用いられるのだ。強固な軍事力は、自国を守るだけでなく、さらにさまざまな利益をもたらす。

 もう一つは猥褻である。ある意味、生前欲求的なものを満たすようなものだ。子孫を残そう、種を残そうとする欲求である。今やAVという言葉が死語になりつつある。そもそもVideoというメディアが世間から去っており、AD(DVD)にでもなるのかと思いきや、そのような言葉できるよりも前にストリーミング配信などへシフトしている。まさしく、猥褻が膨大なエネルギー源となってさまざまなテクノロジーが動いている。

 

 そのような中、颯爽と登場したテクノロジーの一つがAIである。SFでも題材にされてきたテクノロジーなので、そのインパクトは大きい。映画「サマー・ウォーズ」で社会を麻痺に追い込んだのは、米国が極秘に実験していたAIによってであった。

 そしていま、AIの登場によって、予測とも予想とも夢精とも判断がつかぬ言説が流布するようになった。それは、やがてAIが人間を統治するようになるというものや、兵器に搭載され、やがて自我に目覚めて人間に反抗するといったものなど枚挙にいとまがない。

 希望的なこともある。例えば意中の人のメールアドレスを預ければ、古今東西の美しい詩を引用したり、乙女心を刺激するような内容のやりとりをして恋人にしたてあげてくれるかもしれない。他にも在宅のシステムで、病院に行かずとも症状から病名を診断してくれるようになるだろう。ある意味で裁判などは、バイアスも買収・わいろも効かない裁判員の役割りの一部を担うようになるかもしれない。

 

 未来の予測なんて誰にもわからない。一寸先の株価でさえわからないのが現状だ。新しい技術がもたらす未来など、正確につかめようもない。つまり、先のことなど分からないのだから、楽観的にも悲観的にもならなくていいのではないだろうか。

 例えば近い将来、私の社内業務を全てAIが担ったとしよう。そうなればいかに自分のスキルを生かすか、転職活動はどうするか、などを考えがちだが、それは視野が狭いというもの。いざとなれば電源を引っこ抜き、清涼飲料水を浴びせ、2~3発殴打すれば往生するだろう。そのときには損害賠償という名の新たな敵が出現する可能性はある。

 

 いたって物事はシンプルで、AIに仕事を奪われないためには、AIにできなくて自分にできることを確立すればよい。いま、この先どうなるか、なんていう心配をするよりも、AIにはない土俵をつくることの方がよっぽど大事なのである。環境の行方を心配するのではなく、いかな環境でも成長できる自分を培うことだ。そのため精神的な部分から再度鍛え直す必要が私にはある。

 

 AIと対峙するとき。つまり私たちがAIを超える、AIにできないことをするためには、「思考」が必須になる。自分の頭で物事を考えるということだ。そこには論理で構成されたAIにはない感情、経験などももちろん深くかかわってくるだろう。しかしロジックに対抗するには、水平な思考、ラテラルシンキングが有効かもしれない。なんにせよ、論理を超越するためには自ら頭のネジを2~3本ぶっこ抜くくらいのことをしないといけない。

 

 思考が論理で現れるか、感情で現れるか、はたまたぶっとんだ行動で現れるのかはわからない。ただいずれにせよ、「自分の頭で物事を考える」というプロセスだけは必ず通ることになる。そのとき、大いに役立ってくれるのが紙とペンだろう。中でも特にペンだ。

 紙ははっきりいって余白さえあればいくらも代用が効く。チラシ裏だろうがミスプリント裏だろうが、どこかしこに紙はある。しかし、その紙に書くペンが問題だ。ストレスのない筆記は、頭の中に浮かんでいるものを猥褻・非猥褻の区別なしに淀むことなく描き出してくれる。

 ペンの相性は使ってみるまで分からない。太軸がいいのか細い方がいいのか。ペンシルなのかボールペンなのかインクなのか。色んな要素が絡み合い、そこにデザインなどの検討も加わってくるともう大変だ。ブログやネットで紹介されているペンは、あくまで紹介している人にとって良いペンなのであり、あなたにとっても良いペンであるという保証はない。

 

 『ハリー・ポッターと賢者の石』で、ホグワーツの入学準備のため杖を購入しにオリバンダーの店に立ち寄るシーンがある。杖は持ち主を選ぶというが、ペンも全く同じことが言える。ぜひいろんなペンを使ってみて、あなたにとっての最高の1本を見つけ出してもらいたい。

 自分の思考を加速させてくれるようなペンさえあれば、あとはそこらへんの紙を掴みとればいい。特に価値のないチラシでも、裏面に自分の思考をペンで刻み込んだとたん、その何の変哲もない紙はあなたにとって唯一無二の一枚となる。

 

 よく手紙や日記が引き合いに出されるが、男性諸君は考えてもらいたい。寒々しい夜、孤独で一日を終えベッドにもぐる。スマホで検索して、自分の性癖・趣向にジャストフィットな動画を見つけ、大興奮のるつぼに飛び込み圧倒的な自己研鑚を経て眠る。しかし次の日にもう一度みると、なぜ昨夜、自分がそこまで興奮したのだろうか?と疑問に思うことは誰しもあるだろう。

 昨日はショートカットで、特にグラマラスでもない素人っぽさに大興奮してティッシュ2、3枚を葬ったのに、今日は百戦錬磨で豪華絢爛な有名女優が見たい。となることは往々にしてよくある。思考はまったく同じ過程を繰り返すことはできないのである。頭に浮かんだものごとはその大半が一期一会で、紙に刻み込む以外、ぽろぽろと大脳真皮質あたりから剥げ落ちていってしまうのである。その意味で、思考を紙に刻み、それらをまとめて管理できる手帳の存在は大きい。

 

 Thinking tool、考具、いろんな言葉があるが、紙とペンは人類がAIに立ち向かうとき。必ず大きな武器になるだろうと確信しているのである。