いろは。

手帳・文具中心の雑記系ウェブログ。

あした転機になーれ

 『萌えるお化け屋敷』を作りたい。黒髪で清楚で儚い。そんな綺麗な幽霊たちばかりが出てくるお化け屋敷だ。怖いのに入りたい、むしろ一人で入って出たくない。そんなお化け屋敷を作りたいと思っている。

 休日、家庭で迫害され居場所を失くしてしまったお父さんたちに大盛況になることだろう。

  「転機」。別の違った状態へ移るという意味では、常に私の頭の中は転機で溢れている。猥褻と非猥褻、現実と妄想、建前と本音。あらゆるジャンルを縦横無尽に駆け廻り、周囲の誰もが私のことをつかみどころのない人間だという。私自身ですら正気とかを叩き込むべく絶賛追い回しているさなかであり、未だつかみ切れていれないのだから無理からぬことだと思う。

 

 天真爛漫で、異性の眺望を一身に受け、清廉潔白で品行方正に育ってきたと記憶しているのだけど、いつからだろうか。狙いすましたように、おおよそ社会人としてはいらない素養ばかりを高めてきた自分がいる。その根源を振り返ってみたい。

 ところが、それは振り返るまでもなく明らかだった。1冊のノート、「トラベラーズノート」にあったのだ。

 

 当時、私は大学生から社会にちょっと踏み出していた状態だった。正確には、果敢にモラトリアムの延長に挑戦していたのである。普段なら巡ってこない大学5年生の称号。緻密に計算し尽くされて敷かれた履修の網は、絶妙な具合で習得すべき単位のジャンルをすり抜け、もはや5年生を謳歌すべく力を温存していた。

 絶大なアドバンテージをもって二度めの就活に参戦し、リクルートの波を右往左往しているひよこどもを蹴散らしてやろうと、虎視眈々と5度目の春を待ちわびていたのである。教務課にアドバイスをもらって完璧な布陣であったにも関わらず、痛恨の履修ミス。そんな未来を見越してか、教務課では「最終的には自分で決めなさい」と鉄壁の予防線を張られていた。それゆえに「話が違う!」と憤怒した私を、取り合おうともしなかった。開き直るしかなかったのである。

 

 ところが来るべき二度めの就活に備えていろいろと準備している段階で、卒業者名簿に私の学籍番号が鎮座しているではないか。正直に言おう。そのときの私はすでに内定辞退を申し入れ、無駄に身ぎれいになっていた。いまさら卒業などと言われてもしがみついてでも慰留されたかった。新卒カードをみすみすと手放したくはなかったのだ。しかしすんでのところで要件を満たしていた私を、大学は容赦なく卒業させた。なんという不条理だろう。

 

 ここで就活の話になる。就職活動では、まず熱意をみるためか何かしらないがエントリーシート(ES)という科挙みたいなノリの作文を迫られる。油性のペンで書くより水性の方がくっきりかけて見やすいだのといったどうでもいい情報が蔓延していた。

 これを手書きで仕上げていくのだが、就職活動で何十発もの弾を込めようとした場合、一社一社のESと向き合うのは疲れる。志望動機、学生時代の研究テーマ、何をしてきたかなど共通する項目も多いのだ。そこで何かしらノートにジブンのことを赤裸々につづっておけば、どこのESにも徒手空拳で向かっていける。何のノートに書きつけようか、そうおもっていたところ「トラベラーズノート」に出会ったのである。

 トラベラーズノートというのは革1枚のカバーに、ゴム紐を通してノートを挟むというシンプルなノートだ。それゆえにかっこいい。そしてこのノートが、私の人生を大きく変えることになる。

 

 夏目漱石氏を6人ほどぶっ放してトラベラーズノートを購入してきた私がまずしたのは、放置することだった。モラトリアムの延長・拡大を試みた男である。しかも、もののあはれといった風情で、学生でも社会人でもない。「S家開闢以来の不良債権」という称号を母上から賜っていた私である。社会に出るのが怖い。できれば自室でぬくぬくと余生を過ごしたい。そう思っていた私のプライドは、ノート一冊で社会に飛び出すようなありふれた価値観になびくことをよしとしなかったのである。フランスの中世とかに生まれて哲学とかしていたかった。

 しかし、そんなフランス中世哲学妄想の一方で、激しくSNSから社会に揉みしだかれている友人たちの充実した日々アップロードが私を悩ませる。そしてしょうがなくトラベラーズノートを開封した。当時はPILOT社のDr.Gripを使っていたのだけれども、無骨なトラベラーズノートでは非常に書きにくい。世の中の愛好家たちはどうしているのかと調べると、そのほとんどがLAMYのSafari万年筆を使っていた。

 私は万年筆を使ったことがなかった。そこで調べてみると、どうやら筆圧がほとんどゼロに近くても書けるらしい。さっそく文具店へ行き、万年筆を試筆させてもらった。

 

 ペンは社会人にとって武器でもあり、お守りでもある。誰もが納得せざるを得ないような美しいロジック。緻密なモデルに沿った計算。あっと驚くアイデア。それらを生み出す知識。そのすべてはペンが与えてくれるものだ。

 マザーテレサのことばから借りるならば、ペンは思考を変え、思考が変われば信念が変わり、信念が変われば行動が変わる。ペンの力は大衆に訴えるだけではない。自分自身の可能性も大きく変えてくれるツールなのだ。

 紙はそれこそ大学ノートからコピー用紙までどこにでもあふれている。しかし、自分の思考を加速させてくれるようなペンとの出会いは一期一会だ。そんなペンと出会えたら、やはりお守りのように持ち歩く。

 

 新聞を読む、本を読む。それまでは頭を素通りしていたものを、ペンが紙に落としてくれる。後に残る。情報の整理も苦じゃなくなる。そうなると積極的に情報を取り込んもうとする姿勢になる。そしてそれらがまた土壌となり、新たな思考を生み出す。絶好のスパイラルアップだ。そうなったときには自分の生活、とりわけ頭の中は大きく変わっていた。

 東日本大震災において、アナログの力。とりわけペンと紙の力には余計、魅せられた。電源もおぼつかなく、データもすっ飛んだとき。窮地でも確実に頼りになるのはアナログの力だったのである。震災がもたらした重大な局面。絶望に思われる状況でも、問題に姿かたちというアウトラインを与え、構造を明らかにし、分解することで解決の糸口をアナログは与えてくれたのである。以来、私は紙とペン、すなわち手帳に絶対の信頼を寄せている。

 

 思えばあのとき。何気なく書かせてもらった万年筆の書き味は、書くというよりも鉄でなでるといった方が正確で、人生ではじめての経験だった。それからどれだけ変わっただろうか。主に残念なベクトルの方向に変わっていることは否めない。だが、無気力×卑猥といったマイナス同士が掛け合わされば、大きなプラスになるかもしれない。

 日々いろんなアイデアが私の頭を渦巻く。萌える幽霊屋敷をつくりたい。でも自分の力では無理そうだから、五味さんにプロデュースしてもらいたい。

 

 いま私は、手帳とペンを必ず持ち歩く。移ろいゆく日々と同じように、私の思考も流動していくだろう。だからこそ、紙とペンは手放せないのだ。これから先、また違った姿に成長したジブンに、出会うために。

 

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