Personal Organizer Lab.

システム手帳・文具中心の雑記系ウェブログ。

失ハレル物語

 少女に許されておっさんに許されない道理はない。ゆえに私は時をかけることを許されてしかるべきである。誰にでも取り戻したい過去はある。

 そんな過去の一つが修学旅行だ。

  愚かな人は経験に学び、賢き人は歴史に学ぶという。小学校の修学旅行、当然のごとく男子ひしめく素敵な部屋に配備された私は、かわいらしいキティちゃんをあしらったトランクスで旅館の廊下を勇ましく行進し、文字通り目の玉が飛び出るほど怒られた。いやがらせのごとく男子と女子を引き離す修学旅行なので、よもや女子どもが同じ階ではあるまいという油断が引き金となった。

 しかしキティちゃんのパンツでうろつくな、などという深遠過ぎる教訓はどこから学べというのか。経験にも歴史にもない事項を積極的に開拓してきた私には、何の教訓にもならない言葉である。

 

 ところが大人になってからどうだろう。普段から交流のある友達や女子と旅行に行く。そんなことはできなくなってしまった。そもそも周囲を見渡せば女子は皆無で、一面にひろがるのはおっさんとおばさんの群れである。サバンナの方がまだ優雅に過ごせそうな苦境にいる。

 

 小学6年生のとき。長崎へ行き、平和の像を見た。この像は北村西望によって造られ、垂直に高く掲げた手は原爆の脅威を、水平に伸ばした左手は末永い平和を、横にした足は原爆投下直後の静けさ、立った足は救った命をあらわしていると説明された。その像は目を薄く閉じ、戦争で失われた命の冥福を祈っている。

 その像は小学生の私からみてとても大きく、原爆の残した爪痕を痛感させるに十分な、いいようのない静けさを纏っていた。

 

 この平和像と思わぬ再会を果たしたのは大学生のとき。大学祭で長崎出身の学生レスラーが「平和落とし」なる平和なのかバイオレンスなのか判断に迷う技を繰り出していた。

 この平和落としというのは、人間を投げるには明らかに不条理とも言える平和像の手の形で相手を持ち上げ、足は像と同じ姿勢をとった途端不安定になり、そのバランスの喪失を利用して相手をマットに投げ落とすという技である。薄く目を閉じていたのは追悼の意ではあるまい。思うに、まさにこれから自分が投げんとする相手の安否と多幸などを祈りながら落としていたのだろう。慈悲深い心もちで相手に理不尽な姿勢から投げ落とすという、この世の矛盾を象徴するかのようなすさまじい技であった。

 例えばアメリカ人や広島県民以外がこの技を繰り出したなら非難轟轟であろう。しかしほかでもない、長崎から勉学に励むべくやってきたはずの大学生が、盛大に横道にそれながら繰り出す必殺技「平和落とし」なのだから、誰も何も言えない。というかぶっちゃけ面白かった。笑ってしまった。確かに平和落としは、観ている人たちを笑顔にした。経験・歴史の双方から学ぶことができた稀有な例であろう。

 

 しかしそんな思い出よりも、親元を離れて健全な異性交遊、夜にきゃっきゃうふふするような思い出の方を欲していることは言うまでもない。思い返せばなぜか私の修学旅行は武者修行のような様相を呈することが多かった。高校時代、東京での自由行動なんてTくんの強硬な主張により、マックに並んでたからね。ダイナソーのポスターだかフィギュアだかのおまけのために。圧倒的に地元でも買えることは言うまでもない。

 

 そのような理由から修学旅行を悔いていてできることならば取り戻したい。しかし何をしても時をかけることなど許されず、取り戻すことはできそうにない。今更同級生で集まっても中年集団旅行であり、いまさら修学したところでそれを生かす機会もないだろう。かといって中高生に交じって旅行するなどあまりに私が不憫でならない。幼い中、教師の監視のもとでそれを抜けながら育む友情や異性交遊が輝いていたのだ。

 取り戻すことができないならば、せめてこれからは取りこぼしの無いように精いっぱい生きていくしかない。

 

 そんな日本書紀とか古事記みたいな壮大な動機から、私は大学時代の先輩にメッセージを送った。Facebookで偶然見つけたのだったが、はっきり言って賭けだった。

 端的に言って圧倒的に私の方が知っているに過ぎず、会話も大学時代にそれほどした覚えはない。世間ではこれをストーカーというが、私の名誉のために断っておく。私は不純な考えは一切ない。混じりっ気なしの純粋である。100%下心というかあわよくばだけを期待しているピュアな思いである。

 

 Facebookを見つけると芋づる式にInstagramなども引っ張ってきてくれ、より一層、二次元的な意味で密着できるようになった。仮にY美さんとしておこう。Y美さんはそれこそ清楚系美人であり、それは卒業して10年ほどが経った今でも変っていなかった。それはSNSの写真からもありありと伝わってくるし、ストーカーと罵倒されても仕方のない私のメッセージにも律儀に返してくれる。

   前に北九州へ小旅行へ行った。以前からY美さんを知ってはいたが、最も近くなったのはこのときのことだ。しかし、鉄壁の上下関係の渦に巻き込まれ、私は話すことは叶わなかった。

 

私は思った。私が彼女を、先輩を守らなければならない。そして決意した。一生をかけて守り抜くと。

 

 はっきいってY美さんには旦那さんがおり、お子さんもおり、さらに言えば私の守りなど欲してもいない。しかしそれは些末な問題である。下心ほど純粋なものがあるだろうか。むしろ下心などというが、すべてが猥褻な思いであれば心に上も下もない。すべてピンク色だ。そして猥褻な動機ほど強いものはない。よく精神が肉体を凌駕するというが、その大半は猥褻な動機である。

 こうして謎の悟りを開き、自分でも理解できぬ決意をし、日々何かを得るつもりで失いながら。私は生きている。