手帳とイラスト
朝。文庫本を片手にコーヒーショップに入る。アイスコーヒーとサンドイッチを注文し、簡単な朝食をとりながら一服、それから読書の時間を過ごす。
やがて時間になり、Suicaを通して新幹線のホームに立った。ノリがきいてるスーツが心地いい。新幹線では座るほどの時間でもないので、デッキに立って、読書を再開する。
その途中、急に催してトイレに入ったところで気づいたが、ファスナーが全開だった。フルスロットルだった。
その危険性を人は本当に分かっていない。社会の窓が開いているとかそんな生やさしいものでは、断じてない。布一枚隔てて、検挙されるか否の瀬戸際なのである。首の皮一枚ではなく、トランクスの布一枚で社会的な死と隣り合わせにある。その重要性をもっと強く意識すべきだろう。
なぜ、下半身のファスナーを「社会の窓」というのか疑問に思ったことはありませんか?私が思うに、おそらく社会と塀の向こうの境目ということだと思うんですよね。
窓が開いていて、後は布一枚コンニチワすれば、それが家の中などでない限り、言い訳ご無用でわいせつ物扱いになります。
窓は内と外を分ける境界線。その境界線で隔てられたうちひとつが、地獄でないなんてことは誰にも言えないのです。
そんな秋の匂いが薫る、朝の爽やかな出来事でした。ほんとに自分のダメさ具合が嫌になる。
ダメと言えば、絵を描くことも私はダメです。いつから絵を描くことが苦手になったのかというと、小学生のころには既にダメでした。絵に関しては、残念ながら残念でした、というほどの結果しか残していません。
しかし、才能がなかったのかと言われれば、まったくそうではないとも言い切れない。私の才能は、小学校によって刈り取られてしまったのかもしれないからです。
図工の時間_人物画
とにかく小学校の頃は、図工の時間に絵を描かされます。授業時間はもちろん、夏休み中の宿題も一枚描いてきなさい、コンクールがあるから描きなさい。ありとあらゆる口実をつけて描かされます。
私は決して絵を描くことが嫌いな子供ではありませんでした。しかし、なぜ教師はあんなに子供の絵を否定から入るのでしょうか。
ある時のこと、隣の席の女の子とペアを作ってお互いの肖像画を描くと言う荒行が決行されました。そのとき私はA子ちゃんというチンギス・ハーンに似た女の子と組むことになったのですが、それはもう己の心を鬼にして、滅してチンギス・ハーンの肖像画を描きつづけたのです。*1
しかし、まだ精子に毛が生えた程度のよちよちな私たちがうまく描けるはずもなく、四苦八苦しながら画用紙と格闘していました。妙齢の女性であった先生はつかつかと教室を歩き回り、生徒たちの描く絵を見ています。そのときでした。
「ちょっと、さるさくん!ちゃんとA子ちゃんを観て描いてるの!?」
先生は黒板へ歩み寄っていき、「みんな、聞いて!」と言いながら、絵を描く際の注意をしはじめました。
「さるさくん、A子ちゃんの顔にシワはないかな?鼻の横や、口と鼻の間にシワがあるでしょう?」
「A子ちゃんの笑顔は、目が線になっていますか?少しは開いているでしょう?」
つまり、先生は私が描いていたデフォルメの絵、マンガ絵をたしなめたのでした。しかし、当時の私は純粋の権化。先生の言う通り描き、無事、えげつないモンゴル帝国の皇帝が描きあがったのです。シワがくっきり入り、笑顔で半目を開いたチンギス・ハーンが。ちなみに、A子ちゃんが描き上げた私の絵も、ハリウッド映画化されそうなクリーチャーでした。
思えば先生を描かせればよかったんだ。もし、それがいまできたなら、毛の一本一本、毛穴のひとつひとつ、精彩なタッチでシミまで描く。あと、私は透視できるとかって言い張ってヌードで仕上げる。
私の経験上、鼻と口の間にある、武道でいうなれば人中にあたる箇所の二本のシワは、描いた途端にハマジになります。ちびまるちゃんの。クラスのマドンナだったMちゃんすら、先生の美術的指示に従っては濡れてひしゃげたアンパンマンと大差なかった。
自らの手でおどろおどろしい絵しか描けないとなれば、自然と足が遠のくことは避けられません。誰が私を責められましょう。また、私が描くということは、誰かしらも私の姿を描くということです。悪気はなく、先生の指示に従った結果に過ぎないのですが、となりのチンギス・ハーンが描いた私の姿をみて「侮辱してんのか!」と思いましたもん。
そういったことがトラウマとなり、人を描くことから遠ざかっていました。しかし、私の絵の才能にとどめをさしたのは、ほかならぬ私の才能自身だったのです。
図工の時間_風景画
人を描くことは嫌いでしたが、絵を描くことは嫌いではありませんでした。
小学校のころ、「花の絵コンクール」というものが毎年開催され、それに応募させられていました。といっても、クラスの中から1~2点を先生が選抜してコンクールに出す、というものです。
競争心を掻き立てられた私は、
「誰よりもよい、芸術的な作品を描こう。先生の指示を守ればぜったいに選ばれる!」と、画版とえんぴつをもって、花を探しはじめました。
しかし、男という生き物は、花に詳しくありません。いまでこそ花を見つめると、その可憐なたたずまいの中におしべとめしべがあって、やくで花粉が造られ受精して、しかもそれは蜂が媒介するとなるともはや異種間交えた3Pじゃないか、とか想像するんですが、幼い頃はとんと興味がないのです。ほっておけば雑草とかを描きはじめかねません。
そこで、確実に「花」であろう、花壇で描くことにしたのです。校庭の隅にある花壇へ行くと、そこにはきれいなパンジーが咲き誇っていました。私は、さてどう描こうか、と花を見つめました。そこで美術の神が降りてきたのです。
私は誰に教えられるでもなく、このときに「俯瞰」という構図を発見しました。そのときはフカンなんていう名前は知る由もありませんが、同級生で誰も描いたことのないであろう構図に興奮したのです。定番の構図ではありますが、自らだけで発見するということはそれなりにすごいことではないでしょうか。
私はコンクールに出品されることを確信しながら夢中で描き上げました。正確な彩色、模様の詳細に至るまで子供特有の繊細なタッチで描きました。もはや何かしらの受賞は確実だ、と思うほどのできでした。
満足に描き上げ、あとは絵具で仕上げて完成だ、というところで時間が来たので意気揚々と教室へ引き上げたのでした。
教室で友達が、私の絵を見て賞賛するでしょう。そんな描き方があったのか!と。斬新極まりない構図で決めた会心の出来です。仲のよかったK君が寄ってきて、友達と絵の見せあいっこをしました。
「なんでさるさ君の絵、花の上に花が飛んでるの?」
なんということか。残心な視点に私の画力が追い付いていなかった。俯瞰という超必殺技は私の画力によって、花の上に花が咲いている、もしくは花の上に花が浮かんでいるように映っていたのです。花が浮くというのはマリオワールドでしかありえないこと。しかし、私の絵画では花が尊師ばりに浮遊していたのです。
咲き誇っていたはずのパンジーが私のキャンバスでは狂い咲いていました。しかも、そのひとつひとつが、花のしわまで書き込まれており「気持ち悪い!」。「意味がわからん!」と気の置けない友人たちも賞賛を惜しみません。
当然のことながら、私の作品はクラスの代表に選ばれませんでした。クラスから選ばれ、しかも入選したのは、大きな花で楽しそうに暮らしている小人たちの世界を描いた、「大麻でもやってんじゃねーの?」と思ってしまうような絵だったのです。
シワまで正確に描け!と言っていた先生が、脱法ドラッグか白昼夢でも見ない限り描けない小人などがいる絵を選んだのです。私は絶望し、美術がわからなくなりました。
時は流れ、イラストへ
そのような壮絶な波乱万丈美術史を経て、私は絵が全く描けない人間に育ちました。このまま一生、絵には縁のない人生を送るかに思われたのです。
しかし運命とは残酷なもの。ふたたび私は絵と向き合うことになりました。そのきっかけが手帳です。普段は実務的なことで効率よくかつ確実にタスクをこなすためのツールとして手帳を使っています。
しかしTwitterのタグでは、みなさん一騎当千な作品をがんがん上げてらっしゃる。それは、絵の描けない私にとって鬱陶しくもあり、どこか羨ましくもあったのです。
いろんな手帳の使い方がある。そのどれもが正解であって、私にとっては正解ではない。食わず嫌いではなく、自分もどんどん試してみようじゃないか。
実務手帳と趣味手帳のキメラが産まれた瞬間でした。
BLEACHが大好きなので描いてみました。しかし、仕事と関係ない手帳を出すわけにもいかず、仕事手帳にさも何かを考えるふりをしながら、カリカリと。
LAMMYのアルスターEFニブで、鉄ペンなので線が細く描きやすかったのです。裏抜けもなし。
しかし、そこはお仕事手帳。内密な情報や個人情報や自分の会社のロゴなどをモザイクで処理しました。そしたらほとんどモザイクになってしまいました。なんだか全体の空気が卑猥に見えます。
絵って描きつづければ上達できるものなんでしょうか?幸い、いまの私にはシワや毛穴の描写を強要する人はいませんので、もてあましていた測量野帳をそのまま「スケッチブック」として使おうかな、なんて考えてみたりしています。
いや、けど今日の週末会議。こんな手帳だせねーよ。どうしよう。