太宰治を避ける理由
定時の頃には陽が沈み、帰るころには冷気と闇だけになっていた。月明かりよりも暖の方が恋しくなって、ダッフルのフードを目深に被った。
駅に向かうバスを待つとき。カバンにある文庫本を取り出そうとして、湿気で本が傷むかもしれないと思い、留まった。
スマホを取り出すと、LINEアプリに通知バッジが表示されていた。友だちの追加だった。ここ最近は、スマホのメモリを削除も登録もした覚えがない。メモリになくても、何かしらのアプリで連絡がとれるからだろうか。
通知は、私のアカウントを電話番号で大学の友人が追加したものだった。バスは来ない。普段は見もしないタイムラインを覗いてみた。
使わないスマホのメモリはたくさんある。既に使われていないメールアドレスや番号もあるだろう。その中で、使わないというよりもこちらから距離をとっているメモリがあった。
彼女はいつも文庫本を持ちあるき、いつも何かを読んでいた。そして彼女は、メールアドレスに使うくらい、太宰治が好きだった。
太宰がいかに悲観的でダメな男でナルシストだったのか。彼女は滔々と私に語ってくれた。九州から、夏になると必ず桜桃忌に出かけていった。
もし、幸福というものが有限ならば、幸せであればあるほど尽きるときが近づいていることになる。少なくとも、私には幸福というものは無限にあるとは思えなかった。いまでも無限か有限か、なんてその答えは分からないけれど、終わりのときは近づいていた。
やがて大学を卒業し、東京と福岡で遠距離の恋愛になった。心置きなく通話できるよう、もう一台の携帯電話を契約し、彼女に送った。それからは、お互いの仕事が終わる時間になったら、暇さえあれば電話した。
繰りますが近づき、東京にも雪が散り始めたころ。突然に終わりは訪れた。ドラマチックな展開なんて何にもなくて。他に好きな人ができたこと。その人とちゃんと付き合うために別れたいことを告げられた。かっこつけて別れる余裕なんてなかったな。
LINEのタイムラインでは、使うこともなく、これからも使わないであろうメモリのアイコンが、赤ちゃんの写真になっていた。今は東京なのか、福岡にいるのかすら分からない。けれど、彼女は幸せを掴んだようだった。
吐く息が白く、車が通る風でさえ身が凍る。やがて遠くに、向かってくるバスが見えた。寒い季節だから暖かさが恋しいのか。心が寒いから温もりを求めるのか。夏がくる度、桜桃忌がくる度に彼女のことを思い出す。きっと、暗い文章を避け、明るい文章ばかり書いているのは太宰を避けているからだ。
別れが訪れた途端、他人よりも隔てられた存在になった、遠い日の彼女。もう届くことはないけれど、これからも文章を書き続ける。あの日、とてもかっこ悪かった自分のために、いまかっこをつけておきたい。
乗ったバスが走り出し、街並みの灯りが流れ始めた。
大丈夫。痛みは一時の傷で治まる。だから臆することなく、自分の道を信じて進め。
降った雪は、路面に落ちて溶けた。私は電車乗り場へ、足を早めた。今の私の幸せである、家族のもとへ帰るため。あのとき、私は確かに幸せだったと改めて思う。
いま、笑って振り返り。彼女の幸せをそっと祝うことができるのだから。