Personal Organizer Lab.

システム手帳・文具中心の雑記系ウェブログ。

私の手帳術

 好きな女の子の体操服を盗んだことはあるだろうか?私は好きな女の子のリコーダーを舐めたりすることは卑劣だと思うが、体操服に関しては必ず卑劣だとは思えない。なぜなら私が盗んだことがあるからだ。

  まず前提として、これは私が多感な中学生の頃の話だ。今や分別が、余計なお世話の領域に踏み込むまでにつきまくる大人な現在の話ではない。だから、ロリコンではなく、同級生の体操服であることを断っておかなければならない。

 同級生であろうが上級生であろうが、異性の体操服を盗む人は最低である。そのような指摘ももっともだ。しかし、それでも私は最低ではないし、リコーダーを舐めるような水木しげる先生が描きそうな妖怪とは違うということを声を大にして言いたい。

 

 青天の霹靂ということばがある。大いに人を驚かせるような衝撃的な出来事などを指す。そしてそれは大事なことだが、突如として前触れなく起こるのだ。

 人生は長い修行のようなもので、当然にエロもこの境地と並行してある。まずはおっぱいに興味を持ち、裸を見て何かに目覚め、アダルト的ピストン運動を想像して賢者に至ったりする。当時、中学生の私が体操服を媒介にそんな賢者タイムを召喚するようなスキルは当然なかったし、熟女たちの英霊を携えたいまとあっては特に必要もない。それでも、それは私に訪れた。

 

 当時は体操服は何か布の袋みたいなのに入れて、机の横にぶらさげていた。しかし、突如、一人のヤンキーだった女の子が「私の体操服が無い!」と騒ぎ出した。それはもうお母さんと一緒に出てる子どもたちみたいな勢いで、激怒を通り越して憤怒していた。実は、この女の子。私がクラスのヤンキー女に無理やり告らされた挙句、フラれるという壮絶な因縁を持った女性で、今で言えば和田アキ子叶姉妹のような関係なのだが、彼女が似ている芸能人はアゴ的にアントニオ猪木に似ている、もぎたてばななみたいな顔の女の子であったことは付記しておく。なので体操服がなくなろうがノーパンで登校してこようが私は関わることを断固拒否していたのだった。

 

 掃除時間のことである。帰り支度をしようと教室後方にある、私の簡易ロッカーを開けたところ、その女の子の体操服が鎮座なさっていた。晴天の霹靂初体験で、いつの間に自分はドラえもんになって四次元ポケット取扱いができるようになったのか判断に迷った。これはまずい、一刻もはやく自宅のつくえの引き出しに飛び込んで、過去に戻らねば。クラスのみんなが、猪木の体操服失踪の報せを受けている。その体操服が、なぜ私のロッカーにあるのか。

 

 ロッカーを開けるまで。私は自分のロッカーに、教室の話題をさらっていった熱い体操服が入っているなど想像もしなかった。しかし、ロッカーを開けた瞬間、事実は観測され、「さるさくんのロッカーに盗まれたはずの女性体操服が入ってた」というコナンも金田一少年も呼ぶまでもない事態が確定した。しかし、ロッカーを開けるまで、体操服がある状態と無い状態が重なり合っていたわけで、「これはシュレディンガーの体操服に違いない」と確信した。

 

 まさにロッカーの中の体操服を見た瞬間、私は雷に打たれた。それと同時に怒りが湧いた。まだ体操服の持ち主が広末涼子に似てたとか、加藤あいに似てたという事態であれば、私はまだ怒りを抑えて冷静でいられ、本人に謝罪して返還できたかもしれない。しかし、なぜ。私が変態の汚名を被ってまで猪木の着衣を、おいはぎのごとく奪取せねばならないのか。

 そこらへんの考察はさておきつつも、私は「やや!大変だ!こんなところに盗まれた体操服があったぞ!」なんて陽気におどけてみせるようなことは、まったくできそうもないことだけは明白だった。人間失格の葉蔵が演じたピエロでも無理だろ、な絶体絶命の状況。あまりに大変な事態である。あまりに大変なことなので、その体操服をさっさと掃除箱の中に放り込んで、私は忘れることにした。

 

 最近、『悪の華』という漫画を読んでいて当時のことを思い出した。マンガの主人公は出来心でクラスのマドンナの体操服を盗んでしまうところをクラスの変わり者に目撃され、「ある契約」を迫られる。対し、私の鋭い観察眼で比較した限り、こちらは強制的に体操服がコンニチワしてきた、クラスのマドンナではなく猪木、それをネタにいい契約を迫ってくるめがねショートカット美少女もいないなど、ありとあらゆる面において私の方がダントツに救いようがないと言えるだろう。

 

 ところが、ここで奇妙な事件が起こる。担任だったか、副担任の新人だったか忘れたが、先生さまがまっすぐこちらに向かってきて、荷物をみせなさいとゲシュタポみたいなことを言ってくるではないか。私はバッグを開け、手荷物を見せた。関係ないはずのエヴァンゲリオン失楽園(エロ同人誌)がここで召され、犠牲となった。十分な戦果は挙げたはずなのに、先生はそれでもおさまらない。ロッカーを見せろと言い出した。何を探しているんだろうか。中には私が持ち帰るのが面倒で、おきっぱなしにしているプリント類や資料集、汗臭い体操服しかないというのに。

 ロッカーも見せると先生は、がさごそ一通り漁り、納得いかない様子で「コレ(同人誌)は、家庭訪問時にご両親へお返しします」というとんでもない爆弾発言をさらりと残して職員室へ帰って行った。

 

 みなさんはお気づきだろう。先生は誰かから情報を得ていたのだ。私が体操服の。それも猪木の体操服を所持していると。私は許せなかった。密告したのは、私に告らせたバービー人形をマツコデラックスで因数分解したようなブスヤンキーに決まっている。猪木が共犯であるのかどうかは定かではない。ただ確かなのは、私が猪木の体操服を盗んだ犯人として陥れられようとしているという、ただそれだけの事実である。

 公明正大、清廉潔白であった(エヴァの同人誌を除く)私が、直ちに猪木バイオウェポンを排除したことから間一髪で難を逃れた。しかしヤツもよく考えたものだ。美少女の体操服を盗んだとあれば、へたすれば勇者として讃えられたり、神格化されかねない。絶妙なポイントを突いてきたわけである。

 

 イスラムとかそこらへんでは盗んだら腕を切り落とされるという。しかもそれが異性のだったりするならば、それはもう役満に違いない。しかし冷静沈着な私は迅速かつ適切な処置で、難所を切り抜けた。かに思われた。

 そうなると問題は、掃除箱に放り込んだ激熱な物件の処理である。どうしたものか、私は判断に迷った。そのまま放置して誰かが見つけてうやむやになっていくのが理想だが、下手すれば呪われた人形みたいに、今度はいいわけご無用なシチュエーションで舞い戻ってくる可能性すらある。だめなのだ。反撃の余地を残しては。万に一つも。

 そうして私は誰もいなくなった教室で、体操服を持ち出して持って帰った。

 

 その体操服はと言えば、実は捨てるにもゼッケンで名前が強すぎる自己主張をしていたり、そもそも親をスルーして体操服を破棄するということが難しく、いまでも当時のまま残っていたりするんじゃないかと思うが定かでない。ただ、私欲のために使用したことは一度もないことは断言できる。

 いまはLINEやSNSを使ったいじめや嫌がらせが多いという。スピリチュアルなダメージがきついのか、卑猥で物理的過ぎる名誉棄損がきついのかは意見が分かれることだろう。ただひとつ確かなのは、当時、中学生でありながら素因数分解すらできなかった彼女らは、ドンキホーテとかでキティちゃんジャージを着て闊歩する青春を送り、今はどうなっているのか知らないということだ。ただ、そんな卑劣な手段に屈してはならないし、当時、何の疑いもなく私の荷物検査をした教師を許しはしない(どっちか覚えていないけれど)。

 

 体操服を盗むという、一つの所業の裏に、こんなにも細井守監督が映画化してくれそうなストーリーが秘められている場合もある。だから私は体操服を盗むという行為を全て「変態」と断罪することに抵抗がある。

 それと比較すると。誰かに陥れられたりすることなく、主体的かつ積極的にリコーダーを舐めうるそれとは、大いに一線を画すと考えるのである。

 いつか再会したときは猪木に真相打ち明けて謝らないとな。素因数分解とは縁のない人生を送っていそうだけれど。

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 というような話を書くための情報を常に持ち歩いていて、いつでも開けるのが私の手帳術でありジャスティスです。

 

今週のお題「わたしの手帳術」