いろは。

手帳・文具中心の雑記系ウェブログ。

狼と本読み

 面接は、ただ一つの質問で終わった。

 「恋人はいますか?」

 書店には思い入れがある。唯一のアルバイト経験が、書店だった。田舎ならではで、バイトの内容に対し、両親や祖母たちのイメージなり偏見なりがあり、それが大きく影響することは珍しくなかった。

 地域のコミュニティで、どこでバイトをしているのか、というのも噂の火種になりやすかったのだろう。だから当然、水商売関係は許されないし(する気もなかったが)、飲食店もお酒が絡むようなお店はいい顔をされなかった。

 

  タウンワークなどの冊子を漁ったけれども、近所で条件のいいバイトを探そうとすると、自分で町を歩いたほうが見つけやすかった。そうして見つけたのが、自転車で5分ほどの距離にある書店だった。

 もともと本は好きだったので、書店でのバイトはむしろ楽しみだったし、祖母たちも書店ならと快く許可してくれた。とはいえ、採用されるかどうかは別問題で、さっそく電話し、履歴書をもって面接へ行くことになった。

 面接を担当してくれたのは、パンクなビジュアルの女性店長で少しびっくりした。面接の内容も、簡単な勤務条件の希望などを聞かれ、質問はたった一つだけだった。

 「恋人はいますか?」

 

 後に、「恋人がいる人なら人間性もある程度信用できると思ったからー。半分冗談で聞いてみたけど」と笑って教えてくれた。恋人の有無で判断するなんて、と思う人もいるかもしれない。でも、たかだか十数分の面接でその人間性を見抜けるわけはない。他者に受け入れられているかどうか、というのも判断の材料にはなるのだろう。もちろん、それだけで判断することには異論があるけれど。そういう尖った考え方をできる、パンクな店長だった。書店は意外と力仕事も多い。だから男性バイトはありがたかったという。

 書店では、平日の朝、配本されたものを検品し、付録を詰めたり、コミックスにシュリンクをかけて棚に差すことからはじまる。その作業は、いままで出会ったことのない本を知るきっかけとなって、非常に刺激的だった。興味のなかったジャンルまで目に飛び込んでくるのだから、いやでも世界は広がっていく。

 

 本は元々好きだったけれど、書店についてはこのお店で色んなことを教えてもらった。岩波文庫が買い切りで返品がきかないから、体力のある書店でしか取り扱えないこと。配本は、ほとんど自由が効かずほぼ強制的に送られてくること、色んな出版社の事情、当時の自分は知らないことばかりだった。

 書店なので本はたくさんある。貸し出し簿に記入して、先輩の確認印をもらえば持ち帰って読むことができた。だからたくさん読むことができたし、そのまま気に入ったものは購入した。この書店での経験は、人生の中でも貴重なものになったと思っている。

 

 速読術という技術がある。読んで字の如く、本を早く読むための技術だ。元外交官の作家、佐藤優(さとう まさる)氏は、ラーメン屋の店主も顔負けなドヤ顔腕組みで、本のカバーになっていることが多いため、ご存じの方も多いだろう。『読書の技法』の帯には「月平均300冊、多い月は500冊以上」と、一日で平均10冊程度という凄まじい数字が躍っている。速読とは、そんなにすごいのか。けれど、本を読む人ならば、自分なりの速読技術は少なからずもっている。だから、そのからくりも分かることだろう。

 

 例えばあなたが「青ペン書き殴り勉強法」に興味をもっているとする。そこで書籍を買ってくるのだけど、読みなれていない人は、最初から丁寧に読み進めていく。私の場合、まずもくじをみる。自分が興味があって、具体的で効果的な方法が知りたい。だから、ページ数の大半を割いている「なぜこの勉強法は有効なのか」といったアピールや言い訳部分は無視して、ハウツーの部分に入る。これだけでも4~6割は読書を省略できる。

 目次で拾う部分を決めたり、飛ばす部分を決める。これができるのは、「なぜその本を手に取ったか」が自分で分かっている場合だ。佐藤氏の月〇〇冊、も自分に必要な情報だけを効率的に取り出しているだけのことなので、あまり本の冊数で語ることに意味はないように思う。

 

 私たちは、今でこそAT車が主流だけれども、MT車のときは道に合わせてギアを入れていた。坂道ならローに入れ、ひらけた高速ならトップまでシフトアップする。道に合わせてギアを変え、速度を調整してきた。読書もそれとまったく同じで、読む本によってギアを変えることでスピードを調節できる。という、当たり前のことが速読術だったりする。本を読みなれるとクラスター読みや斜め読みもできるようにはなるけれど、やってみると分かるが相当な集中力を要する割に、月で何十冊も差がつくわけでもない。その本に合った読み方をすれば、それでいいと思う。

 

 人生の中では、何度か味わいたい文章に出会うことがある。最もわかりやすい例が恋文、ラブレターだろう。中学生のころ、人生ではじめてラブレターをもらった。かわいい便箋2枚くらいだっただろうか。読み通すだけなら十数秒だろうか。そんな大した量でもない文章を、生徒手帳に入れて持ち歩いていた(注:実は好きだった女の子から意図せずもらったものなので完全にのぼせていた)。

 速読をもってすれば、情報を把握するのに十数秒。そのあとの便箋は無価値である。けれど、それではあまりに味気ない。今でも書き出しを覚えているほど、何度も読んだ。たった十数行の文章が、1年以上も私を虜にしたのである。そこでは速読は無力だった。

 正確に言うならば「速読すべきでない文章」ということになろうか。美術集、哲学書、小説、詩集など、速読がほとんど意味を持たない書籍の分野はたくさんある。ちいさな子どもが読む絵本だってその一つだ。けれども、全くの無意味というわけでもない。

 ショウペンハウエルは言った。「限りある人生の中で読める本の数は限られている。その中で良書を読むには悪書を読まぬこと」と。けれども、良書と悪書の判断も、凡人たる私たちは読まなければつけられない。そんなときに、速読で判断することはかろうじて可能かもしれないと思い、私は書店で迷ったときは、速読で掴める部分を掴み、購入の可否を判断している。それ以上でも以下でもないけれど、仕事で資料をまとめたりするときなどは役立ってくれている。

 

 そんな速読はいろんな講座で開かれている。特に目につくのは天狼院書店なのだけど、ここは書店という名前を借りた承認欲求ガソリンスタンドなので、あまり興味が無い。興味が無いのに主にFacebookでバーター記事の形式でもって私の視界につきまとう。別にそのようなビジネスが悪いわけでもないし、私が被っている迷惑といえば、SNSでの宣伝ストーカー行為くらいのものだ。

 ただ、この視界に入るというのがかなり鬱陶しい存在だったりする。単なる宣伝ならスルーすることができるのになぜか。数えきれないくらいの肩書きを持つ店長を崇拝する人々が、賞賛の嵐を巻き起こしており、その様相が宗教そのもので気持ち悪いとしかいいようがない。語彙力やばいけど気持ち悪い。

 書店といいながら、一生私は縁を結べなさそうだ。異性を一発で落とすライティン講座とか、開かれない限りは。

 

 そんなことを書いていて、かつての私の店長に久しぶりに会いたくなった。