自由という拘束
好きなものを好きなように書く。たったそれだけのことなのに、これほど難しいことはない。
自由っていうのは、なんでも好き勝手できると見せかけて、実はそのような状況に陥ると人間は何をしていいのか分からず途方に暮れる習性がある。
たぶんこれは天にいるイエス・キリストかお釈迦様かは知らないけれど、そういう尊い人々へエンターテイメントを提供することを宿命付けられてるんでしょう。自由を求めるのに、手にした瞬間、自由に拘束される。そして途方に暮れるところまでがテンプレです。
考えてもみてください。一日1ページ自由に使える「ほぼ日手帳」、好きなものを好きなだけ綴じて使う「システム手帳」。これまで、どれだけの人がイキってこれらを使おうとし、そして挫折してきたことでしょうか。それは自由ゆえ。そして、自ら考えられないから、自由に対しても「正しい答え」があるとの幻想を見て、それを求めるがために身動きが取れなくなってしまうのです。
ブログも同じです。好きなことについて、好きなように、好きなだけ書けるもの。そんな自由なフィールドだからこそ、難しい。特に書き出しは重要で、この一文の推敲に就業時間の半分くらい持って行かれることもザラです。できればもう半分も持って行ってほしい。その上血迷って、インパクト重視し過ぎた結果、「私はふたなりである」といった、にわかには信じがたいような書き出しのまま更新しようとしたこともありました。にわかには信じがたいというか、むしろ完全なるセルフ風評被害です。僕はふたなりではないのですから。(注:ふたなり 両性具有のこと)
そうなると他の人はどんなこと書いてるんだろって気になるわけで、いろんなブログを読みます。もう中には面白くって、文章が上手くって。あまりの嫉妬から筆を折ろうと思ったのですが、折る筆もなくディスプレイの前で咽び泣くことしかできませんでした。仕事中に。
けれどやっぱり自分が面白いって思う他の人のブログを読むことって、いろいろ気付くこともあるわけでためになります。なぜ、僕のブログは殺風景で、他の人のブログは華があるのか。そこを深掘りしていくと、もっと魅力的なブログになると確信しています。
1.圧倒的ヒロイン(キャラクター)不足
面白いブログには、必ずといっていいほど、ヒロイン(彼女または奥さん)、個性的な友人などの魅力的なキャラクターとのパンチあるやりとりがテキストを引き立たせて、記事に華を添えています。その点、僕のブログはひたすらおっさんがぶつぶつとのたまってフェードアウトしていくという、浮遊霊との区別が難しく、どこに需要があるのか分からないというポジションを強固にキープしています。
2.サイトデザイン
デザインっていうのは見てくれもそうですが、動線も含めたデザインのことです。人気記事やジャンルごとの分類に素早くアクセスできたり、3回のクリックで一通りのページにアクセスできるかなど。そっち系のスキルは全くありません。ゆうこりんさんが描いてくれたかわいらしいアイコンだけが、荒野に咲き誇る一輪の華のように映えています。
3.文章がうまい
肝心のコンテンツを構成するものなので、当然ですが文章がうまい。時代が時代なら、短歌で異性を落として恋人つくってるレベル。対抗していくには文章修業で、自分の筆力を上げていくしかない。それは分かっているだけど、文章修業って何をすればいいのかわからない。
という感じで、大きなところで3点について改善すれば、大きく魅力を増すことでしょう。1.のキャラクターについては言わなきゃならないことがあります。僕がとても大好きだった雰囲気をまとったブログ。ぺんたぶさんの『腐女子彼女。』。腐女子Y子さんとのやりとりを綴ったブログで面白くて大好きでした。
そしてなんと漫画化されたんですよね。ブログではY子さんだった彼女さんも、作中では「飴谷結子さん」となりました。この飴谷さんが超絶かわいいんです。
もうほんと。コミックスを観てもらいたいんですけど、結子さんを紹介しただけでこのブログが華やかになった気がしませんか?今ならこのテンションでエレクトリカルパレードみたいな雰囲気で上司のところまで行進して、退職届を提出したいような気持になります。僕はこのコミックスを観たときに思いました。「芸術は暴力である」と。
こんな女神を生み出しておきながら、現実では手に入らないのです。さんざんユーザーを煽りまくり、なかなか排出されない課金ガチャのような残酷さです。しかし、それですら美しい。鼻血だしながら語彙力を失うレベルの衝撃を受けたことは、いまでも昨日のことのように思い出されます。
もうこれはリアルを一切捨てて、紙面に飛び込むしかないと思いましてね。紙に飛び込もうとするのは、思春期特有の奇行でしかありません。僕はそんな低レベルなことはしません。実は『HUNTER×HUNTER』のグリードアイランドにヒントを得たんですよ。入りたい本に両手を添える形で「練」を行うと、身体・精神ごと本の世界に引きずり込まれてそっちでの人生を開始することができる。そう思って胸が躍ったのですが、そもそも単なるおっさんが異性に転生したところで、世界は何も変わらない。というかむしろ念を習得しているわけでもありませんでしたからね。諦めました。
実はキャラクターという意味では、堂々とストーキングしている大学の先輩(人妻)を予定していました。でもほら、それは社会的にも倫理的にも迷惑全方位ぶっ放しであまりにも心苦しい。そこで、血縁関係という強固な絆で結ばれた親族ならば、それくらいの迷惑は甘んじて受け入れてくれるのでは?と思いました。けど、家族で言えば。ヒロインというか女性というか、むしろおかんしかいません。そんな反則でしかない存在をヒロインとして扱った日には、そうそうに僕の精神に異常をきたすことは疑いようがない。
頭のおかしい弟も考えました。久しぶりにお互いの帰省が重なって実家で会ったのですが、第一声が「ボディビル対決しようぜ」という、真意を測りかねるもの。そもそもボディビルはコンテストであって、対決競技ではなかったはず。そんな反論に「お互いポーズをとって恐れ入った方が負け」という謎ルールを轟然と言い放ちましたからね。ほんとおかしい。さらにヒロインから遠ざかる。
ということで、当ブログではヒロインを絶賛募集しております。