いろは。

手帳・文具中心の雑記系ウェブログ。

駒と歯車

 彦星と織姫のごとく、ブログやSNSと距離を置かされて早1ヶ月。隔てるものは天の川なんてロマンチックなものではなくて、年末系業務という無慈悲具合。もはやクリスマス目前にして、聖誕祭なのに虫の息という始末です。手帳術が全く役に立たない、物理業務月間でした。

  週末や休日は、そもそもライフワークや遊びに余念がないため除外するとして、平日は仕事with責任みたいなものをどこどこと振られてまったく余裕がありませんでした。思うとマネジメントっていうのは、エゴを多分に含んでいるのではないかと思うのです。

 会社組織のマネジメントと僕自身のセルフマネジメントは、必ずぶつかってお互いを阻害します。会社は責任を持たせて仕事をさせようとしてくる。僕は僕でそれを回避しつつ、効率的に給与獲得を目的とする。まさに水と油なのです。

 もうちょっと給料でもあがれば馬車うまのごとく働き狂うのですが、世の中の景気とは反比例な実績を盾に、人事院がどんな給与アップの動向を見せつけようが、不動明王のごとき不動を貫き通すのです。それが高い水準の給与ならば肉眼も股間もうるむところですが、いかんせんブルーインパルスの秘儀並みの低空飛行を維持されるからたまったものではありません。責任は自由を縛る鎖に他ならない。おかげでブログもなかなか書けなかった。

 そんな日々に精も根も預金残高も尽きようとしていたのですが、今朝、とあるニュースが飛び込んできたのです。

藤井聡太七段 解説者デビュー』

 若いのになんという達観ぶりでしょう。あれだけ将棋界に大きなインパクトを与えたのですから遅かれ早かれ、その役割は回ってきたことでしょう。しかし、あの落ち着いた柔らかな雰囲気で、みごと責任を果たしたらしいのです。すごい!僕は逃げるか投げるかするのに!

 でもですね、思ったんですよ。将棋の駒って大きな責任と重圧を背負っているのだと。

 

 例えば歩っていうのは、前に1マスしか進めない駒です。対して香車は前方向ならどれだけでも進めます。このとき、香車が背負っているプレッシャーはパナい感じになってるわけです。

 例えば合コンに赴いた際、ゲームセンターのガンシューティングゲームに出てきそうな女の子がいたとします。香車な僕としては、ショートカットのうら若き乙女に突き刺さるべく前進したいのですが、周りの友人たちからはゾンビに向けて放たれる核弾頭の役割りを期待されます。しかもただの前進ではなく、ロフテッド軌道を期待され、まるで「放たれて帰還すんな」みたいな雰囲気で期待されることが主ですからね。ほんと許し難い。

 

 将棋の駒もまた同じで、動ければ動けるほど、課せられる期待とプレッシャーが大きくなります。とられてはいけない王将、どこまでもはせ参じることができる角や飛車、香車などの重圧はほんとにはんぱないと思います。ハリー・ポッターのニンバス2000とか使ってそうな縦横無尽の活躍をする駒。その華々しさとは裏腹に、かれらに課せられる期待はかなりのものだ。あるときは敵陣に飛び込み、王のピンチとあらば、飛車なら縦横、各なら斜めの方向で飛んで守りにはせ参じる。危機がさったらまた敵陣へ飛び込んでいく。あえて動かなかったりして相手の注意を惹きつけたりもする。まさに万能なのだ。だからこそ、その責任は重い。

 だから僕としても、それなりの可能性を秘めている以上、時には合コンにあらわれたコロン(遠くからやってきてくれた心意気に免じてむげには扱えない)ブスに向って射出されることも運命の一部として受け入れなければならない。

 問題は歯車なのか駒なのか。そのどちらがよいのか。

 

 一時期、弟が将棋にはまっていました。いろんな本を読んで、矢倉だとか棒銀とかいうそんな陣形で攻め立ててきたのだけど、そんな高度なやりとりが成り立つのはお互いに技術がある人同士の場合です。僕にはそんな高度な対抗策はないので、ヨガテレポートでいきなり王将の目前に歩が表れたり、アバダケダブラと唱えて王将を盤上から弾き飛ばしたりしているうちに全く相手にしてくれなくなりました。世知辛いものです。

 そして最も世知辛いイベントがこれから到来しますね。その模様は、また改めて書くことにしたいと思います。今年は可憐な美少女に向って香車のごとく突き刺さりたい。