Personal Organizer Lab.

システム手帳・文具中心の雑記系ウェブログ。

手帳選びで覚えておきたいたった一つのこと

 初雪が舞い、息も凍る季節がやってきました。人々は仲睦まじく寄り添って、イルミネーションが飾る大通りを歩く。そんな光景を目の当たりにして、クリスマスとはおおよそ対極の位置にある仏教群鬼太郎系な僕らは五臓六腑的なものがひねりつぶれそうになってのたうちまわることになります。

  恋人との熱くて溶けるような時間を過ごすということは、選ばれた人間の特権です。少なくとも、異性に選ばれなければそんな時間は過ごせません。謎の独自過ぎる研鑚で独身術を極めた結果、意図していなくても常に発動するスキルにまで至ってしまいました。

 かつてセルゲームに備えて修行した悟空と悟飯が、常にスーパーサイヤ人でいれるように鍛えたことがあったけれど、スーパーサイヤ人というかスーパーシングル人としてその境地に至ってしまい、いまでは清楚な女性の後ろ姿評論家として着実に地位を固めつつあります。権威といっても過言ではない。

 

 今朝に至っては、死体遺棄事件で男性が逮捕されていました。どうやら若くてきれいな女性に交際を断られて殺害した様子。写真をみると、これまた清楚な女性でありましたので、数多の男性から交際を申し込まれるであろうことは想像に難くありません。

 しかし断ったからといってガチ往生させられるなんてことは思っていなかったはず。ご冥福をお祈りすると共に、交際を断る機会すら与えられない自分の身の境遇に感謝しつつ、恨んだりもしています。

 

 けれども、僕ら独身者にも冬やクリスマスを楽しむ権利はあるわけで、その代表的なものが「食」です。クリスマスにケーキやケンタッキーを食べたり、おせちをたべたり、お金さえあれば好きなものを食べることができる。そして冬といえば「鍋」の季節。

 鍋はおいしい上にお腹もいっぱいになるまで楽しめます。さいごに雑炊にしてみたり、味を変えてみたり、そしてそれを仲のいい人と囲んでお酒を楽しむこともできる。いわば究極のコミュニケーションフードです。しかし一歩踏み込むと、そんな甘えは捨てなければなりません。

 

 先日、テレビ番組で大阪府堺市は鍋が盛んだとかいうコーナーをやっていました。どんな鍋があるかを調査するために、趣旨に賛同したお母さんたちが各々鍋を持ち寄って検証するというもの。

 鍋というのは楽しみ方によっては団らんのツールだけれども、他の家庭のものと比較した途端、己の正義を叫ぶ荒々しい鍋に変貌します。味はもとより、投入する具材、出汁、つけるポン酢のメーカーに至るまで喧々諤々の論争を巻き起こす。正義に対立するのは悪ではなく、また別の正義なのです。ちなみに、糸こんにゃくにはマロニーちゃんが対立してた。

 あげく当然のことながら結論などありません。屹立しまくって叫ばれる鍋の正義は、どれも個々の家庭の歴史、ままの味、価値観に立脚しており、共通のものさしなど持つ気がサラサラないからです。終わったあとにはぺんぺん草も残らない。マジ仁義ない。

 

 そんな鍋でマウントとって相手の味覚や庶民さなどをフルボッコにしかねないような模様を観ていて僕は「手帳界隈も同じだな」と思いました。

 正しい答えなんてなくって、あるのは自分の好みと満足度ただそれだけなのに。効率のいい方法、は確かにあるんだけれども、それは正しい方法とイコールではありません。楽しみ方、手帳に求める役割り、自分の特性などまさに十人十色過ぎる要素に左右される手帳に、正しいもクソも存在しえないのです。

 

 僕は本をよく買います。本なので、当然、読まなければ意味がないと思われるでしょう。けれど実際には、読んでない本もたくさんあります。本棚には、グリンゴッツ銀行の貸金庫もかくやというくらいに積み上げられている本たちがあります。

 手帳も使うことだけが正義だと思っていましたが、本のような存在を顧みるに、「使わない」という手帳の運用方法すらあるかもしれません。

 

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知らないことは考えられないし、思いつくこともできない。だから本を読むわけで…

 

 ただ、どのような運用方法があっても、それは自分の中での正解に過ぎず、ごくごく狭い正義でしかないということを自覚しないといけないでしょう(自戒含む)。

 自分の中で、今この瞬間に輪廻転生から外れても後悔ないってくらいの運用を確立したとします。それこそ解脱しそうになるかと思うのですが、価値観や感性の異なる他人から見れば、行列のできる法律相談所における最強弁護士軍団と同じ程度の存在意義しか見いだされないことでしょう。どこまでいっても自己満足の域を出ない。けれどそれでいいと思うのです。なぜならそもそも手帳やノートっていうのは、自分の内面に世界をつくるための自己完結的な試みなのであって、そもそも他者とつながって比較される今の環境の方ができて間もないのですから。

 

 隣の芝生は青く見えるからこそ進化できる。おいしそうな鍋を見ればマネをしてあの具材を入れてみよう、こういう締めの料理を作ってみよう、となるわけです。リアルの中で「正解の鍋」を追求している人をみかけたならば、きっと憐憫の情にほだされることになるでしょう。

 もし「本物の鍋とはこういう具材でこういう食しかたである」と延々、主張している人がいたらどう思いますか?とりあえずタッチしない神に祟りなしっていうポリシーを速攻打ち立てますよね。

 けれど、手帳はなぜか正解を求める人が多いように思います。いろんな煌めいた手法が雑誌等でとりあげられ、それをきっかけに興味をもってはじめた人たちならば致し方ない部分もあるでしょう。そしてそれを利用するために色んなアドバイザーやエキスパート、スペシャリストが湧きはじめます。

 でもその本質は鍋みたいなものなので、気軽につまみ食いしながら、自分の鍋をぐつぐつ煮ていけばいいこと。あまり難しく考えずに鉛筆といっしょに持ち歩くことをお勧めします。運用なんてあとからついてきますから。

 

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萌えた民話をプリントして綴じこむ。張りつめた会議中とかに読むとほっとする。

 あたらしい手帳が並び、誘惑の多いこの季節。少しでも多くの人に手帳をつかってもらい、その良さを知ってもらいたい。そしてシステム手帳を使い始め、どっぷりはまり、シス手研タグを使い始めて僕を崇めてもらいたい。そして有名になって不労所得でテキトーな情報商材を売って楽でゴージャスな生活したい。そのために書いた記事ですが、少しでも参考になれば幸いです。