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『下剋上受験』

下剋上受験』 桜井信一/産経新聞出版

  コンプレックスは、ここまで人を突き動かすのか。それが一番の感想でした。ここにきて冒頭からエグいほどの下ネタが脳裏に浮かんだのですが、さすがに先制パンチが過ぎるのでここでは割愛するとして、話のスジに触れておきます。

 

 これは自他ともに認める中卒の夫婦(主に父)が、社会での下剋上を賭けて、小学5年生の娘:佳織ちゃんと共に女子御三家桜蔭中学校を目指すノンフィクションです。読み始めは辛かった。何が辛かったって、著者のコンプレックスが隠すことなくふんだんに描かれているんですね。確かに中卒という学歴はそうそう会いません。けれどもその自虐が生々し過ぎて、読んでいるこっちが重苦しくなってしまいます。「そこまで卑下しなくても…」、「そんな中卒の人、見下してるように見えるのかな…」とか思ってしまうのですが、奥様も中卒とのこと。僕の中ではほどよいギャルかヤンキーで再生されまして、もはやそんなコンプレックスよりも佳織ちゃんができるまでのことを生々しく語ってほしいと願わずにはいられませんでした。

 

 とはいえ、正だろうが負だろうが、心が動いているときのエネルギーたるや相当なものなんだと思います。例えば小学校高学年~中学生の思春期においては、ちょっとしたボディタッチで心が陥落したりします。好きな子からちょっと脈ありな言質でもとれた日には、背中に羽が生えて極楽浄土一歩手前くらいまで飛んでいきそうになった経験は誰でもあるかと思います。現実ではとんでもないミラクルとかが起きて、一気に脈がふれることなくピーっという警告音に変っていたりもするのですが。

 負の方はなかなかありませんけれども、いざとなればワラ製バービー人形みたいなのこさえて、丑の刻に神聖な場所で乱舞しながら釘を打ちつけることも辞さないような人もいらっしゃるわけです。本書では、それが中学受験に向けられています。

 

 この社会は、みんなが平等や多様性を叫びながら、現実には厳然たるヒエラルキーが存在します。その階層を上に上がるには、家系の中で誰かが立ち上がるしかありません。その意味では、「下剋上」という言葉がなんとしっくりくることでしょう。

 スクールカーストという言葉もありますが、一歩引いてみれば学力によるヒエラルキーとあっぱっぱーなことしかできない層との権力争いのような構図も見え隠れします。陰キャと言われようがガリ勉と言われようが気にすることはありません。長い目で観れば、陽気なキャラのままSNSで炎上して即身仏と化していく人もいます。カーストヒエラルキーも、独断的な何らかの指標にそってつくられたものでしかありません。

 

 僕の地元の友達の「シャトルのせいちゃん」なんかは、居酒屋で子だくさんのヤンキーご家族をみて「マンボウがたくさん子供を産むのは、弱いからだ。種を残すのに必死なんだ。だからヤンキーもたくさんこどもをつくる。それは自然の摂理だ」とか、ナチュラルに独断&偏見で断じてましたからね。

 

 僕も中学受験を経験しているので、懐かしく思いながら読ませてもらいました。偏差値、読解、四谷大塚日能研などの懐かしいワード。あのときもっと頑張っていれば…という後悔。けれども格差は社会構造の一部であるが故に、毅然たる態度で平等に人を襲います。

 僕の場合は小学校3年生から受験の準備が始まりました。本書の佳織ちゃんは小学5年生からで、圧倒的にスタートが出遅れています。そもそも中学受験という世界、そしてそのための準備に関しての情報に触れる機会すらない層だって当然にあることでしょう。そして、本書の家庭では「親塾」という形をとりましたが、一方ではAKBの推しメンを己の投票だけで一位にもっていけそうな金額を投じて塾に通わせる家庭もあります。つまり、情報戦も含めて受験は、「平等な競争とは程遠い」世界です。社会階層も親から相続されるのが現実。だから、階層の下剋上は、一気にはなかなかいけません。じわりじわり上げていくことしかできなくって、階層間を無双しながら駆けあがっていくには相当なエネルギーを要することでしょう。

 僕の両親はそのエネルギーのポテンシャルを秘めていて、無双する準備は万端でした。とかく本を買い与え、読み聞かせ、一日1ページの読解力養成ドリルと計算ドリルを続けていました。そしていざ鎌倉とばかりに四谷大塚の提携塾へ放り込み、多額の授業料、教材量、夏期講習などを施しました。しかしいかんせん最終的なアウトカムが僕であり、すなわち馬鹿であったので、階層間の無双大移動は叶いませんでした。それどころか3つ離れた弟に、これでもかといわんばかりの受験ブロックを中学、高校と連続で炸裂させてきました。思い出深いのは高校のとき。ラ・サールという九州の名門校に受かった弟のファインプレーを、僕の私立大学進学、県外進出、一人暮らしといったトリプル役満で進学を断念させたとき、僕の「○家開闢以来の不良債権」の称号が確たるものになったのです。

 

 この物語の主人公、桜井さんは塾や家庭教師ではなく、親が講師となり、自らも共に学ぶという「親塾」という形を選択されています。受験勉強・親塾をスタートするにあたって、勉強道具を選ぶエピソードがありました。「えんぴつは侍の刀のようなものなので、最高級のものを使わせてあげたい」。その気持ち、とてもよく分かります。手帳界隈のみなさんは気持ちが分かり過ぎて、ファーバーカステルのガヤが飛び交いそうですが、伯爵コレクションを消費しまくるとか、どんなブルジョアジーなのかという話です。桜井さんの記述から察するに、最終的には「クルトガ」を購入されたようです。他にも消しゴム、ノートを選んでおられました。「書く(描く)」ことに魅入られている僕たちとしては、そこで万年筆だのノートでなくコピー用紙を使えだの言ってしまいたくなるところです。しかし、とても初々しい文具選びにほのぼのしました。

 

 著者の陰鬱なコンプレックスの発露から幕あける物語。最初はほんとうに鬱陶しくてくどいな、と思っていました。けれど香織ちゃんと共に、読解力や文章表現のテキストをこなしているからでしょうか。だんだんと話が進むにつれて、皮肉のテクニックが上達していくのです。「『アレがこないの…』なんていうプロポーズの言葉が成立する中卒の世界から抜け出したい」みたいな愉快な自虐にまで発展していきます。

 環境こそ不平等なものですが、誰でも取り組めて一発逆転できる可能性を秘めているのもまた勉強です。いや、勉強というと進学のための手段に過ぎないような印象になってしまいますが、それは他ならぬ自分への投資です。獲得できた知識も、それによって合格できた学校の名前も、そしてそれらを使って人生を切り拓いて生きていく力は、他人に決して奪われることのない財産に他なりません。子供の時代に勉強するのは苦痛です。大人になって後悔するのは、その大事さが身に染みて分かるから。だから大人は口を酸っぱくして「勉強しなさい」と言いますし、子供は子供で勉強なんかよりも異性に夢中のティッシュライフとかを送って、モラトリアムを消費していってしまいます。

 

 本書の中で、佳織ちゃんの勉強に付き合う中で、お父さんが勉強しなかったことを後悔するシーンが印象的に残ります。その大切さが分かっただけでも、下剋上のための第一歩は成功しているように思います。昔からある古典「学問のすヽめ」。昔から学ぶこと、勉強することは大事だと言われ続けているのに、それをノリで無視しちゃう時期にある子供たち。みんないまこそ勉強しておくべきだ。こんな大人になりたくなかったらな!

 さて、僕は四谷大塚グループの塾でしたが、学年にもうひとり、別系統の塾に通っていた超嫌味な人がいました。地元に帰ったら順調にドクターになっていたので、さっそくエネルギーをバイタリティに転換しようと思います。よし、藁バービーつくっとこう。