Personal Organizer Lab.

システム手帳・文具中心の雑記系ウェブログ。

世界を読むということ

 僕たちは、この世界のほとんどのことを知らないまま死んでいく。どうやらそれは避けられないことらしい。その証拠に、未だ女心でさえ理解できないでいる。書くブログも頭が、やや残念な雰囲気を十分すぎるほど反映しており、女性のファンは現れない。

 人生の目的は未だわからないけれど、せいぜい楽しむことはしたい。だから僕のさしあたっての生き方は「世界を読む」ということだ。その地図をつくるための道具が文房具だと思う。、


 よほどのドラマが起きない限り、人の生涯賃金っていうのは就職した時点でほとんど決まってしまう。それからはたいして上がることも下がることもない。
 パイが定まるので、その中で趣味に使えるお金も限られてくる。大事なのは「それをどう使うか」ということだ。


 マーケティングでは「選択と集中」が戦略の原則になっている。すずめの涙な僕のお小遣い予算を、どう使えばその効果は最大になるのか。その最適解を探さないといけない。


 絶えずノートや手帳を持ち歩いている。知らない人が見れば
「彼、デュエリストなの?」というくらいシステム手帳を持ち歩く。ノートもコピー用紙も。もし紙だけで人間が生きれるというなら、核シェルターとかノアの箱舟くらいの役割は果たせそうなくらいには装備している。


 それら紙には何を書くのかというと「情報」だ。でもその情報っていうのもとても幅が広い。
グーグルで検索でわかるよう、腐敗しながら散乱しまくっているまとめサイト・キュレーションサイトのようなゴミも情報。現場から得られる生データ。そしてそれら既存の事実を取捨選択して集め、知性を駆使して判断・統合・推理したものは質のいい情報。情報の質を決めるのは、書き手自身に他ならない。


 いくら良質な本を持っていたとしても、もしそれをただ書き写すだけならば、メモ代わりに写真を撮った方が早い。だからそのときにはノートやペンなどのアナログは、足を情熱的に引っ張る、やっかいなお荷物になるだけだ。

 ノートや手帳に書くのは、さまざまな経験(生データ・一次データ)に自分なりの解釈(思考)を施した、オリジナルで質のいい情報を蓄積するため。その積み重ねが、世界を読めるようにしてくれる。


 ぶらりと一人旅に出てもいい、美術館にいってもいい。風俗だって新しい人間関係や価値観を生むだろう。書物は物理的に読めるけれど、世界は体験を通してしか読むことができない。けれど、それは本やインターネットが与えてくれた情報や知識を、自分専用にカスタマイズするために欠かせない素材となる。

 

 文具は持っているだけで、自分の精神的な生活や土壌を豊かにしてくれるわけではない。だから、僕の場合はあまり蒐集することに興味がない。どう使えば、文房具の可能性を大きく引き出せるか、そして自分の生活を精神的な意味で、あわよくば物質的にも豊かにできるかのベクトルに重きが置かれている。


 目的をどこに設定するのかにもよって違ってくるけれど、蒐集を目的とするならば、極端な話、人生の可処分所得をすべて文具購入にあてることもできる。けれど僕の場合は、文具の可能性を引き出して、それを利用して世界をたくさん読み、豊かな人生にしたい。そのためには、文具にこだわる部分と、そのほかの世界を読むための費用にもあてなければならない。その線引きというか引き際が難しい。

 目的は人によってさまざまなので、アプローチも異なって当然だ。レビューしまくったり画像が映えまくったり、十人十色で正解はないと知ることが最適解かと思う。

 このブログに写真があまりないのも、あまりイベント行事に出ない(出れない)ことも、そこに理由があったりする。


 自分だけのアプローチで、文具のもつ大きな可能性を伝えていければと思う。

 

文具は世界を読むために、欠かせないツールだ。

 

追伸

エクリドール シェブロン ペンシル ぽちっちゃいました (๑´ڡ`๑)