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手帳とお化け屋敷 - 非効率の哲学 -

 世の中、不倫が多すぎる。さるさ氏は思った。病めるときも健やかなときも愛を誓っておきながら、一方で下半身がインデペンデンスデイな状態。非常に許し難い。

  下半身が独立記念日な人々が、ワイドショーを賑わせている。偽りの愛をささやき、妻以外の女性とくんずほぐれつ。なんという所業か。そこに正義はあるのか?正義が無ければ、そこに正義の鉄槌を下して、溢れんばかりの正義を注入してやる必要がある。

 

 もっと言えば、この際、正義の有無はどうでもいい。うらやましくて、さるさ氏は枕を濡らさずにはおられないのだ。何というセクシャル格差。少子化が叫ばれる中、メンズノンノとかジュノンの読モを頂点としたイケメンたちが、清楚な美女をかっさらっていく。一方で、「ムー」の読モといっても違和感のない私たちのような人間は、日々、魂を削りながら潤うことなく生きて行くしかないのである。そこでは一つの選択ミスが命とりになりかねない。セクシャルピラミッドの最下層では、ある意味で神々の戦いみたいなシビアな世界なのである。

 

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 ここのところ、そんな選択ミスを無くし、効率的なスケジュールを組んで人生を捗らせようと、スケジュールまわりの管理をキャンパスノートに任せた。一日のタスクを眺め、難易度・必要な時間・重要度などを基に序列を決める。一番優先するのは、5分以内に自分だけで完結できるものだ。人生が捗るかどうかは別にして、仕事は捗るようになった。そこで思った。

非効率的な選択

 人生を楽しむためには、効率的な選択がいつも正しいとは限らない。不倫の件だってそうだ。ただならぬ下半身の開放感とはいえ、一時の快楽の代償が慰謝料や離婚調停、職場でのそしりなどであっては、どう考えても非効率的だ。

 大学時代の友人が、卒業後、すぐに当時の彼女と入籍した。もうそれは電光石火というか、早撃ちガンマンが生命の誕生の神秘を貫いてしまったかに思われ、ズッコンバッ婚の様相を呈していたが、そうではなかった。それどころか、離婚を繰り返し、30代序盤にて、既に3人目の奥さんなのである。彼は妻をシルバニアファミリーか何かと混同しているのではないだろうか。

 しかし、本人は幸せそうなのである。仏教徒にもかかわらず、非効率と言わざるを得ない頻度で教会に出入りし、神をも恐れず何回も愛を誓う彼。なかなかの剛の者だと思うが、頭と下半身のネジが若干飛んでいると確信している。

 

 けれど人生を楽しむには、少しの遠回りや非効率な選択がいいこともある。今朝の出来事だけど、アンパンマンの「ドキンちゃん」が歌う「もみじ」にぐっときた。ほんと、三十路のおっさんとして終わってると思うんだけど、少し鼻にかかった女子中学生ヤンキーが出してそうな声に何かを感じた。

 

 そうなるともう、ドキンちゃんがエロスの塊のように見えてしかたがない。丸っこいフォルム、それでいて見下すような涼しげな目。これから出勤して、ビジネスという戦場で戦い抜かなければならないというときに。戦いじゃなく別のものを抜こうとしたさるさ氏を誰が責められよう。氏は、酩酊状態で居酒屋のトイレに籠城した際、しがみついていた便器がエロく思われてきたほどの想像力を蓄えているのである。

 もはやドキンちゃんに伴う下半身事情により、仕事に遅刻するのはやむを得ないという結論に至った。ところが考えてみてもほしい。声優が、アイドル化していったのはここ数年のうちの出来事である。対してアンパンマンは、さるさ氏が幼稚園児のころから絶賛放映中であり、そのさるさ氏はすでに30を超えている。ドキンちゃんの声優をググった氏は、颯爽と賢者へと戻り、いやいや仕事へ旅立って遅刻することはなかった。効率性を求めたが故の悲劇である。

 怖いものみたさ

 これも非効率の一つであろうと思う。お化け屋敷がその例だが、何ゆえにお金や時間を駆使してワーキャー叫びながら疾走しなければならないのか。そんな元気な肺胞を持ちあわせていない。にも関わらず、見てみたいのである。

 思えばパンドラの箱のようなもので、見るなと言われれば見たくなる。普段は刑法的なもので守られているし、物理的にも下着的な布やらモザイク的なフィルターで、見たくても見ることができない。ところがお化け屋敷に関しては、お金さえ払えば見れる。

 見れるのだけど、それははたから見れば、非常に非効率的・非生産的な行いに思えるに違いない。お金も使わず、自分もどきどきせず、もっとリラックスやリフレッシュできる娯楽はもっとある。いわば、非効率的な娯楽なのだけど、それにこそ惹かれるからタチが悪い。ここでは、私の歴戦のお化け屋敷との思い出を振り返る。

 

VS 魔女の塔

 とある遊園地にあるお化け屋敷。ロープウェイで、遊園地から丘の頂上まで上がる。そこには魔女の塔だけがそびえ建っており、ロープウェイの乗り場以外はなにもない。

 私は意外なことに、いわゆる恋人と一緒にこの塔の前にいた。今までどんな恐怖にも知恵と勇気を振り絞って粉砕してきた。こう書くとまるで私がアンパンマンのようだが、どちらかと言えばやっちゃいけない方の液体的なアンパンマンなわけで、アンパンマンよりもムーニーマンとかの方がお似合いなほど若かった。

 まず、彼女が口火を切って「ゼッタイに入らない」と言い始めた。ここまできてそれはない。ことに及ぶホテルの前でよく聞くようなセリフだが、お化け屋敷の目前で言われてはたまったものではない。しかし、彼女も頑固で、勇気とかを振り絞るような気配は一切なかった。

 しかし、私も既に戦闘モード。怖いものがみたくなっている。けれど一人で入る勇気はない。これほど好奇心先行というか野次馬根性的な戦闘モードは類を見ない。そして使えない。この板ばさみに苦悩した。しかし忘れてはならない。私はどんな恐怖にも、知恵と勇気を振り絞って粉砕してきた男なのである。

 私は知恵を絞り、ロープウェイで後続を待ち構えた。それから、勇気を出して、見ず知らずのご家族に懇願し、ファミリーに加えてもらって突入していった。先頭を行くのはもちろん、大黒柱たるお父さんであり、子供と私をはさんで奥様がしんがりを務めた。お父さん、超かっこよかった。私の機転が、ピンチを粉砕したことは言うまでもない。

 

VS バイオハザード・ザ・リアル

 USJの大人気アトラクションである。前回のお化け屋敷よりもやや成長した私は、またもや恋人と一緒にUSJにいた。パンフレットを見る限り、大迫力のスクリーンからゾンビが飛び出して見える類だろう(パンフレットのゾンビがCGだったため)と思っていた。そんな私の予想は、入場の段階から打ち砕かれた。

「すぐに入れ!急げ!!」 軍服姿の屈強な男性に強く促され、私たちはブリーフィングルームに入った。銃の撃ち方、弾数、感染メーターなどの説明を受ける。

「いいか?合図をしたらすぐに突入しろ。もたもたするなよ!」緊迫感に溢れ、強いプレッシャーを感じる。そこで事件は起きたのである。

「先頭はお前だ!いいか!?」

「すみません、どなたか代わってください」

 無理をしてチームに破滅を招くなど言語道断である。圧倒的に私より先頭に適任なヤンキー兄ちゃんとか、むしろゾンビの側にいそうなその彼女とかもいたし。私は真ん中がよかった。前も後ろもやられても、なんとか生き残れる。なーに、横からきたときには般若心経でも唱えればいい。

 かくして、爽やかなイケメンお兄さんが先頭を引き受けてくれ、私たちは無事突入していった。しかし、なかなかゾンビは出てこない。銃を持て余していたそのとき。

「いたぞ!」 あうあうあーみたいな声を出しながらゾンビが出てきた。徒手空拳とかでもよかったのだけれど、あまりにリアルなメイク、動き。リアル過ぎて、「ディスプレイじゃないのかよ!人件費かけすぎだろ!」と叫ばずにはいられなかった。そして叫ぶような余裕は全くなかった。

 進むと今度は警官の恰好をしたゾンビが出てくる。もはや慣れたもので、私たちはいっせいに銃弾の雨を浴びせた。文字通りハチの巣である。ところが、それは罠だった。前に夢中になっている間に、後ろの物かげから、こすいゾンビが接近していた。

 恋人の前でなら、かっこつけて銃で守るところだ。しかし、私は本能に従った。彼女の手を振りほどいて一目散に走り出したのである。逃げたのではない。駆けだした。あくまで戦略的に。

 持ち歩いてた銃よりも、アトラクションから出たあとの彼女の視線の方が私をハチの巣にした。あまりにも背中から冷たい視線を感じて、何かのアトラクションかな?と勘違いせずにはいられなかった。

 

 人生を楽しむコツは、童心を忘れないことだという。ならば、非効率も遠回りも、人生を楽しむためには必要なことなのかもしれない。しかし、手帳やその使い方を追求し過ぎると、このような選択肢が見えなくなってしまう。

 ときには、放っておくこともいい。使いこなすためには使いこなさないことも大事なことなんだと思う。足が止まってしまったときは思い切り遠回りをして、違った風景を楽しむ。そんな刺激が、また違った日常を見せてくれるんじゃないだろうか。私は、そう思う。