なんだかんだで、日々の生活を送りながら撮影をこつこつ続け、2つほど動画をアップしました。
これからシステム手帳やペンなどのレビューもやっていきたいと思っているところなのですが、なかなか閲覧も登録数も伸び悩み。といってもまだコンテンツが薄いから、そんなレベルでもないのですけどね(^^;)
せっかく気軽に動画を視聴できるような時代になったので、いろんなこと発信していければと思います。あと、勉強は勉強でちゃんとやらないとな・・・
なんだか久しぶりの更新になってしまいました。わけのわからない微生物が入り乱れている昨今、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
以前から文具のレビューや手帳の使い方を記事で取り扱ってきましたが、やっぱり映像の方が情報量は多い。ということで、Youtubeはじめました。あまりにも遅きに狂い咲いた感じですが、観ていただき、よければ高評価やチャンネル登録よろしくお願いします。
こんなお願いしておきながら、残念ながら美女や豊満な裸体が出てくるわけでもありません。むさい男の日常になぜ高評価やチャンネル登録するようなマゾヒストな行為をせねばならんのか。
と言われれば、私の方が教えてもらいたいくらいなので無理な話ですが、よろしくお願いいたします。
とはいえ、文章は文章でその利点がありますので、Youtubeと絡めながらこちらのブログも更新していければと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
作品手帳について感じていた違和感の正体がわかった。
私の中で積読には、2つのパターンが存在します。
1つは、今は時期でないと積んでおくパターン。衝動的に購入に至ったものの、今すぐ読まねばという緊急性がない。買っておきながらなんとなく食指が動かない。電子書籍とは違い、紙の本には突如、読むべき時機が訪れる。そのときを待って積んでいるようなパターンです。
もう一つは、期待から積んでおくパターン。好きな作家さんのものに多く、「今読むのはもったいない。じっくり読める時間が来る時のために」と積んでおく形です。
どちらにも共通するのは、実に贅沢な積み方だということです。
今回、入院という強制的に精神と時の部屋で過ごす機会をいただき、積んでいた本を数冊持ち込みました。どちらのパターンの本も混じっています。
パターン2にあたる一冊、森見登美彦さんの『太陽と乙女』にすとんと腑に落ちる答えがありました。
少し引用させて頂きたいと思います。第6章「森見登美彦日記」を読むより。 …は略を示します。
たしかに世間には色々な日記が出版物として流通している。樋口一葉の日記とか、岸田劉生の日記、永井荷風の…
…それらの日記が読むに堪える理由はおおざっぱに言って二つある。一つは彼らが他人に読ませるために日記を書いていたということ。もう一つは、それらが出版される際に編集されているということである。ああいうものを日記だと思ってはいけません。ああいうのは日記ではなくて作品なのである。そして「読める作品」というものを志した瞬間、日記の一番大切な本質は失われてしまう。読むに堪えられないものであってこそ日記なのだから!
最後の一文がなんとも森見さんらしい。小説家を志した中学生当時から、文章修行のために日記を書くようになり、その量は原稿用紙1万6千枚に及ぶとのこと。そして、日記を書くアドバイスについても記述がありましたので引用します。
私ほどの日記魔にとっては、記録すべき事柄の多い「充実した日」の方がむしろ退屈だといえる。日記を書くことがまるで仕事のように思われてくるからだ。…
「日記を書いてみよう」と思う人は次のことに気をつけるといいと思う。
1.毎日書くこと
2.イベントがあった日は手を抜いていい。簡単な箇条書きでもいい。
3.何もなかった日こそ、しっかり書くこと。
…
事実、このあとに掲載されている大学院生当時の日記では、何気ない日常の様子の方がいきいきと書かれており、その中で唐突に
八月二日(土)
鎌倉行 友人宅泊
といったような、日記が点在している。
わたしが手帳に関して魅力を感じるのは、ページに現れる個性からです。なのでたとえそれが仕事のそっけない走り書きであったとしても、どんな業界なのかなとか、これで済ませなきゃなんないほど切迫してたのかな、とか、こういう業界の人はこんなペン(インク)つかってるんだとか、生の情報がたくさん詰め込まれています。
システム手帳は特に顕著で、バインダーはいうに及ばず、リフィル構成、挿しているペンやギア、ジッパーポケットから魅力が垂れ流しになっています。
こういった個性の生情報は、作品になったとたん、全て覆い被されてしまうのです。(時間をたっぷりとり、普段つかわない文具を駆使して、字を丁寧に書き、イラストを書き込むとか)
読むに堪えないオリジナリティという、強烈無比な魅力を削いでしまっているんです。
それが、私が感じていた違和感の正体でした。
でも、それは私の手帳の鑑賞の仕方によるところが大きいのでご注意ください。
他人に読ませることを目的として世界が作り上げられた樋口一葉や永井荷風の作品に価値やうつくしさがないのかというと、決してそうではありません。
結局のところ、それは手帳のどこに魅力を感じるか?というフェチズムの違いでしかないということです。お互いわかり合うことも否定することもできず、文化として発展していける大きな可能背のある形態ではないかと思い、稿を閉じたいと思います。
歳をとって初めてわかる魅力があります。
幼い頃観ていたアンパンマンしかり。ドキンちゃんがいかにエロスを纏った存在であるかは、1万字くらいじゃ語りきれません。
木軸もその一つ。使うほどに劣化していくのが形あるものの定め。そんな厳しい資本主義社会において、「使うほどに味と深みが増す」というのは非常に魅力的です。
木軸は、グリップ性と使い込みに対応した経年変化を両立した、非常に稀な素材です。そんな木軸は革にも似て、使い込むほどに魅力を増す。けれどそれゆえに敷居が高かったりもします。
今回はそんな人たちに最適な、木軸のエントリーモデルの定番とも言えるS20を紹介します。
PILOTがシリーズ展開しているSシリーズは製図用シャープペンシルで、モデル型番に100を掛けると値段になります。
S3、S5、S10、S20の四種類をラインナップしており、今回紹介するS20は最上位のモデルとなります。
と、ここで気の利いたブログならばそれぞれのシリーズの特性を写真付きで紹介するんだと思いますが、私はシャープペンシルクラスタというわけではないため他のシリーズは持っていません。
というかそんなブログは先にたくさんありますし、それを今更どう書いても後追い、二番煎じでしかありません。ここはブログの格の違いを明確に打ち出すためにも、同じ道を辿っても仕方がない。
強烈無比なオリジナリティを発揮し、「令和で衝撃を受けたAV作品」を紹介して一線を画しまくろう。まず第三位は、ご存知、鬼滅の刃のパロディ。映画に先駆けて華々しく封を切った「無限発射編」
S3は手頃な300円でオール樹脂製。S5はグリップがラバーになり、低重心設計も備えた製図用シャープペンとしてはお安い500円のモデル。S10はグリップがローレット加工となっております。
そしてご紹介のS20は、カバ材に樹脂を染み込ませた「含浸(コムプライト)」という技術を用いた木でできています。
これにより木軸の剛性、耐久性を高めた非常に実用的な一本にしあがっています。
木目と艶消しアルミの組み合わせが本当にシンプルでかっこいいと思います。
金属製チャックを採用しており、口金のガイドパイプとの組み合わせによって書き味もさらさら、視界も良好。製図用シャープペンシルとしては文句ありません。
製図というと用途が限られるように思われがちですが、イラストなど描く人にもおすすめですね。書いている線がリアルタイムで見れるのは、クリエイティビティを刺激します。する気がします。刺激してくれ。
あえて言うなら不満な点は二つ。
一つはノック部分がちゃちいこと。せっかく木軸なのに上のノックでわりと台無しになっています。
二つ目はガイドパイプ。これによって視界確保と折れにくさを実現しているのですが、胸ポケットに挿せないが痛い。特に今の時期、クールビズでポロシャツとかなのですが、ガイドパイプ、突き出ちゃってますからね。
グラフギアのように収納することはできなかったのでしょうか。使ってなんぼなので、取り回しのしやすさは大事かなと思います。
製図用シャープペンシル独特の、ガイドパイプ長めの書き味は好き嫌いが分かれるところかもしれません。
そしてこのガイドパイプは折れやすいらしい。弱点を剥き出しで堂々としている様は、男性の急所に似た侘び寂びを感じます。大事に大事にしまっておき、いざ使うときにうやうやしく取り出す。そんなシャープペンシルは、かえってめんどくさくはないだろうか?
それはおいてもなんてたって、木軸です。シャープペンシルとしての性能は文句なし、書き味もだいぶ良い。お値段は2000円ですが、最悪失敗しても致命傷には至らない額です。その意味でリスクは低いと思います。
使えば使うほどに深みを増す木軸。エントリーモデルとしては打って付けだと思いますよ。ぜひ木軸の沼にはまってみてください。
うーん、、やっぱYouTubeで紹介した方が、たくさん伝えられる気がする。
下半身に許し難い痛みを覚え、完膚なきまでに入院することとなった。いま、私は病室にいる。
これが不治の病で、甘く切ない恋人とのやりとりでもあればもはや「恋空 おっさんver.」みたいな雰囲気も醸し出せよう。
実際のところ、空手の稽古中、近年稀に見るものすごいタイミングで、教え子の頭に蹴りが入ろうととした。あまりに前代未聞のタイミング過ぎて蹴りを止めたのだけど、そもそも人間の体は高い所を蹴る動きを止めれるようにできてはいない。
結果、軸足がガクッと折れ、右膝の前十字靭帯を伸ばしてしまった。
そう、伸ばしただけである。伸ばしたもののつながってはいるということで、装具をつけて安静にするよう整形外科から指示された。
こともあろうに私は「装具をつけてれば多い日も安心」と乱心を極め、思い切りジャンプスクワットしたのがとどめであった。
繋がっていた靭帯は容赦なく切れ、しばらくは「切れててもそれなりに蹴れるな」と血迷った生活を送っていた。なにせコロナ禍でマスクも不足。ありとあらゆる命に別条のないオペは後回しにされたのである。
思い出したように手術の話がとんとんと進み、今週の月曜から入院して、火曜にオペをした(された)。
手術前にオペの概要を説明されるのだが、皿の付近から骨付きで屈強な靭帯を1cm幅くらいで切り取り、骨に穴を開けてそこから通し、チタンボルトで固定して前十字靱帯を再建するという、プチ公共工事のような内容だった。
抗えない眠気にも抗ってしまうのが私である。全身麻酔も何の薬品をどういった手順で使うのか。それがわかっていれば、ある程度耐えることも可能なのである。
可能なはずなのだが、気づけば手術は終わっていて、下半身に看過し難い痛みを覚えた。あきらかに手術する前よりも悪化しておる。麻酔から覚醒した私は憤ったが、まさかここから「また穴を塞いで張った靭帯を取り除いて前にもどしてくれ。さぁ麻酔を!」なんて言えるような肝は持ち合わせていない。
みんなが社会にでてあくせく働く中、私は病床で寝たきりであった。だが決して楽をしていたわけではない。足が動かせないのだからトイレもままならず、尿瓶で済ませる。あろうことか日中の担当看護師さんは美人であり、その人に下半身の全てを曝け出してしまっている。なによりも恐ろしいのは、職場に入院しているということだ。
わかるだろうか。同僚に性器を持ち抱えられて尿瓶にあてがわれるあの空気を。それは看護師からすれば何百本と診てきた男性器だろう。しかしこちとら一期一会で曝け出しているのである。何かの刑罰だろうか、と錯覚してしまうほどの辛さである。
病院とはいろんなものを見つめ直す場だなと思う。自分の人生、外の風景、忙しい毎日。そんなものを一歩引いたところから見つめられる。
おそらく大半の人が人生の最後を迎えるだろう場所で、私はボケっと寝そべっている。
意外と役に立つのは、手帳ではなくコピー用紙だ。S20で気ままに思ったことを書いてみる。紡ぐことばのどれもが、日常からは生まれてこないような雰囲気を纏っている。
本を読み、思ったことを書く。疲れた時は青い空を眺める。多分、この透き通るような青のどこかに、いなくなってしまった親父もいるんだろう。
今はコロナの関係で見舞いもできない。当然、家族も来ない。そんな中、何を病室で思い、どう過ごすのか。それを受け止めてくれているのは紙だ。
もちろん手帳も持ってきてはいるけれど、病室で過ごすにはあまりに型にハマり過ぎている。
ここには何もない。だから何でも見れる。
それを受け止めてくれるのは、真っ白な紙とそれに思考を刻み込むペンだ。この二つがあってよかった。
へんな話だけど、有意義な入院生活にしたいと思う。
手帳を日記代わりに使ってみる。継続できるようなるだけ無駄を排した短い文章でその日1日をまとめてみる。
続きを読む