東京ディズニーリゾート
実は、東京ディズニーリゾートが大好きだ。それもかなり重度であることを初めて告白する。さるさ氏の類まれな妄想力は、この夢の国で培われたと言っても過言ではない。
続きを読む手帳とお化け屋敷 - 非効率の哲学 -
世の中、不倫が多すぎる。さるさ氏は思った。病めるときも健やかなときも愛を誓っておきながら、一方で下半身がインデペンデンスデイな状態。非常に許し難い。
続きを読むさるさ式 ノート手帳化
ノートに日記をつけていた。内容はといえば、動画配信サービスの隆盛が私の生活を脅かしているとかいう妄想のたぐいだった。これまで日記や手帳と、一方的な蜜月の関係を築いてきたが、ここにきてその運用を大きく変えた。覚え書きとして、その運用をこの記事にまとめておきたい。
続きを読む文具、未来、そして。
ぶっちゃけた話、ブログのpvを一気にあげるには「こう書いたらpvが一気に一日10000pvまで上がりました!」とか、「初月にpv1万を達成した僕が書くのに守ったたった一つのルール」とか思わせぶりなハニータイトルをつければいいと思う。
瞬く間にワナビなブロガーさんたちがRTしまくり、うなぎ昇りのpvになるだろう。うなぎは絶滅の危機に瀕しているが。
もしくは炎上で伸ばす手法もある。具体的にはちんこの写真を掲載する。すると瞬く間に逮捕案件として、我がブログにて祭りが開催されるが、主催者兼被写体である私の検挙が免れなくなるのでやらないだけである。
思えばブログとは孤高なものではなかったか。
ニッチな趣味を、リアルでは晒せない趣向を、匿名をかさにきてふんだんにばら撒く。いつから人に認知されることを目的としてしまったのだろう。
私の趣味と言えば空手と文具、主にシステム手帳とペンだ。しかし空手の方は実名で、教室の運用ブログを書いている。先生という立場上、不真面目なことや卑猥な表現などは一切ない。しかし、私からそれをとったら何も残らない。卑猥と猥談によって私はできている。
なにゆえに文具が好きなのかといえば、それは「全てを生み出すツールだから」だ。どんなにすごい発想やアイデアや発見も、紙に書き出さねば取り扱うことができない。思考に命を吹き込む。そんなツールに魅力を感じないわけがないし、こだわるのもある意味当然だと思う。命を吹き込んだ結果がこのブログか!と言われれば、ぐうの音も出ない。
いいペンは、自分の思考を淀みなく紙に描き出す。いい紙は、淀みなく描かれる思考を受け止め、まとめ、保存し、整理する。紙もペンも、使い込むことで味を増す。ここに文具の魅力が詰まっているように思う。これが文具の魅力だと思っているからこそ、人に魅せることにとらわれすぎることをもったいなく思う。
思考はカオスである。カオスは自由でもある。いくら私がモテなくても、表現の中では亀甲縛りを駆使し、とびっ子に精通し、文章で異性をばったばったと籠絡する豪の者でもある。なにせ自由なのだから。この変態め!と罵られても、相手が美人だとイメージすれば確固たる原動力である。
手帳やノートは何もない箱庭だ。そこにペンで自分だけの世界を構築していく。誰に覗かれることも犯されることもない自由の国。だから楽しい。そこには世間ではストーカーと非難轟々でも仕方のないことや、話題最先端の共謀罪に触れかねないことだって書ける。私の場合は、AV女優ソムリエでも目指してそうなノートになっているが。
何もない箱庭に建てる資材は思考だ。生活で経験したこと、本で読んだこと、ふと思ったこと。生きている上での経験すべて、この世の森羅万象が糧になる。そんな恵まれた環境で生きていても、紙とペンのツールがなければどんな思考も形にできない。だから私は文具にこだわるし、少しでもいろんな経験をしたいし、本も読みたい。それを形にする時間も欲しい。仕事などしている暇はないのである。
もっか、楽してお金を湯水のように稼ぎながら中東よろしく一夫多妻制を実現できるような世界を手帳に描いているが、描かれるばかりでとんと実現しない。お金は絶えず出ていき、比して入ってくるのは虫の息である。交尾中のカブトムシの息の方がよっぽど荒いであろうくらいだ。
私の持ち歩くプチ酒池肉林の経過ともいえる文具の使用状況を記事にしている。中身は企業秘密である。むしろ持ち主である私自身にも見当がつかず途方に暮れている。
先は見えないが書き続ける。酒池肉林を建造できなくとも、筆力を向上させまくればTmitterのDMや、LINEで異性を自由自在に籠絡できるようになるかもしれない。そうなったときは、手拭いの絵柄が私に与えた四十八手が炸裂するときである。四十八手といえばAKB48という、日夜四十八手をすべて繰り広げていそうなアイドルたちがいるが、あんなに世の中の男性を虜にする術はほんとうに羨ましい。おっさんにはモテたくないけど、異性にはモテたい。
このブログを読んでいる諸君。未来は明るい。私たちには手帳やノートという、いつでも引きこもれるコスモを携えている。それは無限の可能性を秘めているのだ。
私は大富豪になる。そのビジョンをブレイクダウンして分解し、マイルストーンを設定して、ビジョン実現のためのプロセスを明確にしている。これを少しずつ実現していけば、確実に大富豪になれる。この偉大なフローを公開しないではおられないが、もっかそれには問題点もいくつかある。年末ジャンボもしくはサマージャンボの一等、前後賞に当選する、という最初のマイルストーンの実現のハードルが高すぎるのだ。二つも宝くじを設定して、ポートフォリオ的にリスク分散しつつ可能性を高めているのに一向に当選する気配がない。このままいけば「ヒモになる」という違った大きな目標に向かわざるを得なくなる。
果たして報われるときがくるかどうかは分からないが、手帳とペンだけは。絶えず私の横で見守ってくれている。
ポメラDM200を駆逐する
これあげる。でもあなたにはあげない。
ポメラDM200を巡っては、これまで激しいキャンペーンの応酬があった。ポメラDM200とは、ユニークな事務用品をこの世に排出してきたキングジムが誇る、テキスト作成に特化したデバイスである。
その機能もさることながら、テキスト作成集中の5万という価格で、あまたのテキスト妄想人を粉砕して、ぺんぺん草も残らないほどに低所得者を蹴散らしてきた魅力的なツールである。
これまで数回のキャンペーンを通じて、このポメラを手に入れようと奮闘(主にTwitterのRTによる応募)してきた。そして例外なく漏れてきた。いろんなものを漏らしてきたが、もはや私自身も漏れる側に回るとは思わなんだ。
卑猥な妄想と机上の空論に特化した顔面、及び頭脳を持ちながら、それを発露させるツールを私は求めていた。頭の中で四十八手を繰り広げても、それを表現できないのである。繰り広げたことないけれど。
そこで私は考えた。もはやポメラなど必要でない領域にまで自分を高める必要がある。
私はプロのブロガーだ。ブログでの収入は、Amazonアフィリエイトによる。その実績たるや、不審者を確保するための「さすまた」をはじめとする個性的過ぎるラインナップによって、紹介料48円という余人の追随を一切許さない独走状態である。むしろまともに生活したい人においては、私に追いつかないことが幸せだとすら言える。その実績偏差値はあまりに突出し過ぎており、振込手数料の方がはるか高く、早い話しがお金が振り込まれた実績はない。
ではなぜプロと言えるのか。それは私が、仕事中に浮かんだ妄想をメモに書き付け、ブログ記事にしているからである。メモをまとめてカバンに突っ込み、しこしことテキストに起こすのである。ポメラさえあれば、大きく環境は改善する。
しかし、5万はさすがに躊躇する価格だ。まとまった金額収入を得ているならまだしも、缶ジュース一本に満たない架空の振込予定収益しかあげていない私がおいそれと買えるものではない。ゆえに積極的にキャンペーンに応募してきたものの、ことごとく門前払いの憂き目にあってきた。
ならばポメラを必要とせずとも、私が好き勝手縦横無尽に、しかも猥褻非猥褻問わずテキストを打てるようになればいい。そう思い立ち、iPhoneでこの記事を書いている。
喫茶店にて優雅に想を練るクリエイターを装いながら、いかに上品に猥褻を語るかに妄想を駆使している。席の横横にはきれいなご婦人がスマホを触りながらコーヒーを飲んでいる。よもや横の男が、穴という穴から生命を育む液体を吹き出しかねない男だとは夢にも思うまい。
iPhoneはスマートフォンであり、アプリをインストールすればテキストを打つのにも苦労しない。バッテリー残量さえあれば妄想に特化した私の頭脳とうまく組み合わさり、この記事のようなテキストを打つことも容易なことだ。
遂行や見返しにやや難があることは否めないが、書くことはできる。
持ち歩いているRHODIAのメモとペンがあるので、さらに環境は充実したものになる。おもいついたことをメモに書き付ける。それだけで時間や場所をこえて、自分の思考をテキスト化できるのである。
こうなるともはや、ポメラは必要ないのではないか。そう思われた。
その慢心がいまのピンチを招いている。メモはある。ペンもある。テキストを打つiPhoneもバッテリー十分で、ドトールで優雅に、誰の特にもならない妄想記事を生んでいる。
しかし、なにかを生み出すには苦痛を伴うものである。赤ちゃんを産むときは、鼻の穴にスイカを突っ込むようなものだと言われる。しかし出すと入れるでは根本から違っているように思う。出すのは必要を迫られるが、苦痛を伴ってまで入れたいかどうか。苦しいのがわかっているなら入れる必要はないではないか、と思ったが男性は入れたがる生き物である。なにを言っているのか、理解する必要はない。なぜなら書いている私自身がわからないからだ。
こんな支離滅裂なテキストを売っているのにはのっぴきならない事情がある。現在、絶賛尿意に襲われているのだ。なぜだか駅ナカのドトールにはトイレがない。店員さんたちはし尿瓶でも携帯しているのであろうか。テキストに熱が入るのに比例して、膀胱がおさまっている腰が震えてくる。しかも小刻みに。
私は大企業の、欲望に漬け込んだブルジョア優遇主義を粉砕すべくiPhoneでテキストを打って抗っているのに、周りからみたら「彼、とびっ子でも仕込んでんじゃないの?」と思われるような状態なのである。
私はこのあと、バスに乗らねばならない。そこもまた、トイレの存在しない排泄禁止区域なのである。これまでの豊富な人生経験から推察するに、間違いなく漏らすであろう。テキストブロガーらしく文学的に表現するならば、下半身の禁を失い、体液も振りまく。やばい。
この経験から導き出される結論はただ一つ。ポメはトイレ機能を装備すべきである。そして私の頭は狂っている。早々に戦線離脱して、トイレへ行こうと思う。結果、ポメラもiPhoneも尿意によって駆逐された。