いろは。

手帳・文具中心の雑記系ウェブログ。

未知の読み方

外山滋比古氏は、既知のものを読むα読みと未知を読むβ読みを分けていた。既知と未知、どちらを読むかでその読み方も整理方法も思考方法も異なることは分かる。

国語の教科書で『くじら雲』を読んだ。小学1年生の頃だろうか。雲も知っていた。くじらも知っていた。しかし、雲とくじら、既知のはずのものが組み合わさったとたん、未知になる。

『赤い実はじけた』。魚屋さんの息子である同級生のてつおが、お使いに行ったらアジのたたきをつけてくれて、その時の笑顔で胸の赤い実がはじけたという話。朧げにしか覚えていないけれども。その時は、赤い実が胸で弾けるということは未知の世界だった。あれから時が流れ、少し大人の階段を登ったいま。 未知だったものは、好きあらば周りの清楚な女性、一心不乱にアジをたたいて量産したものを配布することを辞さない構えだ。

世の中、未知のものに溢れているけれど、それは目を向けなければ気付かない。未知を未知の存在として認識するには、常に自分のフィルターでものごとを見つめなければならない。 それ故に、書物であろうと現実社会だろうと、未知を読むスキルというのは向上しにくい。だからこそ、人は未知を読むβ読みの読書を避け、α読みに留まろうとする。

歯ごたえのあるものを食べなければ、噛み砕き、消化する力は衰えていく。既知を読むα読みは流動食のようなものであると外山氏は説く。果たしてそんな知的な意味で青びょうたんと成り下がってよいのか。未知を読まなければ、その力はいつまでも養われない。

そこで私は未知を積極的に見つけ、読み解く訓練をしようと考えた。それは通勤時、仕事中の妄想など日常のあらゆる場面で、未知を見つけることから始まる。いままで何気なく未知が視界に入っていても気付かなかった。ふとした未知との遭遇は知的興奮を誘発する。

その試みはトイレにおいても遺憾無く発揮される。ふと一人孤独な戦いを終え、清潔になろうとウォシュレットに手を伸ばし、はたととまった。これは、なんだ。

おしりは分かる。おしりに勢いよく噴射し、洗浄水が飛散している。しかし、ビデはなんだ。

ここで安易にスマホでググっていては、いつまでたっても未知は読めない。 ビデで想像するのは、FFの時空魔法グラビデ。しかしトイレという特殊過ぎる空間で時空を操っても何ら益するところがない。おそらく違うだろう。 となれば、イラストから想像していくのが早い。私が見るに、十中八九、ダイキン工業のエアコン「うるるとさらら」のマスコット、ピチョンくんに違いないとみた。

(参考・ピチョンくん)

先端のとんがりといい、つぶらな瞳といい、間違いがない。しかし周りの狭そうな空間はなんであろうか。狭そうな、というのが鍵で、恐らく身動きが取れない=穴で詰まっているものを爽やかに模したものではないか。

仮説を立てたら検証し、仮説が正しいことを確かめてそれに対する根本的な解決策を模索していく。世界最強のコンサルタント会社マッキンゼーカンパニー関連の書籍知識を吸収していたことが早くも光る。

私は、ピチョンくんが詰まっており、それを打破するためのボタンであると仮説を立て、この仮説の正当性を検証するためにボタンを押してみた。

結果、洗浄水が射出される位置や角度など、もはや時空魔法というべき勢いで予想の斜め上から来たことは言うまでもない。 かくしてイラストの意味を理解し、新たな知識を得たわけである。

そもそも下半身の洗浄に繊細微妙なエイムのポイントがボタンで分けられているなど思いもしない。男性トイレなど、出して終わりはいしまえ。という迅速さを常に要求されているから、視点を変えなければ得ることができなかった知識である。

未知を読むことは新たな知識をもたらす。しかしそれが役に立つかどうかは、まったく別の問題なのである。益不益問わず、いろんな知識を吸収していけば、アウトプットされるものはまた違った姿形になっていくに違いない。

シス手研について

ここのところ、システム手帳の普及が盛り上がってきているように思います。使う人が増えたか、もしくはヘビーユーザーが集まってきてそのように錯覚しているのか。いずれにせよ、嬉しいことだと思います。

さて、TwitterInstagramの中で運用している「#シス手研」につきまして、利用者の皆様がご説明してくださり、また一方でお手数をかけていますので、ここにまとめておきたいと思います。定期的にこの記事をタグで流そうと思います。

シス手研とは?

システム手帳研究会のハッシュタグ用略称で、システム手帳が好きな方、使っている方、持っていない方など色んな人を繋ぐ目的で発足しました。 ハッシュタグでゆるく情報共有や、愛する手帳の自慢、お悩み相談など幅広くやっています。ときどき私のわけのわからないブログ記事リンクが流れてきたりもします。

参加条件

については、システム手帳に関わりがあればオーケーです。たとえ持っていなくても、興味があるから覗いてみたい人、「こんな手帳ありますか?」「こんな使い方ってできませんか?」なんていう質問をディープな層にぶつけたい人などなど。システム手帳に興味さえあればオーケーです!

ただ条件があるとすれば、現在、TwitterInstagramでタグを運用していますので、そのどちらかのアカウントをもっていることくらいでしょうか。

参加方法について

参加方法については、タグをつけるだけでオーケー!特に承認や申請は必要ありません。 何かあったらすぐにタグをつけてつぶやきましょう!

任意のタグでのユーザーズミーティングや、色んな取り組みをこれからしていければと考えています。ぜひ仲間に!

注意事項

いくつかの注意事項があります。まず、ネットワークビジネスや宗教への勧誘など、タグの主旨に関係のない投稿はご遠慮ください。

また、InstagramTwitterそれぞれの特性はありますが、日記発表などを目的とするものではありません。それらのような主旨のタグとの併用はご遠慮ください。

また状況に応じてはルールの変更による対応もあるかもしれません。現在はゆるく、システム手帳ユーザーで集っています。 ぜひ、興味のある方は「#シス手研」でお待ちしております。

手帳と「引き寄せの法則」

私たちの「思考」や「感情」には、つねに引き寄せの法則が働いてる。その法則は磁石の役割を果たして似たようなものを引き寄せ、それらが経験となって現れる。このような見えない世界の法則を知る人は、ごくわずかに限られる。

この法則によれば、自分の思考や感情をコントロールすることで任意のものを引き寄せ、さらにそれが呼び水となり、より充実した人生を送れるようになる。 そして、その思考や感情をコントロールするのに手帳やノートが最適で。だから手帳やノートの使い方によっては、思考や感情をコントロールして、好きなものを引き寄せて幸せな人生をマネジメントすることができる。

朝、いい気分で目覚めるとその日一日は楽しく、嫌な気分でいるとその日はいろいろな面でろくなことがない。

要は心の捉え方の問題で、いい気分で目覚めたら多少嫌なことがあっても前向きに捉えて消化できる。逆ならば、何事も自分に対して否定的に捉えて引きずってしまうという、ごく当たり前のことではないだろうか。わかりやすく言うならば、朝の目覚めのいい日はマゾヒストになっており、嫌なことにも快楽を見出し幸せに感じる。逆なら自身に対してサディストになっているのである。

引き寄せの法則では、思考をも引き寄せることができる。つまり、「プラス思考」を引き寄せれば自分の意識が変革し、同じ日常でも常にプラスに、幸せなように感じ捉えることができるようになる。

これが、手帳(もしくはノート)で幸せな人生を送れるというゆえんの一つである。

ところで、私も手帳やノートを常に使用し、思考や感情をコントロールしている。それによれば、古今東西、十人十色の魅惑的なおっぱいが引き寄せられてしかるべきである。その継続性や思考、感情の強さからすれば、引き寄せすぎてもはや自身がおっぱいになりかけていても納得できるほどの状態である。

が、現実には私のもとにおっぱいは引き寄せられていない。引き寄せの法則などどこ吹く風。プラス思考も、卑猥な感情も、ただ私のもとで猛烈な空転を見せ、劣情以外のなにものも引き寄せようとしない。

プラス思考によるおっぱいという、つかみどころのないものを追求する、不毛の研鑽を積み重ねてきて、もはやもどれない境地にたどり着いた。スケジュールもおっぱいのために調整し、おっぱいのために必要なタスクを積み上げ、おっぱいを実現するための長いタイムスパンに立った計画を立ててきた。 その過程によって手帳やノートの使用方法は格段の進化を遂げるに至ったが、未だにお金もおっぱいもまったく引き寄せようとしない。

「あなたが望む望まないにかかわらず、考えていることが実現する」。向こうから否応なくおっぱいがやってくるに違いないと確信していたが、その思いは懇切丁寧に粉砕された。

よくよく調べてみると、「欲しい」と願うのは初心者にありがちな落とし穴らしい。「欲しい」と願うということは、現実には不足しており満足していないということ。 「欲しい」と願うということは、「欲しいという気持ちを引き寄せる」ことになり、常に不足していて欲している状態になりがちとのことらしい。

とはいえ私たちは常に二つのおっぱいしか持っておらぬ。男は自分の胸を見ても何の益もないし、女性は大きさや形に悩むのが関の山だろう。女性が男の胸を見てどのような感情を抱くかは想像する他ないが、男が女性の胸を見た場合、特殊な状況を除いて幸福感に浸ることができる。何が言いたいのかというと、おっぱいが十分に足りている状態、というのはあり得ない。常に私たち男性は、他者の存在を必要とするのだ。

仕事関係のガントチャートは常に変動するのできめ細やかな管理のフォローが必要になる。しかしおっぱい引き寄せのガントチャートは微動だにしない。祇園精舎の鐘の音と沙羅双樹の花のいろは盛者必衰のことわりをあらはす。

一切盛り上がることなく、常に必衰なおっぱい引き寄せは成就するのか。人の意思では操ることができないなにかも、また確かに存在するのである。

一期一会によせて

この言葉は、「二度と繰り返されることのない出会いだから、それを心得て互いに誠意を尽くす」という心構えを説く。しかし。えてしてそんな心構えを持つ暇を与えずに、一期一会な出会いはやってくる。

朝。霧雨のなか、駅へ急ぐ。一日の始まりは駅ナカ、改札横にあるドトールコーヒーから始まる。モーニングのホットサンドセットを付けることもあるが、決まってアイスコーヒーを注文する。

鞄からノートを取り出し、一日と月間の予定をざっと確認し、今日しなければならないことに優先度のナンバーを振り分ける。

それが終われば、あとはその日にやりたいことなど、見た夢の内容などを書き付ける。新幹線の時間が近づくと、コーヒーを一気に飲み下して改札へ向かう。

この朝のルーチン、時間にしてわずか20分足らずだが、これがなければ一日の流れは潤滑油を失った歯車のように噛み合いと流れが悪くなる。新幹線に乗ると、そのまま文庫本なり取り出して読み耽るうちに職場の最寄り駅へと到着する。

しかし、そうでない日もある。乗車とともにトイレへ駆け込む日のことだ。周りの視線から遮断された個室内では下半身を露わにして用を足したり、スマートフォンを眺めたり、ワックスで寝癖を直していたりする。

一昨日、私は個室内で例のごとく躍動感を隠しきれない寝癖にワックスで応戦していた。 普段からのマルチタスクぶりを遺憾なく発揮し、下半身で体調を整えながら寝癖を追い回し、かつ頭の中ではお花畑であった。

ご機嫌極まりない一人の空間。間違いなく、その時の私はわずか一畳程度のスペースではあるものの、その空間を支配する王だった。水も思いのまま、鏡が映し出す世界までも掌中に収めんとして、非常にノリノリだったのである。

そんな私の世界に闖入者が現れたのは、晴天の霹靂だった。我が世界の果てたるドアを押し開き、見知らぬおっさんの視線が私の世界を切り裂いた。私からすれば、自分を含めおっさんが2倍に増えた。 これはただならぬ状態である。私だけの世界、縄張りと自らの下半身の誇りを守らんと立ち上がろうとしたが、速やかに相手方のおっさんがドアを閉めた。私の勝利は誰が見ても明らかだった。

それにしても。確かに鍵はかけたはず。中にいるのが高貴の権化である私であったからことなきを得たものの、もし中で不埒な男女がことに及んでいたら、それこそことである。むしろ事案である。 私たちは、処理されたモザイクを見ることはできても、とっさに視界に飛び込んでくる下半身にモザイクをかけることはできない。トイレにはよく注意して入るべきだ。

そして今日の帰り道。先日と同じ轍は踏むまいと心に決めて、乗車後、速やかに自分の国に立てこもった。今日は私の世界を隅々と眺め、これから戦いに赴く自分の胃腸的な体調を整えて思索に耽っていた。

今日、突如コンニチワしてきたのは町内会の行事に全て参加してそうな顔のおっさんだった。気まずそうに私を見る。私は私で、清楚な美少女と出会う方法を考えていただけに、よもやおっさんとミーツすることになるとは思ってもおらず、「目の前のおっさんは、おっさんの皮を被った美少女かもしれない」と哲学的なことを考えた。

視線と視線があったら恋に落ちるというが、なにゆえにおっさんとラブストーリーを展開せねばならないのか。 そもそも現実は、ラブと順序を飛び越えた肉欲ストーリーである。「出会って4秒で合体 」など生温い。「出会った瞬間に下半身全裸」である。

そもそも浸入してきた側からすれば、中にいた下半身を露わにしたおっさんとの出会いは一期一会であろう。なかには私をトイレの妖精とかティンカーベル的なものと勘違いした人もいるかもしれない。

しかし、鍵を閉めたつもりなのに否応なく、ただならぬ下半身の解放感と扉の開放感に浸ることを余儀なくされている私からすれば、複数人の前に下半身を晒した露出狂である。一期一会どころの話ではない。下半身百会。おっさん、紳士分け隔てなく、不意に大胆な下半身露出を余儀なくされてきた百戦錬磨の様相である。

しかも、扉が開けば一歩外はソーシャルな社会。まるで動物園に「下半身」とかいう名前で展示されているような状態になるのである。

何かがおかしい。私は、帰りの新幹線で、フォーマルな格好のまま便器に座り、鍵を眺めていた。するとどうだろう。新幹線の振動でら鍵が勝手に開くではないか。思わず動画に撮ろうとしたが、おっさんinトイレという修羅のごとき状況で、何の得にもならないカメラを回す気にならなかった。

諸君!新幹線の中に安寧の空間はもはやない。ゆめゆめ気をつけ、下半身を晒すべからず。 そして、自分にとって一期一会であっても、相手からすれば一期一会でもなんでもないこともまたあるということを覚えておくべきだろう。 茶道のような誠意で向き合い、もてなすのならともかく。用を足して放心している姿格好に、誠意もなにもないのだから。

手帳とお化け屋敷 - 非効率の哲学 -

 世の中、不倫が多すぎる。さるさ氏は思った。病めるときも健やかなときも愛を誓っておきながら、一方で下半身がインデペンデンスデイな状態。非常に許し難い。

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夢のつづきと矛盾

 昨日、さるさ氏はテレビ番組『逃走中』を観ていた。大人気マンガ『ONE PIECE』とコラボした回だった。ある意味でさるさ氏も、閉鎖されるまでは『パイレーツ・オブ・カリビアン』として、成人動画の大海原を縦横無尽に駆けていたことを思い出して感慨にふけった。

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さるさ式 ノート手帳化

 ノートに日記をつけていた。内容はといえば、動画配信サービスの隆盛が私の生活を脅かしているとかいう妄想のたぐいだった。これまで日記や手帳と、一方的な蜜月の関係を築いてきたが、ここにきてその運用を大きく変えた。覚え書きとして、その運用をこの記事にまとめておきたい。

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文具、未来、そして。

ぶっちゃけた話、ブログのpvを一気にあげるには「こう書いたらpvが一気に一日10000pvまで上がりました!」とか、「初月にpv1万を達成した僕が書くのに守ったたった一つのルール」とか思わせぶりなハニータイトルをつければいいと思う。

瞬く間にワナビなブロガーさんたちがRTしまくり、うなぎ昇りのpvになるだろう。うなぎは絶滅の危機に瀕しているが。

 

もしくは炎上で伸ばす手法もある。具体的にはちんこの写真を掲載する。すると瞬く間に逮捕案件として、我がブログにて祭りが開催されるが、主催者兼被写体である私の検挙が免れなくなるのでやらないだけである。

 

思えばブログとは孤高なものではなかったか。

ニッチな趣味を、リアルでは晒せない趣向を、匿名をかさにきてふんだんにばら撒く。いつから人に認知されることを目的としてしまったのだろう。

 

私の趣味と言えば空手と文具、主にシステム手帳とペンだ。しかし空手の方は実名で、教室の運用ブログを書いている。先生という立場上、不真面目なことや卑猥な表現などは一切ない。しかし、私からそれをとったら何も残らない。卑猥と猥談によって私はできている。

 

なにゆえに文具が好きなのかといえば、それは「全てを生み出すツールだから」だ。どんなにすごい発想やアイデアや発見も、紙に書き出さねば取り扱うことができない。思考に命を吹き込む。そんなツールに魅力を感じないわけがないし、こだわるのもある意味当然だと思う。命を吹き込んだ結果がこのブログか!と言われれば、ぐうの音も出ない。

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いいペンは、自分の思考を淀みなく紙に描き出す。いい紙は、淀みなく描かれる思考を受け止め、まとめ、保存し、整理する。紙もペンも、使い込むことで味を増す。ここに文具の魅力が詰まっているように思う。これが文具の魅力だと思っているからこそ、人に魅せることにとらわれすぎることをもったいなく思う。

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思考はカオスである。カオスは自由でもある。いくら私がモテなくても、表現の中では亀甲縛りを駆使し、とびっ子に精通し、文章で異性をばったばったと籠絡する豪の者でもある。なにせ自由なのだから。この変態め!と罵られても、相手が美人だとイメージすれば確固たる原動力である。

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手帳やノートは何もない箱庭だ。そこにペンで自分だけの世界を構築していく。誰に覗かれることも犯されることもない自由の国。だから楽しい。そこには世間ではストーカーと非難轟々でも仕方のないことや、話題最先端の共謀罪に触れかねないことだって書ける。私の場合は、AV女優ソムリエでも目指してそうなノートになっているが。

 

何もない箱庭に建てる資材は思考だ。生活で経験したこと、本で読んだこと、ふと思ったこと。生きている上での経験すべて、この世の森羅万象が糧になる。そんな恵まれた環境で生きていても、紙とペンのツールがなければどんな思考も形にできない。だから私は文具にこだわるし、少しでもいろんな経験をしたいし、本も読みたい。それを形にする時間も欲しい。仕事などしている暇はないのである。

 

もっか、楽してお金を湯水のように稼ぎながら中東よろしく一夫多妻制を実現できるような世界を手帳に描いているが、描かれるばかりでとんと実現しない。お金は絶えず出ていき、比して入ってくるのは虫の息である。交尾中のカブトムシの息の方がよっぽど荒いであろうくらいだ。

私の持ち歩くプチ酒池肉林の経過ともいえる文具の使用状況を記事にしている。中身は企業秘密である。むしろ持ち主である私自身にも見当がつかず途方に暮れている。

 

先は見えないが書き続ける。酒池肉林を建造できなくとも、筆力を向上させまくればTmitterのDMや、LINEで異性を自由自在に籠絡できるようになるかもしれない。そうなったときは、手拭いの絵柄が私に与えた四十八手が炸裂するときである。四十八手といえばAKB48という、日夜四十八手をすべて繰り広げていそうなアイドルたちがいるが、あんなに世の中の男性を虜にする術はほんとうに羨ましい。おっさんにはモテたくないけど、異性にはモテたい。

 

このブログを読んでいる諸君。未来は明るい。私たちには手帳やノートという、いつでも引きこもれるコスモを携えている。それは無限の可能性を秘めているのだ。

 

私は大富豪になる。そのビジョンをブレイクダウンして分解し、マイルストーンを設定して、ビジョン実現のためのプロセスを明確にしている。これを少しずつ実現していけば、確実に大富豪になれる。この偉大なフローを公開しないではおられないが、もっかそれには問題点もいくつかある。年末ジャンボもしくはサマージャンボの一等、前後賞に当選する、という最初のマイルストーンの実現のハードルが高すぎるのだ。二つも宝くじを設定して、ポートフォリオ的にリスク分散しつつ可能性を高めているのに一向に当選する気配がない。このままいけば「ヒモになる」という違った大きな目標に向かわざるを得なくなる。

 

果たして報われるときがくるかどうかは分からないが、手帳とペンだけは。絶えず私の横で見守ってくれている。

ポメラDM200を駆逐する

これあげる。でもあなたにはあげない。

 ポメラDM200を巡っては、これまで激しいキャンペーンの応酬があった。ポメラDM200とは、ユニークな事務用品をこの世に排出してきたキングジムが誇る、テキスト作成に特化したデバイスである。

 その機能もさることながら、テキスト作成集中の5万という価格で、あまたのテキスト妄想人を粉砕して、ぺんぺん草も残らないほどに低所得者を蹴散らしてきた魅力的なツールである。

 

  これまで数回のキャンペーンを通じて、このポメラを手に入れようと奮闘(主にTwitterのRTによる応募)してきた。そして例外なく漏れてきた。いろんなものを漏らしてきたが、もはや私自身も漏れる側に回るとは思わなんだ。

  卑猥な妄想と机上の空論に特化した顔面、及び頭脳を持ちながら、それを発露させるツールを私は求めていた。頭の中で四十八手を繰り広げても、それを表現できないのである。繰り広げたことないけれど。

 

  そこで私は考えた。もはやポメラなど必要でない領域にまで自分を高める必要がある。

  私はプロのブロガーだ。ブログでの収入は、Amazonアフィリエイトによる。その実績たるや、不審者を確保するための「さすまた」をはじめとする個性的過ぎるラインナップによって、紹介料48円という余人の追随を一切許さない独走状態である。むしろまともに生活したい人においては、私に追いつかないことが幸せだとすら言える。その実績偏差値はあまりに突出し過ぎており、振込手数料の方がはるか高く、早い話しがお金が振り込まれた実績はない。

 

  ではなぜプロと言えるのか。それは私が、仕事中に浮かんだ妄想をメモに書き付け、ブログ記事にしているからである。メモをまとめてカバンに突っ込み、しこしことテキストに起こすのである。ポメラさえあれば、大きく環境は改善する。

   しかし、5万はさすがに躊躇する価格だ。まとまった金額収入を得ているならまだしも、缶ジュース一本に満たない架空の振込予定収益しかあげていない私がおいそれと買えるものではない。ゆえに積極的にキャンペーンに応募してきたものの、ことごとく門前払いの憂き目にあってきた。

 

  ならばポメラを必要とせずとも、私が好き勝手縦横無尽に、しかも猥褻非猥褻問わずテキストを打てるようになればいい。そう思い立ち、iPhoneでこの記事を書いている。

  喫茶店にて優雅に想を練るクリエイターを装いながら、いかに上品に猥褻を語るかに妄想を駆使している。席の横横にはきれいなご婦人がスマホを触りながらコーヒーを飲んでいる。よもや横の男が、穴という穴から生命を育む液体を吹き出しかねない男だとは夢にも思うまい。

 

  iPhoneスマートフォンであり、アプリをインストールすればテキストを打つのにも苦労しない。バッテリー残量さえあれば妄想に特化した私の頭脳とうまく組み合わさり、この記事のようなテキストを打つことも容易なことだ。

  遂行や見返しにやや難があることは否めないが、書くことはできる。

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  持ち歩いているRHODIAのメモとペンがあるので、さらに環境は充実したものになる。おもいついたことをメモに書き付ける。それだけで時間や場所をこえて、自分の思考をテキスト化できるのである。

  こうなるともはや、ポメラは必要ないのではないか。そう思われた。

 

  その慢心がいまのピンチを招いている。メモはある。ペンもある。テキストを打つiPhoneもバッテリー十分で、ドトールで優雅に、誰の特にもならない妄想記事を生んでいる。

   しかし、なにかを生み出すには苦痛を伴うものである。赤ちゃんを産むときは、鼻の穴にスイカを突っ込むようなものだと言われる。しかし出すと入れるでは根本から違っているように思う。出すのは必要を迫られるが、苦痛を伴ってまで入れたいかどうか。苦しいのがわかっているなら入れる必要はないではないか、と思ったが男性は入れたがる生き物である。なにを言っているのか、理解する必要はない。なぜなら書いている私自身がわからないからだ。

 

  こんな支離滅裂なテキストを売っているのにはのっぴきならない事情がある。現在、絶賛尿意に襲われているのだ。なぜだか駅ナカドトールにはトイレがない。店員さんたちはし尿瓶でも携帯しているのであろうか。テキストに熱が入るのに比例して、膀胱がおさまっている腰が震えてくる。しかも小刻みに。

  私は大企業の、欲望に漬け込んだブルジョア優遇主義を粉砕すべくiPhoneでテキストを打って抗っているのに、周りからみたら「彼、とびっ子でも仕込んでんじゃないの?」と思われるような状態なのである。

 

  私はこのあと、バスに乗らねばならない。そこもまた、トイレの存在しない排泄禁止区域なのである。これまでの豊富な人生経験から推察するに、間違いなく漏らすであろう。テキストブロガーらしく文学的に表現するならば、下半身の禁を失い、体液も振りまく。やばい。

   この経験から導き出される結論はただ一つ。ポメはトイレ機能を装備すべきである。そして私の頭は狂っている。早々に戦線離脱して、トイレへ行こうと思う。結果、ポメラiPhoneも尿意によって駆逐された。

  

 

『知的な老い方』

『知的な老い方』 外山滋比古/だいわ文庫

良書は良書の学び方があり、悪書は悪書で学ぶところがある。ゆえに、良書か悪書で迷う時間があるならば手に取り読んで、著者と対話すべきである。

などと考えていたわけではなく、成人誌コーナーの玉座に鎮座していた『密会五十路妻』の表紙に心と視線を奪われながら手に取ったらこの本だった。まだ三十路になったばかりの私には、少し時期尚早のようにも思われる。

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