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なぜ幽霊は美人なのか?

 7月26日は「幽霊の日」らしい。どんな語呂あわせなのかと思ったら、江戸時代に四代目鶴屋南北作の「東海道四谷怪談」が初演された日なのだという。怖さを感じさせる演出を考えていて生まれたアイデアが「足をなくす」というものだったらしい。

 今日も、その幽霊のイメージは受け継がれている。

  歯科院に通っている。平日では行けないから、週末の土日に予約して治療に行く。その歯科院の人材は、非常に充実している。私の担当の歯科衛生士さんは、背がちっこいがとてもかわいい。かわいい顔で口の中に指を突っ込み、あれやこれやと全く性的でないサービスいや、治療をしてくれる。そうしてリラックスしたところに、アメフトで鍛えたマッチョな先生がお出ましになって、ドリルでウィンウィンと口の中で土木建築を繰り広げるのだ。

 アメとムチムチ、ときどきドリルというその歯科院は、非常に男性の心の機微を掴んだ治療を行ってくれる。ある日は親不知を2本も抜かれて、口の中が3日目みたいな出血状態になっていたのだが、例の歯科衛生士さんがアフターケアしてくれて、なんとか無事に歯科院を脱出した。

 

 いまではあまり心霊特番はやらなくなってしまった。私が小学生のころなんかは、「みのもんたの思いっきりテレビ」が夏の装いに変って、「あなたのしらない世界」というタイトルで、連日連昼、心霊番組をぶっぱなしていた。

 心霊といっても色んなパターンがある。オーブと呼ばれる光の玉が写り込んだり、不可解な光が写り込んだりする。体の一部だけが写り込んだりもする。ここで珠玉のツイートがあるのでご紹介しよう。

 

怪奇好きの方には申し訳ないけれど、心霊写真は本来なら一定の確率でおっぱいやちんことか出てもいいのに、いつも足とか手とか顔とかモラルに反しない部位しか出てない時点で作り物なんですよね。

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 だが、しかし。考えてもみてほしい。ゴッドフィンガーたる加藤鷹氏の言う一定の確率と、我々の認識している一定の確率に乖離はないだろうか。なぜなら、私の場合、日々の生活の中でおっぱいやちんこが出てる環境に遭遇する確率が、相当に低いのである。めったに日常生活の中でもお目にかからないのだから、心霊写真にモラルに反する部位が写っている確率というのもそうとうな低さではないだろうか。

 

 一人暮らしで心霊番組を鑑賞するというのはなかなかの苦行であって、この手の私のエピソードは事欠かない。ぶっちゃけオーブやモヤや光や部位などなんでもない。一番勘弁してほしいのは顔ネタである。明らかに無理なところに、明らかな縮尺率の相違を伴って、御尊顔がポロリと写っていたりする。それが憤怒の形相だったり、叫んでるような顔だと、一気にギブである。

 速やかに部屋を脱出してドンキホーテにキティちゃんのジャージとかでたむろしてるヤンキーに癒されに行く。なぜなら彼らには、心霊など通用しないからだ。彼らはむしろそういったスポットに集まる習性があるし、あまつさえスプレー缶とかでマーキングとかもしていく。そもそも幽霊にびびるような者なら、それよりも我が身の将来とか、就職とかの未来の方に先にびびってしかるべき状態なのだ。

 それはさておき、顔ネタは勘弁と思っていたのだが、ふと目にした番組の心霊写真は違った。女性の顔が、儚げで綺麗だったからだ。美しささえ感じた。おっさんやご老人、子供の顔などNo thankyouである。妙齢の女性の顔だったからだろうか。

 

 人は、見えていない部分を勝手に補完する性質をもっている。そしてやっかいなことに、自分の理想的なものを想像することで、その部分を補おうとする。これを「理想化」といい、自分でも気づかないうちに理想化した全体像を想像してしまうのだ。

 

 私たちが、たる桃色卑猥映像のパッケージに激怒するのは、顔をモロに出しているにもかかわらず、パッケージと実際の映像とが違うからである。これは明確に騙す意図をもってフォトショップなどが駆使されている。だから怒るし、そんなメディアに頼らなければ理性を保てない自分にも同時に怒りが湧いてくる。

 対して幽霊ないし心霊写真の方は、この理想化が大きく働く。それは私が通っている歯科院の衛生士さんもしかりである。顔が全部は見えないから、私の脳が勝手に補完しているのだ。常人の能ならまだしも、私の脳の補完だから始末に負えない。見えないところ至るところまで勝手に保管されてしまう。無駄に羽ばたく想像力によって、歯科衛生士さんなんかはデリケートゾーンまできれいに処理している設定になってしまっている。完全に変態ではないか。

 

 思えば、幽霊はおどろおどろしいものの、みな美人であることに気付く。落語では、「美人は幽霊になれるが、クリーチャーがなるのは化け物だ」とかなんとかいうとか。クリーチャーも化け物もいっしょか。

 しかしそうなると、男女差別もいいところである。おっさんは死して何になるというのか。幽霊でもない化け物でもない。かといってティンカーベル的な妖精になっても鬱陶しい。神々のいたずらのような顔面を伴ってこの世に生を受けているのだけど、私もドンキホーテでたむろっているヤンキー諸君らと同じく、将来に不安を抱くものになる。

 私が死んだら。幽霊になれなくとも、若い人があつまるスーパー銭湯やスポーツクラブのスパにいく。女性の方に地縛霊としてしがみつこうと、心に決めるものである