Personal Organizer Lab.

システム手帳・文具中心の雑記系ウェブログ。

時間可変

ぼーっとする時間が尊い、って言葉は普段はぼけっとすることなく、キリキリと何かに取り組んでいる人だからこそ言える言葉なのは間違いない。

普段、節制しているストイックな人が「何かの星座になるつもりかな?」って感じでまばゆいスイーツの写真をInstagramとかにアップしてるのを見ると、束の間の休息を満喫しているんだろうなと思う。

 

ところが、少し遅れて来た厨二病というべきか。大学時代、デスノートのLに影響を受けたとある友人はそこかしこに甘いものを持つようになっていた。ちょっとその気になれば通学中の小さい女の子の一人や二人、ハーメルンの笛吹きみたいなノリで連れて歩けそうなんお菓子をむしゃむしゃたべていたのである。

 

やればできる。その言葉に励まされ、時にはその重さを忘れ。「月のアレが来ないんだけど」と恋人に打ち明けられた大学二年生時、人ってこんなにげっそりできるものなんだと思わせたくれた彼も、沢山のお菓子に囲まれ、もはや一人チャーリーとチョコレート工場状態であった。

 

日本の名探偵といえば金田一、コナンに並びLの名前が出る。そのミステリアスな雰囲気や独特の行動も、頭のキレで魅力的に見えることは私も分かる。しかしいかんせん、私もその友人も致命的なものが足りていなかった。幅広い知識、頭の回転、すぐに異性に夢中になってしまう浅はかさなどがそれである。

 

必然的にお菓子は血糖値を底上げし、氷河期に備えるかのような脂質を蓄え始めた彼に、Lの面影は何一つなかった。むしろ取り柄のない最低な豚野郎という誰もが躊躇して近寄らない称号に向かって、強くその足を踏み出していたのである。

 

閑話休題。普段からぼーっとしている私にとって、ぼーっとする時間のさらなる延長はむしろ苦痛ですらあった。

通勤時間を考えてみたい。おおよそドアtoドアで1時間ほどかかるのだけど、その大半が公共交通機関で過ごす。車通勤ならばもうすこしかかるだろうか。

できれば私も車が欲しい。熟女でも幼女でも、条例や倫理に関わらない範囲でカーパラダイスを繰り広げたい。集団を気にせず、どこまでも行ける。そんな車に憧れがないわけではない。

 

ただ、車通勤となるとこれほど苦痛なものはないのである。車を運転する1時間強、私は安全運転に腐心し、己の健康を外敵から守ることに集中し、己の貞操と道交法をこれでもかと守りながら過ごすことしかできないのである。

これが交通機関ならば本を読み、音楽を聴き、新聞を読み。気になったことがあれば胸ポケっとの万年筆とメモ帳を取り出す。そして妄想の世界へ羽ばたかんとする。

 

こうして考えると、車通勤の有意義な時間の使い方が全く見えてこない。毎日の往復を考えるとバカにならない時間量である。ビジネスにおいては時間も資源の一つであるから、私個人が盛大に無駄を垂れ流すことになる。

 

シュレディンガー方程式を持ち出して気になると女の子なスカートの中を合法的に大博覧しようと目論んだが、ついには「スカートの中は収束するまでもなく崩壊してます」と返された私の気持ちをだれが理解できよう。

しかし、そんなことを思い返してむせび泣く暇すら、通勤ラッシュの国道は許してくれない。

 

モノに溢れたこの社会で、豊かさとは何かを改めて問う。車の方がモノは充実していても、肝心の私はそれを安全に、かつ時間内に到着させるという目的のためだけに時間を使う。

ならば時にぼーっとして、新聞や文庫、メモ帳、 ペンを持って電車に揺られる方が、内面的な世界では豊かだと言えるのではないだろうか。

 

何も考えることのできない私が持つペンに、価値はない。たとえ妄想であろうが、何かを思い、何かを感じ、何かを書き留める。そこにオリジナリティという価値が生まれるの。そのための時間を、大切にしたいと思う。

 

スマホのアップデートはかなりまめなのに、自身のアップデートはほとんどない。そんな人は多いように見える。今の時代、情報は常に進化している。

 

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いきなりどえらいものに友だち認定される怖い世の中。どういう形であれ、自分を磨くための時間は車以上の投資になる可能祭を秘めている。私は、そう思う。