いろは。

手帳・文具中心の雑記系ウェブログ。

私の手帳術・裏

 昼間に頭の沸いたとしか思えない記事をアップしたところ、そもそも手帳という言葉すら2回しか出てこないというすさまじい記事になってしまった。

 各方面で物議を醸し、賛否両論(主にぴの方)を巻き起こしたことを受けて、再度、手帳術について書きたいと思う。

  というような前置きではじめておいてなんだけれども、そもそも私が「手帳術」という言葉がすきじゃない。

 術というにはあまりに個人に最適化されすぎていて、私にとっての最適解ではあるけれど他の人にとっては参考にしかならない。これはもう口がリトマス試験紙を青から赤に変える勢いで言っていることなのだけど、手帳の使い方に最高のものも究極のものもない。ある人にとっての最適解は、他の人の最適解にはなり得ない。ライフスタイルや業種の違い、また個人のまめさだったり、書くことへの負担だったりいろんな要因が絡みあって、その中で自分が使いやすいように工夫しているだけだ。

 だからそれを術という言葉を使うことは避けたいと思うし、また偉そうに人にご高説垂れるようなものでもないように思う。だからここに書くことは、現時点における私にとっての最適解に過ぎないということを前提として言っておきたい。

 

1.シーンにあわせて使う

 できればすべての物事を一冊に収めたいのだけれども、目的によって規格が決まるという点がある。アイデアだしのときはA4のコピー用紙に書き殴るけれども、何か目に留まったもの、ふと思いついたことを書き記すのに、A4サイズは向いていない。

 だから、ぶらぶら歩いていたり、仕事中眠気を覚ますためのおさんぽ中、通勤中、読書中などはロディアのメモを使う。読書の最中にいちいちノートなどを書いていては、なかなか読み通すことができない。

 なので、頭にタイトルを書き、「p65L8」といった具合にページと行数だけを書いていく。通読して全体像をつかんで情報をまとめるとき、このメモが役に立つ。

 タイトルさえ書いておけば、後からさかのぼることもできるため、読書に何日かかっても構わない。また何かあとで役に立ちそうなアイデアや印象に残ったフレーズも書き記す。このときの原則は「1p1テーマ」を徹底する。書いたら切り離して、手帳のジッパーケースなどに入れておく。

 

 思考の整理学によれば、アイデアの種は熟成させる時間が必要であり、そのあとに入ってきた情報やタイミングなどによって思いもよらぬ変化をもたらすという。なので、「これはまとめておかなきゃな」と思うまでは、トリガーとなるメモを放り込んで、あえて放置させることも必要だ。

 このようにサイズをシーンにあわせて選択するのも大事なことだと思う。情報の一元化と使い分けは、決して矛盾しない。入口をメモに一元化し、最終的な保管場所を一元化する。この情報フローの両端を一元化することによって、サイズを使い分けながらどちらかを探せば必ず見つかる、という環境をつくることができる。

 

2.筆記具の携帯について

 手帳そのもではないけれど、ペンの携帯も重要な要素だ。いくら最適なメモなり手帳なりをもっていても、書くものがなければ白紙なだけだ。そこにあなた自身のアンテナに引っかかった情報を記すことで、はじめて紙に大きな付加価値が与えられる。

 ペンは基本的に書ければなんでもいい。ただしTPOを考えると、あまりに高級な筆記具はそぐわないこともある。なので私は中間として、カランダッシュ849の色が落ち着いたシャープペンシルとボールペンを持ち歩いている。エクリドールはシステム手帳に予備として差しており、万年筆も胸には差しているけれど使うシーンは考える。

 ペンの色について黒か青かというのは未だもって解決しえないため両方を持ち歩いているが仕事の上で汎用性が高いのは、黒だったりする。しかし好きなのは青なため悩ましい。いつでも確実に筆記できる環境を整えておくことは、手帳を使う上でも大事なことだというのは言うまでもない。

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3.汚く使う

 というと語弊があるけれど、つまりは「使う目的を明確にする」ということ。私の場合は、生活を色んな意味でスムーズかつ豊かにするため。だからキレイにまとめてSNSに上げることを目的としていない。

 仕事のために情報を整理したり、勉強したり。もう一つのライフワークのためのアイデアをストックしたり、新たな展開を考えたり。それは少し硬い言葉で言えば、思考を整理する、ということになる。

 だから、きれいでなくてもいい。そもそも私達が頭で考えていることというのは、フレームワークやマトリクス表にきれいにおさまるものではない。もっと混沌としていて、脈絡もなにもない。けれど確かに私の頭の中に存在するものだ。

 それを書き出すのだから、メモやノート、手帳はカオスである方が自然だとさえ思う。だから見栄えを気にして縮こまって書いたり、余計な装飾を施したりはしない。

 

 けれどそれは、私が使う目的に沿っているからだ。中にはかわいく日記を書いてライフログをまとめたい人もいる。書を書く人もいるし、絵を描く人もいる。けれど、他の人の目を気にして縮こまって書くのは、どの分野においてももったいないことだとは思う。それぞれの目的にあわせて、常に頭の中のすべてを紙に落とし込もうとすれば、それは必然的に汚くなるのではないだろうか。カオス、無秩序、混沌の中にしか存在しない美しさも、少なからず感じる。それを感じることができるのは、最初からアップしようとして書いたりしていない、他人に読まれるはずではなかったなにか、であることが多い。使い切った手帳を集める手帳類収集家さんも、この魅力に憑りつかれているに違いない。そして私は共感できる。

 大事なのは、きれいであることよりも思考に切れ味があって、私の生活に資するなにかであってくれることの方なのだ。

 

4.持ち歩く

 何か発見なりアイデアが湧いてくるのは、机に座ってうなっているときではない。だいたいがぶらぶらしていたり、ぼーっとしているときだ。そのような阿呆面をしているときにしか反応しないアンテナのようなものでもあるんだろう。だから、手帳を持ち歩く。

 持ち歩くためにはサイズも関わってくる。私はアシュフォードのローファーか、トラベラーズノートのパスポートサイズだ。仕事が関わりそうなときは、名刺の入っているアシュフォードとロディアのメモ帳。街を徘徊するときはトラベラーズノートだ。

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トラベラーズノート レギュラーとパスポートサイズ ※共にキャメル

 どこで何を書き留めるか。そんなことは私にはわからない。だからせいぜい持ち歩いて、こぼさないようにいつでも書き留めておける環境をつくるしかない。そのためにもサイズによる使い分けは重要だったりする。大きいと持ち運びも大変になるし、取り回しもやっかいだ。普段持ち歩くには、あとで切り離せて身軽に持ち運べることの方が重要だ。大事なのは、どんなシーンでも携帯するに不便ないツールを取り揃えておくこと。とりあえず書き留めてさえおけば、整理や保管はシステム手帳が全てまかなってくれる。その安心感があるから、いろんなところで手帳の使い分けができる。

 

結び 手帳術とは

 書き出せば際限なく出てくる。今回書いたものは、私が手帳を使う際のもっとも大きなガイドライン、指針のようなものだ。だから細かく書くならば、この記事数回分を要することになるのだけど、それはまた別の機会に譲りたい。

 ただ、私にとって手帳術というのは、手帳をいつでも使えるようにするための方法であって、それ以上でも以下でもない。情報というのは、誰にでも理解されるようになった瞬間、その価値を失う。だから自分にとって価値ある情報というのは、使い続け、蓄積し、それを磨くことでしか得られない。使い続けるために、最低限の縛りで自由に使っている。あまりこ「こういう風につかう〇〇術」などと型にはめてしまうと、いくらでも例外は出てくるし、フレキシブルに対応できない。(私の場合)

 大事なのはどのような方法なのか、ではなく、どう使い続け、日々、開き続けるのか。ということではいだろうか。そのための方法論をいくつも挙げることは簡単だが、自分の最適解は使い続けることによってしかたどり着けない。

 

 今の私の使い方ですら、私にとって正解ではないかもしれない。でも、それでいい。たとえ術であってもそれは完成がない道であるし、試行錯誤のスパイラルアップで終わってしまうかもしれない。でもそれでいい。いつでもそばにある。それが私にとっての、究極の手帳術であったとしても。

 

今週のお題「わたしの手帳術」