いろは。

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手帳複数冊使いの正体

 「世界の終りがもうすぐやってくる」 

 幼い頃のトラウマっていうのは強烈らしく、二十年以上経ったいまでも覚えています。僕の場合は「ノストラダムスの大予言」でした。もうこれが本当にタチが悪い。

  諸説あるかと思いますが、大体はこんな感じの予言です。

1999年 7か月

空から恐怖の大王が来るだろう

アンゴルモアの大王を蘇らせるために。

その前後、マルスは幸運によって統治するだろう。

 この予言はさまざまな波紋を呼び、当時、心霊やスピリチュアル系を許容していたマスコミも散々に煽って、新興宗教にまで影響を及ぼしました。職業:救世主な人々が現れ、ルターが現代に生きていたら怒りの鉄槌を振るいまくるような環境になってしまっていたのです。

 いわゆる終末論なのだけれど、時期は近いものの、実際に1999年が来るまでは真偽も分からない。だから幼い僕は、ほんとに世界が終わるのかもしれないという恐怖で憂鬱な日々を過ごしていました。失われた日々だともいえるのですが、もし生きているうちにタイムマシーンが完成したら、厨二病的な詩を残して世間を騒がせたノストラダムス爺を完膚無きまで殴打にし過去へ遡りたい。

 

 そんな時期に聞いていた楽曲っていうのも、それにつられて記憶に残っていて。当時、週刊少年ジャンプで大ヒット連載されていた「地獄先生ぬ~べ~」という漫画がありました。当時、タイアップでアニメにB'zの「ミエナイチカラ」を使ったりととてもかっこいいアニメーションでした。その中の楽曲にPMELAHというユニットの「spirit」という曲があります。アニメーションとも合っていて、非常にかっこいい楽曲です。

 当時を懐かしんで、スマホでPMELAHの楽曲を聞いていたのですが、とある曲の中に

ベッドの下 眠らせてたヤバイビデオはまだ許せるけど

女の名前だらけの手帳 勝手に見たのはゴメン

でもひどい 

 という歌詞がありました。この曲、ハードなロック調でとてもかっこいい。そしてボーカルの水原由貴さんも相当きれいなお方で、小学校低学年ながらこんな刺激的な歌詞なのでいろんな意味で記憶に残っていたのです。きれいな人がAVのこと歌ってるんですよ。当時の僕はそれだけのことで昏倒しかねないくらいの興奮だった。

 でも歌詞的にいまの人たちはなかなか理解しづらいかもしれません。ビデオはいまでは動画という意味でつかわれていますが、以前はVHSという軽く弁当箱みたいなノリのカセットテープで再生していたのです。

 そこより注目すべきは下の部分。「女の名前だらけの手帳」。今でこそ女性の電話番号はスマホのメモリにもりもり登録できて、指先一つで呼びだせるのですが、当時はまだ携帯電話の普及がようやく始まったころ。気のある女の子たちの連絡先は、手帳に書き込んで管理していたのです。アナログの弱点はリアルのおけるセキュリティの甘さです。見つかったら最後、だれにでも無節操に頁(ページ)を開くビッチみたいになって、さんざん溜めこんだ致命的な情報を赤裸々に公開してしまいます。アナログのセキュリティを高めようと思ったら、巧妙に隠す以外に方法はありません。そうして僕たちは、「デスノート」で月がデスノートを隠すためにピタゴラスイッチばりの罠をこしらえた苦労の意味を理解することができるのです。

 

 そのころから比べると、今の私たちの生活は色んな情報に溢れています。スマホから、電車の中のディスプレイから、マスコミから。僕らは異性の裸の画像一枚を見るために、ISDNで表示待機をした世代です。いまでは指先のちょっとのタッチで、ピリオドの向こうというかモザイクの向こう側をムービーで拝める時代。日常で接する情報量は、指数関数的に伸びているとする研究結果報告も耳にします。

 そんな情報過多の社会では、どのように自分に必要な情報を見つけ、取捨選択し、整理・分類していくかがとても大事になってきます。広告やPRを行っていると、まず接する情報の中で、何かしら記憶に残って処理されるグループに入るための方法を模索します。逆を言えば、日常で触れる膨大な情報量の大部分は、何ら処理されることなく忘れ去られてしまうのです。そんな作業を繰り返していれば、その中に取っておくべきだった情報が少なからずまぎれてしまうことは否めません。

 

情報の分類

 情報はその形によっていくつかに分類すると、それぞれに適したツールが見えてきます。人によって、また好みによって分かれてくると思いますが僕の場合はこんな感じです。

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 情報はスケジューラーから下に向うにつれ、どんどん展開・補完されていきます。

 

 日々の情報やスケジュールは刹那的な情報です。予定やタスクは完了すれば価値をほとんどもたない情報。その集積がスケジュールです。とはいえライフログなどをとっている人は、その集積こそが大事だったりします。保管してこそ有効になる情報なので、保管の観点からは、年または年度ごとに1冊できれいにまとまる綴じ手帳が有効だと思います。

 ノートは、日々の情報の中から、必要なものをピックアップし、展開して磨いていく、付加価値を高めていくフローです。ここで日常の中で拾い上げた情報のかけらを形にしていきます。文献で補足したり、SNSで反応をみたり。

 そして最後にはまとめて、アーカイヴ(書庫)として保存します。このとき、どんどん情報を追加していく形になりますので、分類や関連付けのために並べ替えができると便利です。ここではインデックスなども含め使い勝手がいいのでシステム手帳が便利です。

 

 こうして段階と形態にあわせたツールを選択することで、非常に効率的に日々の情報を整理することができます。その過程で大事なのは、「必要ないものはそう割り切って、思い切り忘れること」です。全ての情報をとることに注力するよりも、大事な情報を充実させた方が得るものは多いように思います。

 メモだけはちょっと特殊なので、すべての段階に付しています。まぁ、、メモなので。そこはバブルのような浮かんでは消える考えを書きとめるため。そしてメモならどの段階のツールにでも貼り付けることができるからです。手帳とメモ、は、似ていて非なるもの。もっとメモはメモで学ぶべきとろがあるように思います。

 

 情報整理に関しては「情報は1冊のノートにまとめなさい」がヒットして影響を受けましたが、大事なのは1冊にまとめることではなく、一元化管理することによるメリットの方。なので、入口を基本的にスケジューラーとして一元化していれば、必要な情報は迷子になりません。形に合わせたツールを使いこなす。これからの手帳には、それが求められるような予感がビシバシしています。

 

 そんな予感とは全く関係なく、好きだけど優柔不断で決めれないから複数冊使ってます。