Personal Organizer Lab.

システム手帳・文具中心の雑記系ウェブログ。

お花畑の運用方法とその限界

 もしも本当に使いこなしたいのなら、盲信していては意味がない。ちゃんとそのツールの限界を見極めて、自覚することが必要だと思う。

  赤ちゃんたちの名前が、煌めきはじめてから既に久しい。個性とは、家庭の教育で育むものではなかったか。いつのまにか漢字辞典から引っ張ってきた、理解の範疇を越えている漢字や解釈の組み合わせによって与えるものになっている。

 「無難な名前なんて、一生使うものなのに子供がかわいそう!」などという声を上げながら、両親のパープリン具合を世間に喧伝するという、ひとつのバロメータになりつつある気がする。そもそも難有な名前なんてつけてどうする。

 ひとさまのマイナンバーなんか聞いても活用しようがないけれど、子供の名前とその由来を聞けば、両親の頭の煌めき度が分かる仕組みだ。煌めき度が高いほど、太陽のように光が降り注ぎ、お花が咲き乱れている可能性が高い。顕著な相関関係があることは、もはや議論の余地がない。

 

 煌めいているのは、何もえり足が長かった少年時代を過ごした父親のいる家庭に限った話ではない。幸せを引き寄せるとか、月の満ち欠けの力を利用して願いを叶えるといった、セーラームーンのできそこないみたいなことを主張している本も珍しくない。中でも、自己啓発と相性のいい「手帳」は絶好のカモだ。

 多少、幸せになれる。もの忘れが減る。予定を効率的に組んで管理できる。好きな情報に詳しくなれる。もしかすると、何かすごくいいアイデアが生まれるかもしれない。こういうささやかな要素が集合したところで、必ずしも人生が成功したり幸せになるとは限らない。しかも私の場合、内容的にAV女優リスト、上司への罵詈雑言、ネイチャーガイド佐々木さんリサーチなど、おおよそ幸せとは真逆の情報に偏っている。もはやささやかな要素の集合どころか烏合の衆である。騒がしいだけで何の役に立つのかは本人も分かっていない。

 

 手帳は、人の能力を拡張してくれるツールだ。記憶も保存も管理も、アナログなのに私たちの学習能力の容量以上に受け入れてくれる。それと同時に、「ゼロはいくつかけあわせて拡張しようがゼロ」という冷たい現実が立ちはだかる。

 手助けはしてくれるが、新しい能力、才能の開花、諭吉どもを群がらせるようなカリスマ性、土地などをくれるわけではない。秘書とパトロンは全く違う。どんな優れた運用、高価なツールも、使い手自身によっては残念な結果を招くことがある。例をみてみよう。

 

 私は日々のスケジュール管理を、週間の見開きリフィルで運用している。左側がスケジュールの時間軸による組み上げエリア。左側を日々の情報、タスク、メモなどを記入するエリアにしている。左側はキーリストをもとに、バレットジャーナルで運用している。一見何の問題もなさそうだが、写真を見てみよう。

 次の写真は、3週間に渡るバレットジャーナル部の写真だ。

 

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 注目すべきは、WG(ワーキンググループ)の調整に関するタスクだ。バレットジャーナルでは、一定のルールにしたがって、KEYとなるマークを振って管理していく。タスクを確実に把握していくための運用方法だとも言え+タスクのキーを□として、完了したらチェックで消込みを行っていく。

 

 ところが、把握していることと、それをこなせるかどうかは全く別問題なのだ。この事例の場合、5月末には既にタスクとして組み込んでいるにも関わらず、「めんどくせぇ」、「関わり合いたくねぇ」という熱き想いが先行し、今の今まで □> (migration)予定の移動、先送りマークの嵐なのである。

 

 しびれと堪忍袋の緒が切れそうな上司が「どうなってるんだ!?」と問い合わせてきたけれど、あわてることはない。手帳は日々のログを保管している。保管していて正確に答えて、上司が欲する情報を提供できる。

 しかし、手帳が示すその情報は、「面倒で関わりたくないので、鋭意先送り中」という、総理ばりの忖度を要する答えなのだ。

 

 手帳やその運用は、情報の取り扱いを便利にしてくれるし、生活を多少豊かに、円滑にしてくれるけれど、持ち主を成長させるような魔法をかけてくれるわけではない。結局、幸せになりたいのなら、本人が努力して成長するなり、仕事を頑張ってお金を稼ぐしかないということだ。なので、今後はお金が湧いてくる泉を、手帳を使って見つける予定である。